第41話「母との対峙②」

 母さんと言い合いになって少し時間が経った。

 僕の中ではまだ10分くらいしか経っていないと思っていたのだけど、もう30分過ぎていた。

 年齢が重なると、時間が過ぎるのも早く感じる。


 僕は1階に降り、お茶を飲むためにキッチンに向かった。

 母さんはリビングで掃除機をかけていた。

 そして僕の姿を確認すると、ビクリと身体を硬直させる。

 そんな風に怖がらせるつもりなんて全くないのに。


 冷蔵庫にあったお茶を取り出して、僕は母さんの方を見る。

 母さんは完全に僕に怯えていた。

 やっぱり自己満足で済ませてしまったから、親子の関係に亀裂が入ってしまったままだ。


「どうしたの? 太一」

「お茶、飲みに来ただけなんだけど……」


 母さんは笑っていたけれど、やっぱりどこか僕に距離を取っている。


 多分、僕がいなくなることが怖いんだ。

 拒絶されたことに絶望しているんだ。


 なら、母さんのことを受け入れてあげればいい。

 それだけの話だ。


「今日は僕がお昼を作るよ」

「太一が?」


 母さんは目を丸くして僕を見ていた。

 そりゃ、母さんに僕が料理できる姿なんて見せたことないし、正直な話僕だって料理に自信があるかと問われたらあまり胸を張ってそうだと肯定できない。

 だけど、母さんの味の薄い料理よりかは美味いものを作れるという根拠のない自信はある。


「作れるの?」

「多分。家庭科でも調理実習はやってるし」

「そう……なら、お任せしようかしら」


 母さんはまた掃除機をかけ始めた。

 僕は麦茶をコップに注ぎ、一杯飲み干す。

 冷えた麦茶が身体全身に染み渡る。


 よし、と奮起した僕は、冷蔵庫の中を漁る。

 それなりに食材は揃っていた。

 とはいえ昼食に手の込んだものを作ろうという気には不思議とならなかったので、簡単に作れそうなケチャップライスを作ることにする。

 逃げに走った一手かもしれないけれど、僕の実力を知るためにもこのくらい簡単そうなものから始めた方がよさそうだ。


 とりあえずケチャップライスの記憶とレシピを確認する。

 よく食卓に出ていたものにはウインナーが入っていた。

 スマホでレシピを確認すると、他にも刻んだ玉ねぎやコーン、そして人参も入っているらしい。

 人参が使われていた記憶はないので、玉ねぎとコーンで十分だ。


 まずお米二合を炊く。

 その間に玉ねぎを半分にカットして細かくみじん切りにする。

 他にもウインナーを一口サイズに切ったり、コーンを用意したり、具材の準備を進めた。

 次にフライパンにサラダ油を入れ、具材を投入し、炒める。

 ある程度炒めたら、ケチャップ、コンソメ、塩、胡椒、そしてバターを加えた。

 バターが入ってたことには驚きを隠せないが、確かに父さんが作ってくれたケチャップライスはどこかほんのりと甘い風味があったような気がする。

 それはこのバターが隠し味として加えられていたからかもしれない。


 やってみると意外と簡単で、まだ白米が炊き上がるまで時間があるので、ついでだから卵も使ってオムライスを作ろうと思う。

 卵を2つ使い、ボウルに入れてかき混ぜる。

 レシピには牛乳や砂糖を使うと書いてあったが、面倒なので今日は使わない。


 別のフライパンを用意し、先ほど溶いた卵をぶち込む。

 そして形を整え、ある程度固まったところで火を止めて、ケチャップライスに移し……たいところだが、肝心のケチャップライスは出来上がっていない。


 ようやくこのタイミングで白米が炊き上がった。

 そいつを具材のあるフライパンの方に移し、炒めていく。

 味を見てケチャップや塩、胡椒で味を調えるとあったが、その必要がないくらいにはちゃんと味がしていた。


 大皿を2枚用意し、僕の分と、母さんの分それぞれよそった。

 そして母さんの分に先ほど焼いた卵を乗せたら、オムライスの完成だ。

 少し焦げているが、そこは大目に見てほしい。

 僕の分の卵も焼き、残りの皿に盛りつける。


「母さん、できたよ。少し早いけど、お昼にしよう」


 母さんはというと、既に部屋の掃除を終えて、洗濯物を干していた。

 今日はよく晴れているからすぐに乾くだろう。


 まだ僕を見る目が怯えている。

 しかしテーブルに並べられたオムライスを見て、母さんは目を丸くした。


「これ、本当にあなた一人で作ったの?」

「そうだよ。レシピ通りにやったら案外うまくできた」


 本当はもっと細かな指示があったけれど、多少無視しても問題はなさそうだ。


 僕たちは向かい合って座り、いただきます、と手を合わせた。

 味は悪くない。

 ちゃんとケチャップの味がするし、塩と胡椒でキュッと味が引き締まっている。

 きっと片桐さんが作ったら、もっと美味しくなるんだろう。


「どうかな」

「……美味しいわね。私が作る料理より」


 母さんの顔が綻んでいた。

 そこに嫉妬や愛憎の感情はなく、純粋に美味しいものを食べている顔だった。


「初めて、お父さんが作ってくれた料理がオムライスだったの。その時もこんな味だった。懐かしいわね、ホント……」


 ポロリと、母さんの瞳から涙が出てきた。

 それから涙はとどまることを知らず、ボロボロと大粒の雨のように零れ落ちていく。


「ごめんなさい、少し席を外すわ」


 母さんは立ち上がり、リビングから姿を消した。

 あんな風に泣きじゃくるのは、父さんの葬式以来だ。

 多分、この味が母さんにとって思い出の味だったのだろう。


 僕はまた一口オムライスを頬張った。

 少しだけしょっぱくて、でもどこかほんのりと甘かった。

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