第23話「冷たい帰宅②」

 スマホが没収されなかったのは母さんなりの温情だと思っている。

 夕食の時間はいつも通り静かだった。

 味のない食事を済ませ、食器をシンクに流し、僕は自室に戻った。


 いつもと変わらない行動。

 だけど、空気はいつもよりも特段重かった。

 まるで家全体に重力がかかっているようで、今すぐにでもこの家を脱出したかったけれど、さすがにそれを母さんが許すはずがない。


 ベッドの上で横になる。

 今は何も考えたくない。


 そう思っていたのに。


 スマートフォンの着信が鳴る。

 電話なんて基本かかってこないから、すこしびくっとして飛び起きてしまった。

 恐る恐る相手を確認すると、片桐さんの名前が表示されていた。


『もしもし、村山くんですか? 私です。片桐です』


 普段よりも少しかしこまった声。

 まるで優等生そのものの声だ。


 僕は母さんに聞こえないように、けれど電話越しの相手にはちゃんと伝えられるように、小声で話す。


「どうしたの? 何か用?」

『いえ、そういうわけではないんです。ただ、少し心配で。お母様が厳しい方だとお伺いしたもので、それで心配になって……」

「ああ、別にいいのに。片桐さんとは何の関係もない話だから」

『いえ、関係あります。もとはと言えば、私が誘ったことですから……』


 そういえばそうだっけ。

 てっきり須藤が誘ったものだとばかり……いや、須藤から直接誘われたのと、片桐さんを代弁者として誘われたのと2パターンあった。

 前者は断ったけれど、しつこかったので後者で了承した。

 だから片桐さんも責任感を感じているのか。

 そんなもの、全く必要ないのに。


「もういいよ、そんなこと。誰も悪くないから」

『ですが、私、心配で……何かされませんでしたか?』

「そうだな……ほっぺ引っぱたかれた。あと、夏休みはしばらく外出禁止だって」

『そんな、横暴です」


 そうは言うけれど、この家では母さんが絶対なのだ。

 反抗は認められない。

 それに、反抗するメリットも僕にはそこまで持ち合わせていなかった。

 勉強も家でやれば十分だし、そもそも外に出る用事なんてほとんどない。


 だからこの軟禁状態も、そこまで悪いものではない。

 夏休み中の期間限定の話だし、残り3週間耐えきればいいだけの話だ。


 だが、片桐さんは認められないみたいだ。

 静かに怒りを孕んだような声を出す。


『……村山くんは、こんなのおかしいとか、今の状況を変えてやるとか、思わないんですか?』

「そうだね。その感情はゼロではないけれど、足掻いたところですぐにねじ伏せられるし。そんな労力なんて持ち合わせていないよ」

『あなたの人生なんですよ? もっと、自分らしくとか、どうありたいかとか、模索しないんですか?』


 考えてもみなかった。

 この乾いた感情の持ち主こそが僕だと思っていたから。


 さらに、片桐さんは僕が思いつかないような言葉を投げかけてくる。


『明日、そちらにお伺いしてもよろしいですか?』

「……今、なんて?」

『だから明日、村山くんの家にお邪魔しようと思いまして。もしかしてご都合が悪かったでしょうか?』


 どうしてそうなるのか。

 確かに僕は軟禁状態の身に置かれている。

 だけどGPSはスマホに仕込まれているから、それさえ置いて出かけてしまえばいいだけの話だ。

 この外出禁止令だって、法的な拘束力なんてないし、口約束だけの形骸化した契約のようなものだ。

 そもそも返事すらしていないし。


 そもそもこの勉強会が、彼女のあの日の出来事の口封じ代の代わりとして始まったものだ。

 僕には元々そんなつもりなかったから、これ以上片桐さんに付き合う義理もなくなった。

 けれど、彼女のこの優しさを無下にしたくもなかった。


 声のトーンを落とし、僕は片桐さんにいくつか質問をする。

 こういう話は絶対に母さんにバレてはいけない。

 バレたら、また母さんを裏切ることになるから。


「何時に来る予定なの?」

『そうですね。一応いつも通りに10時に勉強会を始める予定ですが、もしかしてその時間帯はまだ親御さんがいらっしゃいますか?』

「いや、もう出勤してる、はず。だから大丈夫だと思う」

『そうですか? ならよかったです』


 電話越しから聞こえる声はどこか嬉しそうだった。

 彼女の声を聞いて、自然と僕も口元が綻ぶ。


『本当は、もっとあなたといろんなところに行きたかったんです。海にも、山にも、川にだって。いろんな夏をあなたと堪能したかった』

「ははは、もういいよ、外出はこりごりだ」


 アウトドアなんて確実に母さんが許してくれない。

 許されたところで門限の関係上すぐに終わってしまうだろう。

 堪能なんてできやしない。


 片桐さんもクスリと笑い、また笑顔が混じった言葉をかける。


『そんなこと言わせませんよ。秋は紅葉狩りにハロウィンで、冬はスキーに初詣。それにクリスマスだってあります。きっと楽しいですよ?』

「待て、1年通していろんな僕たちイベントに参加するのか?」

『当り前じゃないですか。ただ勉強するばかりの高校生活なんて、つまらないですよ?』

「それは、そうかもしれないけど、でも……」


 慣れたらどうということではないのだろうが、初心者には少しハードな業務だろう。

 けれどそのお節介具合がほんの少し心地よかった。


 本人には絶対そんなこと言わないけれど。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る