第33話「だから愛して③」

 泣き終えた片桐さんは、目を赤くして鼻をすすりながら、僕の手を握る。


「とりあえず、私の家に来ませんか?」

「いいの?」

「はい。両親共にいませんから」


 少し空気が重たくなる。

 本来なら心ときめく言葉なのだろうけれど、片桐さんの場合、これは愛されていないことの証明になってしまうから。


 とはいえ、今の彼女を放っておくわけにもいかない。

 僕は片桐さんの誘いに乗り、彼女の家に向かった。


 彼女の手も震えていた。

 相当怖い経験をしたのだろう。

 いつも気丈に振る舞っている片桐さんがここまで怯えているなんて、一体何があったんだ。


「大丈夫? その、何かあったみたいだけど」

「はい。大丈夫です」


 やはり言葉に元気がない。

 こんな彼女を見るのは初めてだ。

 やっぱり、片桐さんには笑ってほしい。


 駅から歩くこと約5分、僕たちは駅近くのマンションに入った。

 都会の高層マンションほどではないけれど、周囲の建物と比べるとやはり存在感がある。


 エレベーターに乗り、片桐さんは10階のボタンを押す。

 この階がこのマンションの最上階らしい。


「入ってください」


 彼女は部屋を開ける。

 女子の部屋に入るなんて、これが初めてだ。

 そもそも友人の家に向かうことすら経験したことがない。


「お、お邪魔します……」


 妙な緊張感が部屋から漂う。

 恐る恐る、僕は彼女の玄関に一歩踏み入れた。


 内装はひどく綺麗だった。

 清潔感があるのはもちろんだが、余計な置物が一切ない真っ白の空間。

 カーペットすら敷かれていなくて、家具があること以外生活感が感じられない。

 こんな部屋に彼女はいつも暮らしているのか。


「かけてください。今、お茶淹れますから」


 キッチンに向かった片桐さんは冷蔵庫からお茶の入った容器を取り出す。

 色から見て麦茶か烏龍茶だろうか。

 そのお茶を彼女はコップに注ぎ、僕に差し出した。


「どうぞ」

「ありがとう……」


 僕はダイニングの椅子に腰かけ、お茶を一口飲む。

 麦茶だ。

 普通に美味しい。


「お口に合いませんでしたか?」

「いや、美味しい。大丈夫」

「そうですか。それはよかった……」


 ほっとしたように微笑んだ彼女は、僕の正面に座る。

 いつもの明るいオーラがないせいか、いつもよりも小柄に見える。


 今日の彼女の服装は、谷間が少し見えるシャツと、黒のミニスカートだ。

 いつも以上に男受けに特化した格好をしている印象だが、そのせいで片桐さんはよからぬ事件に巻き込まれたのだろうか。


「そろそろ、教えてくれないかな。君に何があったのか」

「そう、ですね……」


 少し俯いた後、片桐さんはすんなりと答える。


「端的に言いますと、クラスメイトに見られたんです。迂闊でした」


 吐き捨てるように彼女は言葉を吐いた。

 まるで自分の愚かな行いを自重するかのように。


「あれは……あずまくんと渡良瀬わたらせくん、それと木部きべさんに手塚てづかさんでした。現場の様子を目撃されてしまいまして。木部さんと手塚さんに写真を撮られ、東くんと渡良瀬さんは私を襲おうと近づいてきました。あの目に優しさは微塵も感じませんでしたね。おそらくホテルに連れ込んで、私をレイプしようとしたんでしょう」


 片桐さんが名前を挙げた4人は、クラスのカースト上位の人たちだ。

 明るくてキラキラしていて、イベントごとでは常にクラスの中心になる人物ばかり。

 もちろん周囲からの人望も厚く、クラスのムードメーカー的な存在として位置づいている。


 ただ、彼らは少々「自分が中心として世界が回っている」と思っているきらいがある。

 まるで自分が世界から愛されていると錯覚しているみたいだった。

 だから彼らの素行は品行方正、とは呼べず、不良とまではいかないが、派手でやんちゃな生徒、という悪い一面も持ち合わせている。


 片桐さんの話を聞いて、彼らがなぜホテル街にいるのか理解できないわけではなかった。

 むしろ、夏休みなのだからそういうことくらいするだろうなと納得すら覚えた。

 だとしてもレイプしようと考えるかね、という憤りは感じるけれど。


「それで、あんなに怯えてたんだ」

「はい。あのような目を向けられたのは初めてでした。奇異と劣情で濁った瞳。それをクラスメイトから向けられて、すごく怖くなったんです。同時に、私、今まで自分のやってきたことも恐ろしく感じてしまって……」


 また片桐さんの声が震えだす。

 涙を堪えているようだったけれど、それも時間の問題だろう。

 すぐに涙腺のダムは決壊するに違いない。


 彼女は続けた。


「村山くんの言った通りです。結局、他の人たちも私のことを愛してなんてくれなかった。ただ性欲を満たしていたにすぎません。私、なんでこんな単純なことに気づけなかったんでしょう。これじゃ私、ただのバカじゃないですか」


 ボロボロと片桐さんの瞳から涙が零れ落ちた。

 泣いている彼女を見るのはこれで2度目だ。

 できればもう、こんな辛そうにしている片桐さんは見たくない。

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