第7話「勉強会①」

 翌日、僕は母さんが作ってくれた弁当をリュックに入れ、自転車を漕いで図書館に向かった。

 本当はクーラーの効いた部屋で涼んでいたかったけれど、今日は約束があるから出向かければならない。

 家にいても居心地は悪いだけだから、家を出るいい口実にはなっているけれど。


 図書館が開くのは午前10時。

 その5分前に駐輪場に自転車を停め、自動ドアの前に向かった。

 既に白いワンピースの少女が鞄を持って立っている。


「遅いですよ」

「君が早すぎるんじゃないか。まだ図書館開いてないし」

「そんなの関係ありません。女の子を待たせるなんて、男性としてあるまじき行為です」

「君の価値観を僕に押し付けるな」


 それに、そもそも人を待たせるのは男性だから、女性だから、と言う問題ではないと思う。

 今回の場合、約束の時間にはちゃんと間に合ったのだから許してほしいというところではあるけれど。


 10時になり、職員が扉を開く。

 それと同時に僕たちは図書館に入り、勉強スペースの机に向かい合った。


 さて、と彼女は眼鏡をかけた。

 ただそれだけで知的に見えるのはやはり眼鏡マジックだろう。


「どの教科からやりましょうか?」

「英語」

「それが終わったら保健体育でもしますか? もちろん実習付きで」

「君、そんな面白くない冗談を言う人だったんだね」


 僕がそう返すと、片桐さんはしゅんと肩をすぼめる。

 今のはジョークだとしても下品だ。

 あまりそういうことを言う人は好ましくない。


 僕は黙って問題集を広げ、解き進めようと奮起した。

 が、やはり自力ではどうにもこうにも進めることができない。


「何かわからないところはありますか?」

「あ、ああ、ちょっとね……」


 僕は空白にしていた箇所を見せる。

 片桐さんはそれを見て、僕をバカにする様子もなく、丁寧にどうアプローチをすればいいのか、教えてくれた。


「このそれぞれのwhatは別の使い方をするんです。1つ目のwhatは疑問符として。一番想像つきやすい使い方ですね。2つ目は関係代名詞。これもよく使われます。で、3つ目が感嘆符としての使い道です。これはあまり出てこないので、ここを拾えるかどうかで入試でも変わってくると思います」

「感嘆符?」

「ええ。たとえば『ああ、なんて素敵な日だ』という文章があった時、この『ああ』の部分にあたるのが感嘆符、whatになるわけです。ルイ・アームストロングの代表曲である『この素晴らしき世界』だって、元のタイトルは『What a Wonderful World』ですからね」


 そんな曲は知らない。

 けれどニュアンスはなんとなくわかった。

 

 その後も片桐さんは僕に勉強を教えてくれた。

 彼女のおかげでわからなかったところがどんどんとわかるようになり、解答欄の空白が埋まっていく。


「教えていて思ったんですけど、村山くん、あまり英単語を覚えていませんね?」

「まあ、その節はある、と思う……」

「ダメですよ。単語は語学の基礎中の基礎ですから、ここを疎かにしてしまうと、解ける問題も解けなくなってしまいます」


 それはわかっている。

 わかっているけど、高校に入った途端に覚えなければならない英単語の量が増えたため、全然覚えられない。

 教科書に載っていない英単語が出てこられたら、もうお手上げだ。


 しかし、片桐さんは続ける。


「画質が荒いとたとえ大まかな部分がわかっても、細かいところがわからないじゃないですか。これはピースなのか、この表情は笑っているのか、この服の模様は何か、まあ挙げだしたらキリがないんですけど」

「それと単語を覚えるのと何か関係があるの?」

「大ありです。単語がわからないことで、長文の大まかな流れは掴めても、細かい部分が読み取れないから、問題文の意図を掴むことができない。これって、さっき言った画質の話と似ていると思いませんか?」


 考えたことがなかった。

 やはり頭のいい人は発想が全然違う。

 片桐さんの話は目から鱗だった。


「そうかもしれないね。君の言う通りだ」

「そう思っていただけたら幸いです。さあ、勉強の続きでもしましょうか」


 彼女は微笑みながら、僕と同じ問題集に取り掛かる。

 僕よりもページは進んでいた。

 どうやら課題はなるべく早く終わらせるタイプらしいけれど、この夏はいろんな予定とブッキングしてしまい、なかなか課題を進める時間がなかったそうだ。

 その予定が何かはあえて聞かないでおく。


 勉強会を進めて1時間、他の利用客も徐々に増えていった。

 もちろん学習スペースだって例外ではなく、ただ本を読みに来た高齢者や、中学生まで席に座って始める。

 同じ学校の人間が現れて、僕たちのこと偶然目撃しなければいいんだけど。


「もし僕が君と一緒にいるところを誰かに見られたら、マズくない?」

「そうでしょうか。ただクラスメイトに勉強を教えているだけですから、特に問題なんて何もないと思うのですが。それに、私にとってはそれよりも隠したいことがありますしね」


 ああ、と返事をしながら僕は昨日の出来事を思い出す。

 確かにあんなところを誰かに見られたら人生が終了しかねない。

 ましてや相手が先生だったら、そのルートは免れないだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る