第40話「母との対峙①」

 我が家に帰ってきた。

 一日ぶりなのに、どこか懐かしい感じと、ものすごい緊張感がある。

 だけど僕も向き合わなければならない。

 僕が前に進むためには。


 ゆっくり、玄関のドアを開いた。

 家の中から重苦しい空気が僕を迎える。


「た、ただいま……」


 僕が声をかけると、ドタドタと足音が近づいてきた。

 ドアを閉めるのと同じタイミングで、母さんが僕を見つけると、今まで見たことのない形相で詰め寄る。


 ドン、と母さんは腕を壁にやり、僕を逃げられないように追い込む。

 冷徹な威圧感があった。

 口角は上がっているけれど、目は笑っていない。

 黒く淀んでいて、まるで僕を見ていない。


 今までの僕だったら、この恐怖に怯え、何も言わずに母さんの言いなりになっていただろう。

 だって、反抗するだけ無駄だから。

 余計なエネルギーは使いたくなかったから。


 だけど、もう我慢なんかしたくない。

 これ以上母さんに縛られたくない。

 母さんに、負けてたまるもんか。


「今までどこに行ってたの? まさか、お友達のところ? ダメじゃない、お母さんに心配かけちゃ。もうお母さんを裏切らないで。いい? わかる?」


 相変わらず僕の言うことを聞く姿勢なんてなかった。

 一方的に喋るだけで、相手の表情なんてまるで見ていない。

 なら、母さんには一体何が見えているんだろう。

 そう考えると、母さんが少し滑稽に思えてきた。


「母さん」


 僕は母さんの腕を振り払った。

 腹を括り、母さんを睨む。

 けれどあまりやったことがないから、上手くできていないだろう。

 慣れないことはあまりするものではない。


 それでも、母さんには有効だったみたいで、母さんの笑みが徐々に歪になっていく。


「……何、その顔。ねえ、お母さんのこと裏切らないって言ったよね! どうしてそんな目をするの? お母さんのこと嫌いなの?」

「嫌いじゃないよ。母さんには感謝してる。僕を育ててくれたから。でも、ずっと思ってた。僕はもっと自由になりたい。いろんな場所に遊びに行きたいし、友達だって自分で選ぶよ。もう、僕は母さんが思っているほど子供じゃないんだ」


 思いの丈を述べる。

 しかし母さんの表情はみるみる曇っていくだけだった。

 伝わっていないのだろうか。

 なんだか虚しくて、哀れに感じてしまう。


「何よ、あなたはお母さんを否定するの? お母さんの言う通りにすれば、あなたは幸せになれるのよ?」

「幸せじゃないから今こうして反抗しているんだよ」


 少し強い言葉を使ってみた。

 ビンタくらいなら覚悟の上だ。

 さすがに刃物やスタンガンは出てこないと思うけれど……絶対ないと言い切れないのが怖い。


 母さんはさらに顔を歪ませる。

 相当僕の言葉がショックだったようだ。

 まさに自分を否定されるような感覚だろう。


 だけどこんなところで怯んではいけない。

 これは戦いだ。

 自由を得るための戦い。

 

 だから僕は追撃を続けた。


「母さんはさ、心配性なところがあるから、父さんが死んじゃって、自分が何とかしなきゃって思って、それでこうなったんだと思う。全部僕のためだっていうのはわかるけど、縛りが強すぎる気もするんだ。正直、母さんと一緒にいると、窮屈だった」

「ふざけないで! 私がどれだけあなたのことを愛していたと思ってるの?」

「愛していたなら、少しは僕の話くらい聞いてほしかったよ」


 僕は今まで、母さんに一度も自分の意見を通したことがなかった。

 それはそんな勇気がなかった、というより母さんに聞く耳がなかったからだ。

 いつも「ああしなさい」「こうしなさい」と言って、僕の言うことなんてまるで聞いてくれない。

 子供の頃に「これがしたい」と言えば、返ってくるのはいつも「ダメ」ばかりだった。


 反吐が出る。

 よくもまあ「愛してる」なんて軽々しく言えたものだ。

 きっと愛されなかった片桐さんの方が、愛について理解があるだろう。


 僕が放った言葉には、そういう苛立ちも込められていた。


「自分の意見ばかり押し通して何が愛だよ。他人の言葉を無視し続けて何が愛してるだよ。ふざけるな。愛っていうのは、もっと相手を尊重して、思いやることじゃないの? 母さんのそれはただの自己満足だよ」


 胸ぐらを掴んでやりたかったけれど、もうどうでもよかった。

 母さんは膝を床につけ、放心状態になっている。

 やりすぎたかもしれない。

 このままだと親子関係は完全に破綻する。

 そんなことを望んでこんなことを言ったわけではない。


 僕も膝をつき、母さんの方を見た。


「別に僕は母さんのことを裏切ったりなんかしないよ。さっきも言った通り、母さんが僕を育ててくれたことにはとても感謝してる。だけど、これからは愛し方を変えてほしい。また、父さんが生きてた頃みたいな日々を過ごしたいんだ。それだけだよ、僕が願っているのは」


 これで変わってくれたらいいんだけど、と思いながら、僕は自室に戻った。

 このやり方は多分間違っている。

 だけど母さんには正攻法ではきっと通じないから、荒療治をする他なかった。


 自分の言葉がブーメランになって帰ってくる。

 これじゃ自己満足じゃないか。

 少し自己嫌悪に陥り、僕はベッドの上で横になった。

 どっと疲れが押し寄せてくるけれど、眠たくはなかった。

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