第2話「最悪のエンカウント②」

 片桐詩乃は、クラスでもとても人気のある生徒だ。

 明るくて、快活で、優しくて、美人で。

 成績優秀、スポーツ万能、容姿端麗。

 まさに非の打ちどころがない完璧美少女だ。

 少し古い表現をするなら、クラスのマドンナ、といった感じだろうか。


 そんな彼女が、援助交際をしていた。

 見てはいけないものを見てしまった気分なのに、片桐さんは僕に対して「付き合ってほしい」と懇願する。

 まるで災厄が向こうからやってきたようだ。


 学校一の美少女と付き合えるなんて、学校の男子生徒からしたら夢のようなシチュエーションだろう。

 僕だって彼女の裏側を知らなければそう思っていたかもしれない。

 けれど、こんな愛に爛れた人間だと知ってしまったら、僕は片桐さんに軽蔑さえ覚えてしまう。


「口止めのつもり? そんなことしなくても、僕は今日見たことを誰にも言うつもりなんてないから」

「いいえ違います。単純な私のお願いです。どうか、聞いてもらませんか?」


 片桐さんは僕の両手を掴んで、子犬のような目で僕を見つめる。

 普通の男だったらこれにイチコロだろうけれど、あいにく僕は幼少期に犬に嚙まれたことがきっかけで犬に対する恐怖心が半端ではない。

 最近はある程度落ち着いたけれど、それでも苦手であることに変わりはない。

 だから、彼女の色仕掛けは全く効かなかった。

 こればっかりは自分の性格がひねくれていてとても助かったと思う。


「きっと僕と君が付き合ったって学校中が知ったら、君の価値は下がるよ。当然僕の居場所もなくなる。だからそのお願いは聞き入れられないかな」

「ひょっとして、村山くんってソッチの人ですか?」

「断じて違う」


 強く否定した。

 あらぬ噂を立てられてしまったらたまったものではない。


 片桐さんは僕の手を放し、鞄からスマートフォンを取り出す。

 もう僕との会話もつまらなくなった、ということか。


「もういいかな、僕、本屋に行きたいんだけど」

「本屋って、駅前のショッピングモールのあそこですか?」

「そうだけど……何?」

「それ、反対方向ですよ?」


 ほら、と片桐さんは地図アプリを僕に見せてくれた。

 確かに、今いる場所と反対方向の位置に目的地の書店がある。

 駅から北東の位置に進んでいたつもりだったのに、いつの間にか南西の方に進んでいたらしい。

 通りで見つからないわけだし、こんなところに迷い込んでしまったわけだ。


 ありがとう、と僕は片桐さんにお礼を言い、すぐにこの場を離れようとした。

 けれど彼女は、僕の手を掴んで離そうとしない。


「何?」

「本当にたどり着けるんですか? この街、初めてなんですよね。おまけに方向音痴だと言うし……」

「……だったら何?」

「私が案内しいます。この辺に関しては熟知してますので」


 僕の答えを聞かず、彼女は手を引っ張った。

 少々強引な態度の片桐さんは、まるで僕がフッたことに対して少し拗ねているように見える。

 さすがに僕の思い過ごしかもしれないけれど。


 しかし僕のその予想は案外外れていないのかもしれない。

 ちゃんとついていくから手を放して、と何度も言っているのに、信用できません、なんて言って僕の手を握ったままでいる。

 まるで僕を小さな子供だと思っているようだえ。

 自分が少し進んでいるからって、少し癪に障る。


 僕は彼女の手を振りほどいた。

 あまりにも子ども扱いされ続けるとさすがに気分が悪い。


「拗ねてるの? 僕が君の申し出を断ったこと」

「まさか。そんなわけないじゃないですか」


 しかし図星のようで、彼女は僕の方を向いてはくれなかった。

 声も若干苛立ちが入っている。

 地下街を歩いているから余計にその声が響いた。


 想像していた以上に、彼女には自尊心とプライドがあったようだ。

 だとしたらなぜあんなことをやっていたのか、僕にはさっぱり理解できない。

 いや、自尊心が高いからこそ、それを満たすために今までずっと続けていたのか。

 よくわからない。


「正直、僕は片桐さんのことをあんまり知らない。ただのクラスメイトだし、話したことなんてほとんどないし。だから、その状態でいきなり『付き合って』なんて言われても、さすがに付き合えないよ。ましてや、あんなことをしている人だなんて知ったらなおさらね」

「意外とお堅いんですね」

「君が緩すぎるだけだと思うよ」


 それもそうですね、と彼女はクスリと笑い、また歩みを進める。

 僕も片桐さんの後ろについていった。

 これで少しは彼女の怒りも鎮まっただろうか。


 地下街を歩くこと約5分、僕はようやくお目当ての書店にたどり着くことができた。

 彼女がいなければ僕は一生迷子になっていたことだろう。

 出会いは最悪とはいえ、この場所で会ってよかった。


「ありがとう。目当ての本も買えたし、本当に恩に着る」

「なら、少しくらいお礼してもいいんじゃないですか?」

「厳しいね……」


 しかし彼女の言うとおりだ。

 お茶くらいなら奢ってあげる、と言ったら、片桐さんは「わーい」と小さくはしゃいだ。

 こういう姿だけ切り取ると年相応の女子に見えるのに。

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