第34話「だから愛して④」

 彼女が泣き止んだ後、沈黙が続いた。

 カチ、カチ、と秒針が刻まれる音だけが耳に届く。

 何か彼女に声をかけようかと思ったけれど、何も言葉が思いつかなかった。


 現実から逃げるように、僕はスマホに目を通す。

 すると、クラスのチャットのグループがえらく騒がしいことに気づいた。


 嫌な予感がする。


 僕はメッセージを遡った。

 50件近くはあっただろうか。

 しかし、みんな短文であるため時間はかからなかった。


 震源地は1枚の写真だった。

 知らない中年の男性の腕を組む一人の少女。

 その少女の恰好は、今僕の目の前にいる片桐さんと全く同じだった。


『これ、友達から送られてきたんだけど、片桐さんだよね?』


 このメッセージと共に投下された写真は、瞬く間にクラスの話題となった。

 メッセージを送ったのは木部さんだ。

 おそらく写真を送ったのも彼女で、あくまで第三者からの提供を装うつもりでいるらしい。

 卑怯だなと反吐が出そうになる。


 とはいえ今からその4人組のところに押しかけて、現行犯の様子を撮影したところで「付き合っているんだから別にいいだろ」と突っぱねられて終わりそうだ。

 事実、東くんと木部さん、そして渡良瀬くんと手塚さんはデキているという噂が立っており、本人たちもそれを認めているから難しいところではある。

 むしろこちら側がプライバシーの侵害を訴えられて負ける可能性だってあるかもしれない。


 チャットはリアルタイムで次々と更新されていった。


『本当?』

『コラじゃないの?』

『片桐さんがそんなことするわけないだろ』

『いや、顔とか完全に片桐さんだ』

『見かけによらず派手な格好してるんだな』

『ビッチだったんだ、最低』

『気色悪い』

『どうせこういう子だと思ってた』


 いろんな言葉が飛び交っている。

 それは現在も続いていて、僕はアプリを落として更新するのをやめた。

 これ以上は見ていて辛くなる。


「片桐さん……」

「もう、居場所なんてどこにもないんです。学校にも、家にも。街にも」


 吐き捨てるように彼女は答えた。

 自暴自棄だ。

 このまま放置していたら自傷行為もしかねない。

 最悪、自ら命を絶つことだって……。


 傷つくのはこれくらいで十分だ。

 これ以上、片桐さんには傷ついてほしくなかった。


 それでも、片桐さんは自ら破滅の道に進もうとしている。

 急に立ち上がったかと思ったら、いきなり僕のところに詰め寄って僕の手を引っ張る。

 そして僕をソファへ追いやり、押し倒してきた。


「もう、どうすればいいのかわからないんです。愛され方も、生き方も、全部わかんなくなっちゃいました」


 片桐さんの笑みはひどく歪んでいて、表情と感情がちぐはぐしているようだった。

 彼女の長い髪が僕の頬に触れる。

 くすぐったくて、だけど少し悲しかった。


「あなたなら、私を愛してくれますか? このぐちゃぐちゃになった心を、満たしてくれますか? 今までの私を全部塗り潰してくれますか?」

「片桐さん」

「もう村山くんにしか頼れないんです。こんな私を受け入れてくれるのは、世界中を探してもあなたしかいない」

「ねえ、片桐さん」

「お願いします。ぐちゃぐちゃにして忘れさせてください。だからどうか、私をよごして? 」

「片桐さんってば!」


 僕は叫んだ。

 これ以上片桐さんの一人よがりなんて聞いていられるか。


 塗り潰す? よごす?

 そんなことできるわけないだろ。


 今からの感情は全て僕のエゴだ。

 僕は一方的に愛されることしか知らない。

 だから、一方的な感情のぶつけ方しかできない。


 僕を押し押す片桐さんの腕の力が弱まったのを見計らい、僕は彼女の手を振りほどいて優しく片桐さんを抱きしめた。


「なんで全部そういう方向に持っていこうとするの。もっと自分を大事にしてよ」

「でも、私……」

「愛され方なんていっぱいあるよ。自分の身体なんて売らなくてもさ」


 確かに彼女の身体は女性としてとても魅力的だ。

 容姿も綺麗で、放っておかない世の男性などいないだろう。

 ただしそれは身体だけの目的だ。

 きっと片桐さんが思っているような愛情とは全然違う。

 それはただの欲望を煮詰めただけに過ぎない。


 ただ隣にいる。

 それだけでも愛情は感じられるのではないだろうか。

 たとえそれが軽口を叩き合える仲であったとしても。

 須藤と藤堂さんがそうであるように。


「だから僕は君のことを大切にしたい。汚したいだなんて思わないよ。今までの君も、これからの君も、全部受け入れていきたい。僕が、君の居場所になってあげるから」

「居場所、ですか……」


 うん、と頷いて、僕は我に返る。

 ひょっとして、とんでもないことを言ってしまったのではないだろうか?

 これじゃあまるでプロポーズじゃないか。

 もちろん僕にそんな気はない。

 いや、正確に言えば僕も実のところ「愛する」ということについて深く理解できていないから、片桐さんに対する感情が愛情なのかどうかすら判別できない。


 とはいえ大切にしたいという気持ちに変わりはない。

 それは境遇が僕と似ているということもあるし、一緒に時間を過ごして、楽しいと思えたから、もっと一緒にいたいと思えたからでもある。


 ふふ、と笑みがこぼれる音が聞こえた。

 抱きしめているから顔は見えない。

 だけど、口角が少しだけ上がっているということは察しがつく。


「嬉しいです。そんなことを言ってもらえて」


 ぎゅっと、片桐さんは僕を抱きしめてきた。

 それに応じるように、僕も力強く彼女を抱きしめ返す。

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