第32話「だから愛して②」

 勢いで外に飛び出してしまったが、僕はひとまず駅に向かった。

 彼女がどこにいるか全くわからない。

 ただ、片桐さんのところへ向かうのなら、帰る手段が必要だから、電車を使うしか他ない。


 その間僕は走りながら片桐さんに電話をかけた。

 どうか杞憂であってほしい。

 いや、杞憂でない方が僕にとってはいいかもしれない。

 なんせ、あんな風に啖呵を切って家を飛び出してしまった手前、何事もなく戻ってしまうと雷が待っていることは明白だ。

 だけど片桐さんに万一のことがあっては大変だから、どうか僕の思い過ごしてあってほしい。


 電話は少し間が空いて繋がった。

 もしもし、と尋ねてみるけれど、反応はない。

 ただ、電話越しに騒がしい雑踏の音が聞こえてくる。

 外にいるみたいだ。


 そういえば彼女は、この日もパパ活をすると言っていた。

 まさか、それ関係でトラブルが起きたのか?

 だから言わんこっちゃない、という思いが半分と、そういうことに巻き込まないでくれ、という感情が半分絡み合っている。


「どうしたの、片桐さん」


 再び声をかけた。

 今度は、か細い声が聞こえてきた。


「村山くん……」


 彼女の声は震えていた。

 何かに怯えるように、声を潜め、僕に助けを求めてくる。


「助けてください。このままだと私、死んでしまうかもしれません」

「落ち着いて。今どこにいるの?」


 泣きながら、彼女は自身の居場所を答える。

 どうやらまだ市街地にいるらしい。


 しかしこれでどこに向かえばいいのかはっきりとわかった。

 幸いなことに、電車も丁度いいタイミングでやってきた。

 あまりにも良すぎるタイミングだったものだから、少し怖さすら覚える。


「待ってて。今から行くから」

「ごめんなさい……」


 電車に乗るため、僕は電話を切った。

 そのすぐ後に、今度はメッセージが届いた。


『やはりあなたにここまで来てもらうのも忍びないので、私もそちらに向かいます。私の最寄り駅で落ち合いましょう』


 大丈夫なのか、と少し心配に思ったけれど、正直そうしてくれた方がありがたい。

 電車代も浮くし、それに何より片桐さんに早く会うことができる。

 とはいえタイムラグがあるからそこまで差はないだろうけれど。


 わかった、と返信をした僕は、スマホに入っているGPSアプリの設定を全て落とした。

 本当はもっと前からできていたことだ。

 だけど反抗すると母さんからの叱責が面倒くさいからやってこなかった。


 ただ、今日に限っては母さんに追ってこられると面倒だ。

 せめてもの反抗だと思ってほしい。


 いつか、片桐さんに言われたことを思い出す。


 ──あなたの人生なんですよ? もっと、自分らしくとか、どうありたいかとか、模索しないんですか?


 ああ、思っていたさ。

 もっと自由に生きられたらって。


 許嫁という枷をしているにもかかわらず、のびのびと恋愛をしている須藤と藤堂さんを見て、そう思わないはずがないだろう。

 僕だって、もっと友達と楽しく遊んだり、放課後にどこかの店でだべったり、休日はみんなと一緒に出掛けたかった。


 だからこの夏、片桐さんと一緒に勉強をしたり、水族館に行けてよかった。

 できることなら、僕だって君と一緒にいろんなところに行ってみたいさ。

 もう夏休みが終わるのも残り2週間近くとなったけれど、今からでもそれを願うのは遅くないだろうか?


 須藤にも感謝をしておかなければな。

 彼が僕を誘ってくれなかったら、そして片桐さんに根回ししてくれなかったら、僕はこんな感情を抱くことなんてなかったから。


 電車は片桐さんの最寄り駅に到着した。

 ここまで約20分、あっという間だ。

 僕は電車を降り、片桐さんが来るのを待った。

 

 じめっとした嫌な夏の熱気が肌にまとわりつく。

 もう夜だというのに一向に涼しくならない。

 真昼と比べたらまだマシだけれど、この蒸し暑さが僕の中の不快感と焦燥感を駆り立たせた。


 何事もなければいいんだけど。


 そんな不安と戦いながら、片桐さんを待つこと約20分、片桐さんを乗せた電車が停車し、電車から片桐さんが降りる。


「片桐さん!」


 力の限り彼女の名前を叫んだ。

 周囲の数名が僕に向かって振り向く。

 知ったことか。


 片桐さんも声の方向にくるりと振り返えり、僕のことを見つけると目に光を宿らせた。

 反対側のホームにいるため、連絡通路を通り、片桐さんは僕がいるホームへ駆けてきた。

 そして彼女は、僕に飛び込んでくるかの勢いで抱きしめる。

 ぎゅーっと、力強く、絶対に離さないという強い意志を感じた。


「ちょ、痛い痛い痛い」


 だけど不快ではない。

 母さんの抱擁よりもずっと温かかった。


 何が起きたのかはわからないけれど、不安で仕方なかったのだろう。

 今日ばかりは彼女のわかままに何でも付き合ってもいい、という覚悟ができた。


 人目をはばからず、僕は片桐さんの頭を撫でる。

 ポンポン、と優しくさすると、それが彼女のスイッチだったようで、ずび、とまた泣き始めてしまった。


「とりあえず、落ち着くまでいっぱい泣きな? 話はその後聞くから」


 コクリと頷きながら、彼女はすすり泣いた。

 道化ではない片桐さんの一面をまた見れたような気がする。

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