第25話「おうちデート②」

 何か仕掛けてくるかと思ったけれど、何もなく、気がつけば昼時になっていた。


「何か作ってあげましょうか」

「いいよ。ここで料理すると跡が残って母さんにバレる」

「そうですか。仕方ないですね」


 片桐さんは鞄の中から弁当を取り出し、僕の目の前で美味しそうに食べる。

 僕も冷蔵庫の中にあった、母さんが作ってくれたお昼ご飯を食べる。

 ハムエッグという簡単なものなので、それなりに味はあった。

 単純な工程なら美味しいのに、少し手を加えると途端にダメになる。


「美味しいですか? それ」

「いつもの弁当よりはね」

「一口食べたいです」


 目の前で片桐さんはなぜかわくわくと待機していた。

 小皿でも出してすぐに洗い物でもすれば母さんにもバレないだろうか。

 そんなことを思いながら立ち上がろうとすると、「どこに行くんですか?」と片桐さんの少し悲しそうな声が聞こえた。


「何って、小皿を」

「そんなまどろっこしいことしなくてもいいじゃないですか」

「どういうこと」

「ほら、あーん」


 彼女は口を開き、再び目の前で待機する。

 こんなことをされたら、何をされたいのかは一目瞭然だ。

 わかっているけれど、恥ずかしくてできやしない。


「やるの?」

「もちろんです。ほら、はーやーく」


 あーん、と片桐さんが待機する。

 これはやるしかない、のか?


 頭を抱え、数秒間自問自答する。

 別に誰に見られているわけではない。

 このくらいの一時の恥、安いものだ。


 ハムエッグを掴み、彼女の前にやる。


「あ、あーん……」


 片桐さんは一口ハムエッグを齧り、もぐもぐと頬張る。

 一口で半分くらい持っていかれることを想定していたけれど、さすがにそんなことはなかった。

 彼女の一口は本当に小さくて、やっぱり女の子なんだな、と実感する。


「美味しいですね」

「多分君が作ったハムエッグの方が美味しいんじゃないかな」

「そんなことないですよ」


 何度か彼女の弁当の中のおかずを食べたことがあるけれど、味付けも整っていてとても美味しかった。

 母さんに見習わせたいくらいだと思っていたのに、そんな片桐さんが僕の母さんの料理を褒めることが違和感でしかない。


 勉強会初日の時も片桐さんは母さんの料理を褒めていた。

 味は薄いという注釈を付けてはいたけれど。

 まさか、片桐さんも味音痴ということは……それはないか。

 片桐さんの作る料理は美味しいから。


「本当に美味しいの?」

「はい。美味しいですよ」

「君が作る料理と、どっちが美味しい?」

「そうですね……他人が作るものは、温かみがあって好きですよ」

「温かみ?」

「はい。誰かに美味しく食べてほしいという温かい思いが伝わってくるんです。私は自分で食べる分だけですから」


 そうなんだ、と返事としつつ、頭の中では首を傾げた。

 果たして母さんにそんな感情は備わっているのか。

 僕のことを手駒にしたいという感情しか持ち合わせていないはずなのに、そんな愛情のようなものが果たして持ち合わせているだろうか。


 もう一度僕はハムエッグを食べる。

 やはりそんな愛情は感じない。

 感受性が低いのだろうか。

 それとも片桐さんは僅かな愛情を感じ取れる力を持っているのだろうか。


 ごちそうさま、と手を合わせ、食器を洗う。

 手伝いますよ、と隣で片桐さんが立つけれど、彼女は何もしていない。

 大丈夫、と断って、僕の分だけ洗い物を済ませた。


「家族がいるって、どういう感覚ですか?」


 椅子に座った片桐さんが尋ねてきた。

 洗い物を終えた僕は、彼女の目の前に座る。


「僕に訊かない方がいいと思う。僕のは、イレギュラーな部類だから」

「イレギュラー?」

「多分母さんは僕を支配したいんだ。そこに愛情なんてない。ああしなさいこうしなさいって母さんが言うのも、僕を母さんの都合のいい道具にするためで、君が思い描いているような家族愛なんてこの家には存在しないよ」

「そう、なんですね……」


 申し訳なさそうな顔をする片桐さんだったけれど、だったら最初からそんな話をしないでほしい。

 別に答えられないものではないけれど、答えていい気持ちにはならないから。


 だから僕も仕返しをすることにする。


「君の家族はどうなの? いつも家にいないって、昨日言ってたけど」

「覚えていたんですね」


 ふふ、と切なげな笑みを浮かべる。

 しかし目は笑っていない。

 その表情に、一瞬だけ怯んでしまったけれど、ここで引き返してはいけない気がした。


「よかったら訊かせてくれないかな」

「いいですけど……別に面白さの欠片もない話ですよ?」

「僕の話も十分つまらなかっただろう?」

「そんなこと、ない、ですけど……」


 片桐さんの返答が詰まる。

 つまりこれは肯定だ。

 しゅんと申し訳なさそうに肩をすぼめる片桐さんだったけれど、別にそのくらいどうということもない。


「僕の身の上話だけ知って、君だけ教えないというのはフェアじゃないと思うんだけど」

「そう言われればそうですけれど……それは反則じゃないですか」


 むすっと口を尖らせた片桐さんだったけれど、観念したのか溜息を一つ漏らし、僕の方を真っ直ぐ見る。


「今から話すことは他言無用でお願いします」

「もちろんだ」


 そうして、片桐さんは自身の家庭環境について話し始めた。

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