第42話「母との対峙③」

 5分ほどして、母さんは戻ってきた。

 目元が赤くなっていて、ずび、と鼻をすすっている。


「みっともないところ見せたわね」

「そんなことないよ」


 僕は否定した。

 誰だって過去にすがりたくなることだってあるだろう。


「そんなに似てたかな、父さんの作ったオムライスに」

「ううん、そうじゃないの。むしろ、父さんのご飯は最初とても味が濃くて、あまり美味しくなかったわ。でも、私のために一生懸命作ってくれたって思うと、残すのも申し訳なかったから……」

「全部食べたんだ」

「ええ。あなただって、そういう思いで作ったんでしょう?」

「まあ、ね……」


 母さんに指摘され、少し恥ずかしくなる。

 最初は、仲直りしたいという気持ちと、自分だって成長したんだという見栄が重なって、あんなことを言ってしまった。

 けれど、やっぱり作ってよかったと思う。

 母さんとの距離が縮まった気がするし、ようやく僕たちは「普通」の家族になるスタートラインに立てた気がする。


 12時を少し過ぎたあたりで僕たちはオムライスを完食した。

 自分で言うのは少し照れ臭いが、とてもいい料理が作れたと思う。

 今度、片桐さんにも振る舞ってみよう。


「太一」


 食器を洗おうと立ち上がった僕を、母さんが呼び止める。

 声が食事の時よりも重たかった。

 しかしいつものような重苦しい感じはなく、真っ直ぐとした目をこちらに向けてくる。


「お母さん、これからもあなたのお母さんでいたいのだけれど、いいかしら」

「何言ってるの」


 あまりにも何を言っているのかわからなかったので、反射的に声が出た。

 へ、と母さんも間抜けな声を出す。

 僕も同じような反応になってしまった。


「いや、母さんは母さんだよ。今までも、これからも。そりゃ、僕を縛り付けて自分のものにしようとしたことに対して許すつもりはないし、今だってちょっと恨んでる。けど、そんなことをいつまでも言ったって仕方ないから。僕たちはどこまで行っても親子なんだよ」


 だったら、忘れてしまった方がいい。

 今までの嫌なことも、辛かった記憶も、忘れた方が今後のためだ。

 これから新しい一歩を踏み出すというのならば。


「……本当に、いいの?」

「まあね。言いたいことは全部さっき言い終わったし、これでチャラ。これで母さんが変わってくれるのなら僕はそれでいい」

「でも、あなたは私にたくさん辛い思いをさせて……」

「なんだ、自覚があるんだ。じゃあ、もう改善はできそうだね」

「あなた、すごくドライなのね……」


 元より僕はそこまで人間関係に執着しないタイプだから、多少のことは水に流せる。

 今まで母さんがやってきたことを「多少」と呼べるかはおそらく人によるだろうが、僕の中では「多少」で済んでしまうくらいには、僕も成長したということだ。

 今までの行為を許すつもりは一切ないけれど。


「そう……あなたがそう言ってくれるのなら、お母さん頑張るから。全然ダメダメなお母さんだけど、精一杯のことはするから」

「まず心配性なところを直したらどうかな」


 そのせいで僕を閉じ込めようとしたのだから、とは決して口にしなかった。

 口にしてしまえばまた亀裂が生まれそうだから。

 それに、おそらく本人もわかっているだろう。

 なら余計な口出しをするつもりはない。


 フフッと母さんは微笑み、食器をシンクに運ぶ。


「あなた、少し口が悪いわね」

「誰に似たんだろうね」

「まさか。私、そこまで毒舌じゃないでしょう?」

「誰もそんなこと言ってないよ。ただ、母さんの圧力でちょっと捻くれた性格になって、口まで捻じ曲がったってだけ」

「それを口が悪いって言うのよ」


 そんな会話をしながら僕たちは食器を洗っていく。

 まさか母さんとこんな風に砕けた会話ができるなんて思ってもいなかった。

 きっかけさえあれば、人は変われるのかもしれない。


 とはいえ食器を洗い終えたらすることもなくなったので、僕は再び自室に戻った。

 階段を上る足がいつもより軽い。

 重苦しい空気も家に充満していない。

 何もかもが違う。


 少し高揚感が残る中、僕は片桐さんに電話をかけた。

 コールしてすぐに彼女は応対する。


『どうかされました? というか、大丈夫でしたか? 何か酷いことはされていませんか?』

「大丈夫、心配しないで。多分、仲直りできた。自分でもあっさりしすぎてると思うくらいにね」


 僕のその報告に、片桐さんは心底驚いていた。

 驚き、というよりショックに近いだろう。

 なんせ、親から愛をもらっていない同盟はこれでおしまいなのだから。

 別に裏切ったつもりじゃない。

 ただ、これからはちゃんと母さんは愛してくれる、と思う。

 ほんのそれだけ。


 電話の向こうの片桐さんは少し沈黙した後、小声で僕に尋ねてくる。


『で、いくら積んだんです?』

「実の親にそんなことするわけないだろ。でもまあ、強いて言うなら料理を振る舞ったことかな。これで関係を深めることができた。片桐さん、料理上手なんだからやってみたら?」

『考えておきます』


 その後もくだらない話をして僕たちは電話を切った。

 数時間前も彼女と一緒にいたけれど、今回もいろんな話をした。

 そして僕は、明日、片桐さんと再び図書館で勉強することとなったのだ。

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