第1話「最悪のエンカウント①」
8月の頭。
その日は楽しみにしていた漫画の新刊が出るということで、僕は電車を降りて市街地まで来ていた。
この駅を降りるのは初めてだ。
地下街は複雑だし、地上も道が入り組んでいてよくわからない。
スマホの地図アプリも僕にとってはあまり使い道のないものだ。
現在位置の表示が若干ズレるだけで混乱を起こしてしまうし、第一に地下の建物と地上の建物を同じマップに表示するからどこがどこにあるのかわかりづらい。
だから地上に出られたのは改札を出てから30分後だった。
今回訪れる書店が初めて行く場所だから、なおのこと迷ってしまった。
ただでさえ長旅で疲弊しているのに、ますます疲労は蓄積されるばかりだ。
外も外でなかなか鬱陶しい。
太陽からの強い日差しと、コンクリート、ビルからの反射熱という二重、三重の暑さが僕を襲う。
雲一つないから余計に暑い。
コンビニで購入した麦茶はもうぬるくなってしまった。
空になったペットボトルをリュックバッグにしまい、地図アプリのナビを頼りに目当ての書店に向かう。
それにしてもここはどこだろう。
ホテル街であることは間違いない。
けれど真昼に足を運んだせいか、いかがわしい雰囲気はなかった。
とはいえあまりこういう場所は好きじゃない。
とっとと退散して目的の書店に向かおう。
なんて、思っていたのに。
ホテルの扉が開いた。
誰かが出てくる。
どこの誰かは知らないけれど、夜の営みを終えた誰かの顔なんて拝みたくない。
……それが顔見知りなら、なおさら。
艶のある綺麗な長い黒髪に目がいった。
黒のショートパンツに白のTシャツは、彼女のシルエットを綺麗に映していた。
いつもは制服の姿しか知らないから、普段の彼女はこんなにラフな格好なのかと驚いたのかと同時に、それ以上に目が引き付けられたのが、彼女のスタイルの良さだった。
出るところは出ていて、引っ込むところは引っ込んでいる。
グラビアアイドル顔負けのプロポーションは、確かに男受けもいいだろう。
そのクラスメイト──片桐詩乃は、僕の姿を見て驚愕としていた。
それもそうだろう。
クラスメイトに援助交際の現場を目撃されるなんて、思ってもみなかっただろうから。
知り合いかい? と彼女の隣に立つ男性が片桐さんに尋ねる。
中年の少し太った男性で、穏やかそうな顔をしていた。
「い、いえ、存じ上げません。どなたと勘違いしてるんじゃないんでしょうか?」
否定する片桐さんだったが、明らかに動揺しているし、明らかに声も彼女のものだった。
隣の男性も気まずそうに僕と片桐さんを交互に目配せする。
それじゃあこれで、とそそくさと退散する男性の背中はやけに小さかった。
気まずい空気が流れる。
渋い顔を浮かべながら、片桐さんは重たい息を吐いた。
まるで鉛が含まれているような重苦しい息だった。
「ここなら誰にもバレないと思っていたのに……」
ポツリと彼女は呟く。
そうは言うけれど、この建物は駅から近いところにあるし、駅も県内有数の大規模なものであるから、クラスメイトが遊びに来る、という想定をしていないことは逆におかしいくらいだ。
実際僕がここに迷い込んでしまったのだから。
片桐さんは綺麗な髪をたなびかせ、冷たい目線を僕に向けた。
普段は慈愛のような笑みを浮かべるのだが、今の彼女の微笑にそんな温かさは微塵も感じない。
「まさか村山くんまでこういうことをしていたなんて、意外です」
「誤解だ。僕はただ道に迷っただけ。それよりも意外なのはこっちだよ。まさか君が援助交際していたなんて……」
「別にいいじゃありませんか。あなたには関係ないことですし」
淡々と彼女は語る。
この様子だとむしろ開き直っていることだろう。
ひょっとしたら、バレることは大きな問題ではないのかもしれない。
僕がモテない人種であることは置いておいて、こういうことをしている奴はあまり好きではない。
それが、クラスの人気者であっても。
「やめた方がいいよ。こんなの絶対危ないし」
「大丈夫ですよ。みんな優しい方でしたし」
「みんなって……ひょっとして、初めてじゃないの?」
「ええ。中学1年の終わり頃から」
となると、2年半近くも援助交際をしていることになる。
まさかクラスの人気者が裏でこんなことをしていたなんて。
だけどあまり自分と関わってこなかった人だからか、そこまで大きなショックは受けなかった。
「……とにかくこういうことはすぐにやめた方がいい。今は大丈夫でも、これから先何が起こるかわからないし、きっと今の言動が未来の君を苦しめるから」
「あまり話したこともないのに随分と心配してくれるんですね」
「それは……クラスメイトがこういうことしてるって、あまりいい気しないから」
「フフフ、お優しいこと」
片桐さんは身を乗り出すように僕の顔をじろじろと見つめた。
Tシャツの隙間から谷間が見えそうになったけれど、そこは理性が勝った。
しかし彼女はニヤリと妖艶な笑みを浮かべる。
「なら、村山くんが私の彼氏になってくれますか?」
「……はい?」
彼女の言っていることが理解できなかった。
その微笑みから、果たしてそれが冗談なのか、本気なのか、僕には判断がつかない。
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