第21話「水族館ダブルデート?⑥」

 電車が遅延している。

 その言葉だけで僕を絶望させるには十分すぎた。

 どうやら人身事故があったらしく、その対処で現在復旧の目処が立っていないらしい。


「まあ、10分か20分くらいだろうな。が、向こうに着くのは6時を回るだろうな」

「そっかぁ……まあ、仕方ないかな」


 こうなればもう受け入れるしかない。

 全部僕が悪いんだ。

 変に言い訳をするよりも、全部諦めて僕が悪者になった方が楽になれる。


 はあ、と溜息をつき、僕は時計を見た。

 現在時刻は16時30分。

 今から地元の駅まで1時間以上はかかるので、遅延を考慮すると、やはり間に合わない。


「大丈夫なんですか? その、門限……」

「仕方ないよ。誰が悪いわけでもないしさ。起きた状況は受け入れるしかない」

「ですが……」


 心配そうな目を片桐さんは僕に向けた。

 どうして彼女が心配するのだろう。

 片桐さんは何も関係ないのに。


 駅のホームにぞろぞろと人が集まっていく。

 普段ならもっと空いているのだろうけれど、遅延のためごった返している。

 水族館の売店よりはまだマシだけれど、少しでも油断をすればはぐれてしまいそうだ。


「大丈夫。僕の家の問題だから、片桐さんは何も気にしないで」

「あなたが、そう言うのでしたら……」


 何か言いたげだったけれど、片桐さんは口を噤み、それ以上は何も言葉を発することはなかった。


 予定の出発時刻からおよそ10分遅れて、ようやく電車が到着した。

 ドアが開くとともにぞろぞろと人が流れのように電車の中に入っていく。

 もちろん僕らも例外ではない。

 車内は既に人で埋め尽くされていて、僕たちが乗り込んだ時にはもう既に座席は全て埋まっていた。

 今日は一日歩き回って疲れたから、できることなら座って体力を回復させたかったけれど、そうも言っていられない。


「村山くん、なんかゴメンね? その、お母さん、厳しいんでしょ?」

「もう慣れてるから平気。みんな気にしなくていいから」


 不必要に気にかけられると居心地が悪い。

 まるで僕が悲劇の主人公を演じているみたいだ。

 僕はそこまでこの状況を悲観していないというのに。


 とはいえ、久しぶりに門限を破ったから、緊張しているのは確かだ。

 前に門限を破ったのはいつだったか……記憶を辿ってみたけれど、すぐには出てこなかった。

 まあスマホにGPSが仕込まれているので、どの道今日のことはバレてしまうのだから、恐れるよりも諦念の意気込みで臨んだ方がいい。


「今日は楽しかったよ。誘ってくれてありがとう」

「いいってことよ」


 そう気さくに返す須藤だったが、やはりどこか声は沈んでいた。

 だから気にしなくてもいいのに。

 ため息が漏れるのと同時に肩を下げる。


「みんなは門限とかないの?」

「ないない。今時珍しいよ、そういう家。でもそうだな。暗くなる前に、遅くならないうちには帰れっていつも言われてる」

「俺も一緒だ。多分どこの家もそんな感じなんじゃねえかな」


 だろうな、と心の中で返事をする。

 そんなわかりきった答えなんて求めていない。


「私は……そういう風に言ってくれる親がいませんから」


 片桐さんが答えた。

 彼女の笑みは、どこか悲しくて、どこか切ない。

 寂しさを笑顔で誤魔化しているようにも見えたけれど、まるで誤魔化せていない。


「どういうこと?


 藤堂さんが尋ねる。


「いつも一人なんです。親が家に帰ってくることが滅多になくて。だから、門限なんてあってないようなものなんです」


 一気に場の空気が沈んだ。

 単純な興味で尋ねてみたのに、どうしてこんな風になってしまったのだろうか。

 返す言葉も見つからない。

 それは須藤も、藤堂さんも同じだったみたいだ。


 でも、彼女が愛を欲しがる理由の片鱗が見えた気がする。

 家に誰もいない。

 自分を愛してくれる人がいない。

 だから片桐さんは夜の街を出歩き、自分を愛してくれる人を探している。

 概ねこんな感じだろうか。

 だからと言って同情の余地はないけれど。


「お父さんもお母さんもいないの?」

「ええ。家に帰っても一人です」

「辛くない? 寂しくない?」

「慣れましたから」


 嘘だ、と直感的に思った。

 根拠はない。

 ただ、水族館でのはしゃいでいた彼女とは別人であることは確かだ。


 本当は家族が家にいなくて寂しい。

 寂しくはなくても、空虚な気持ちはあるはずだ。

 それを誰かに見せたくなくて、こうしていつも通りを振る舞っている。


 なんだか僕と似ているな。


 本当は僕だって母さんのことが怖い。

 門限を破ったことだって、この後どうなるか正直不安で仕方がない。

 慣れてしまった部分は片桐さんと同様であるけれど、とはいえ恐怖心が完全に拭えたかと問われたら間違いなくノーだ。


「何かあったらすぐに言ってね。アタシ、しーちゃんの味方だから」

「ありがとうございます藤堂さん。ですが私は大丈夫ですよ」


 ふふ、と彼女が笑った。

 いつもの笑顔に戻っていた。

 肥大化した寂寞の想いを封じ込めることができたのだろう。

 強い人だ。

 だって僕は、まだ怖くて心臓の音が聞こえてくるから。

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