第27話「おうちデート④」

 つまらない話でしょう? と片桐さんは尋ねる。

 微笑んでいたけれど、目は笑っていなかった。

 こういう時、どういう反応をすればいいのか困る。


「……つまらなくはないよ。君の全部をわかったつもりじゃないけど、いろいろあったんだなって」

「そうですね。いろいろありました……いえ、逆に何もなかった、という方が正しいのでしょうか。父も母も、私に親らしい素振りを見せたことなんて一度もありませんでしたから。食事もカップ麺やコンビニ弁当ばかりで、家事はほとんど私がやっていましたね」

「じゃあ、お母さんがいなくなって、これで面倒を見る相手が減ったって思わなかったの?」

「いなくなった数日後には思っていましたよ。でも、当初はやはり喪失感の方が大きかったですね。まがいなりにも母親でしたので」


 片桐さんの口角が少し下がる。

 顔から笑みが消えた。


「やっぱり私は、両親に愛されたかったんです。でも、今となっては誰でもいい。誰でもいいから、私を愛してほしい。そんな風に変わってしまいました。もちろん、村山くんでも構いません」

「僕は……誰かを愛せる自信なんてない。誰かを愛することは、誰かと呪うことと紙一重だから」


 母さんが僕に抱いている支配欲も、元々は僕への愛情だったはずだ。

 父さんがまだ生きていた頃、母さんはちゃんと母の役割をしていた。

 少々過保護で心配性な部分はあったけれど、それでも僕のことをちゃんと愛していたと思う。


 愛は、ふとした瞬間に狂気に変貌する。

 それを知っているから、僕は人を愛することなんてできない。

 僕に母さんの血が流れているならなおさら。


 ふふ、と再び片桐さんは優しく微笑む。


「いいんですよ。私は愛してくれる人がいればそれでいい尻軽女なんですから。こんな女性、村山くんは好きじゃなかったはずですよ?」

「あ、ああ。そうだね……」


 あの日、彼女の裏側を知った時に抱いた印象だ。

 不特定の誰かと交友を持つなんて汚らわしい。

 それに加えてどうして僕に付き合ってほしいとお願いしてくるのか、理解できなかった。


 でも今なら少しだけ彼女の気持ちがわかる。

 片桐さんは、寂しかったんだ。

 家に誰もいないから、こうしてその寂しさを埋め合わせることで愛情を補充している。


 だけどこの行為は到底褒められたものではない。

 下手をすればどこにも居場所がなくなってしまう。


 僕は彼女の手を優しく握った。

 どうしてそういうことをしたのか、自分でもわからない。

 ただ、片桐さんのためにできることを、と思ったら、自然と体が動いていた。


「僕は、片桐さんの彼氏にはなれない。けど、もし君が寂しくて辛い、助けてって思ったときは、迷わず僕のことを頼ってほしい。その時は、多分須藤や藤堂さんも何か力になってくれるはずだから」


 柄でもないことを言ってしまったから、ぼうっと頬が熱くなる。

 冷房の効いた部屋にいるはずなのに、炎天下に晒されているような感覚だ。


 片桐さんの口元が弧を描いた。


「どうしたんですか? らしくないですね。まさか、本当に彼氏になるおつもりで?」

「だから、そんなつもりはないよ」

「では、あなたにとって、私は何ですか? ただのクラスメイトですか?」

「いや……友達、で、いいかな」


 ふむ、と片桐さんは目線を上にやり、また僕の方に戻した。

 ニヤリ、と不敵な笑みを浮かべる彼女は大抵僕をからかうモードに移行している。


「まあ、村山くんにしては及第点レベルの回答でしょうか」

「ならどういう答えをしたらよかったんだ? さっきも言ったけど、彼氏にはなれない」

「いえ、そこじゃないですよ。どういう友達か。これが大事なんです『大切な』とか『かけがえのない』とかいろいろ修飾できたはずなのに。それが抜けているのはマイナスポイントですよ?」

「そう、なんだ……」


 だけど及第点は取ることができた。

 何も知らない僕にしてみれば、いい結果なのではないだろうか。


「じゃあ、そろそろ勉強会の続きでも──」

「ちょっと待ってください」


 手を離そうとした僕を、片桐さんは引き止める。

 僕の掌の中で、片桐さんの拳がきゅっとほんの僅かに握られた。

 それに、僕を呼び止めた片桐さんの頬もほんのりと赤い。


「もう少し、握っていてください。ダメですか?」

「いや、ダメじゃないけど……君、何もできないよ?」

「いいんです。この何もないあなたとの時間を大切にしていたいので」


 今日一番の柔和なスマイルだった。

 慈愛に満ち溢れた微笑。

 僕もドキリとして、直視できなかった。


 会話もなく、ただ静かな時間だけが流れる。

 どくん、どくん、と心臓の鼓動が早くなる。

 どうかこの音が片桐さんに聞こえてませんように。


 チラリと片桐さんを一瞥すると、彼女もはにかんだ表情を浮かべていた。

 いつも経験値の差で余裕を見せている彼女とは全くの別人のように見える。


 一緒なんだ、僕と。


 さらに片桐さんの手を優しく握った。

 どんどん顔を赤くする片桐さんが少し面白かった。

 けれどこれ以上は勉強会にならない。

 パッと手を離し、再び問題集に取り掛かる。

 これ以上繋いでいたら、僕の方まで危なかった。

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