第6話「親②」
僕が小学校に上がって間もない頃、父さんは死んだ。
癌だった。
病気だと父さんが僕たちに打ち明けたときはもう末期の状態で、それからあっという間に父さんは天国に旅立った。
そこから、母さんは変わった。
多分父さんの代わりを務めようとしたんだろう。
元から束縛気質なところはあったけれど、父さんが死んでからそれはますます拍車をかけるようになった。
スマホにGPSを仕掛けるのはもちろん、交友関係もかなり制限をかけてくるようになった。
あそこの家の子はダメ、あの家の子だったら付き合ってもいい、と、勝手に決めてくる。
おかげで「村山のところは親が面倒くさいから関わらない方がいい」というレッテルを貼られてしまった。
そのせいで小学校時代からまともな友人ができたことがない。
今となってはもう慣れてしまったけれど。
「母さん」
「何?」
「明日から、勉強のために図書館に行こうと思うんだ」
僕の言葉に、母さんは一瞬だけ箸を持つ手を止めた。
その数秒の静寂が、僕の心をぞわりとさせる。
「いいわよ。ならお弁当作っておくわね」
母さんの言葉に、僕は否定することはできなかった。
否定は、母さんの愛を否定することと同義だから。
きっとヒステリックに問い詰めて面倒くさくなるに違いない。
でもこれはいつものことだ。
今日は遠出する、と伝えていたから昼食の用意はなかったけれど、学校がある日は弁当だし、休日の日は作り置きを残して母さんは仕事に行く。
基本的に味のしない母さんの手作りの料理だけど、冷凍食品が出てきたときは少しだけ嬉しくなる。
こんなことを母さんの前で言ったらきっと怒られてしまうから絶対言わないけど。
「一人で?」
冷たい口調で、母さんが尋ねてくる。
僕の方に目を合わせてくれないから、本当に愛を注いでいるつもりなのかと疑ってしまう。
「……一人」
「そう」
返答はそれだけだった。
母さんは唐揚げを口に運び、また沈黙を貫く。
ここで「友人と」と答えようものなら、相手はどういう人間なのか、どこの人間なのか、といろいろ細かく尋問されそうだったから、嘘をついてしまった。
どうせ片桐さんが明日来なくても一人で勉強をするつもりだったし。
料理を食べ終えた僕は「ごちそうさま」と手を添えて、食器をシンクに持っていく。
一刻も早く母さんと一緒の空間から脱出したかった。
自室に戻り、ベッドに横になる。
今日はいつも以上に疲れた。
僕の体力のなさも少しどうにかしたい。
「愛、か……」
そして僕がいつも以上に疲労感を蓄積する理由となった要因。
片桐さんは「愛されたい」と言った。
理解できない言葉だ。
愛なんて、ただ痛いだけだから。
母さんは僕のことを愛してる、と思う。
今までは漠然とそうなんだろうな、と感じていた。
その愛情表現が少し歪んでいるだけであって、他の家族と同じように子供のことを大切に思っているのだろう、と。
だけど今日、ふと疑問に思った。
母さんは本当に僕のことを愛しているのか?
思い返してみれば、母さんは普段僕に対してそこまで関心を抱いていないようだった。
だけど僕が何か母さんの機嫌を損ねるようなことをすれば、僕を束縛してくる。
本当は、僕のことを愛しているのではなくて、僕を支配したいだけなのではないだろうか?
「私の言う通りにしていれば、あなたは幸せになれるの」
いつだったか、母さんが僕を叱る際に言っていた言葉だ。
本当かよ、と吐き捨てたくなる。
だって、母さんの言う通りに行動しても、心はちっとも幸せになれない。
母さんの愛は、いつも一方通行だ。
受け止める側のことなんてまるで考えていない。
だから、母さんの言葉はいつも冷たく感じてしまう。
また、階段を上る足音が聞こえる。
僕はベッドから起き上がり、本棚から書物を探すフリをした。
本当はこんなこと、しなくていいのだろうけれど、勉強をサボっている、なんて言いがかりをつけてぐちぐち言われるよりはマシだ。
「お風呂、できたから先に入っちゃいなさい」
「わかった」
「あと、12時には絶対に寝ること」
「わかってるって」
「それから、ちゃんと勉強──」
「やるから、心配しないで」
いい子ね、と呟いて母さんは下に降りて行った。
いちいち確認しに来なくてもいいのに、なんて思いながら、僕は入浴後の着替えを準備する。
やっぱり僕のことを支配したいだけなのかもしれない。
だとしたら、愛って何だろう。
父さんが生きていたら、少しはわかったのかな。
片桐さんならどう答えるんだろう。
きっと人それぞれの幸せの定義があって、その答えは千差万別で、絶対の解なんて存在しないんだろうけど、おおよその共通項くらいは欲しい。
だけど、あの片桐さんのことだから……どうせ斜め上の回答が返ってくるに違いない。
考えても仕方がないので、風呂に入ることにする。
今日はとにかく疲れたから、疲れも悩みも全部洗い流したい。
幸せを感じるのは風呂に入っている時くらいだ。
そのせいで「長風呂はやめて」と母さんによく注意されるけれど。
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