第9話

 翌朝。

 七時前に目覚めた里莉たちは、朝食を終えると外に出る。朝食といっても、昨日と同じく栄養食品である。早く調査に向かいたいのか、里莉は自分の分を食べ終えると、まだ食事をしている大介を急かすように自分の身支度をする。


「じゃ行くか」

 大介も里莉につられるように素早く準備を終え外に出る。

 北西の橋から遊歩道に出て大学の敷地の外に向かう。今回は昨日里莉たちが入ってきた穴の方に歩いていく。すると、時刻が七時を過ぎると、辺り一面非常に濃い霧に包まれた。

「すごい霧ね。視界がすごく悪い」

 里莉の言うように、霧のせいで2、3メートル先すら把握しにくくなっている。

「なんの前触れもなく霧が出てきたな。さっきまで普通に晴れだったのに」

「持続的か突発的かは分かんないけど、たぶん天変地異のせいでしょ」

 本来怪物が現れるかもしれない場所で、視界がこれだけ悪いと怪物の襲撃に気づきにくく命取りとなる。しかし、視覚だけでなく嗅覚や聴覚でも怪物を感知することのできる大介がいるため、里莉は特に気にすることもなく歩みを進める。

「これだけ霧が濃いと方向感覚がバグりそうね」

 そう言う里莉は、迷わず進んでいる大介の後ろをついて行っている。

「普通はそうかもな。田畑が多くて目印にできる建物とかもほとんどないからな。大学内も、建物は外観が似てる上に配置も対称的でそれを囲む遊歩道も同じような道が続くだけだから分かりにくいだろう」

 そう言う大介であったが、一度来た場所なら道や建物の位置関係などを完璧に覚えることができるので、一回も迷うことなく目的の場所に到着した。

 およそ一日ぶりに来たが、壁の穴は里莉たちが通ってきたときのままであった。

 霧深い中、里莉たちは壁に沿って内側を歩いていく。大きな岩が比較的規則正しく積み重なった壁は、抜け穴や壁の上に登っていけるような所は見当たらない。

 円状にそびえ立つ壁を半分ほど歩いてきた里莉たちは周辺とは違う場所に出くわした。

 大型のトラックがギリギリ通れるくらいの大きさのトンネルがあった。しかし、鉄格子がはまっているため、出入りはできない。格子の幅は大きめであるが、細い体型の里莉でも通ることはできなかった。

「出入り口はあったけど、ギリギリ通れないわね。こっから車の出入りはあったみたいだけど」

 里莉は鉄格子から壁の外を眺める。トンネルの向こう側は道路が見える。ちなみに、七時に発生した霧は、二時間ほど経つと綺麗に晴れた。

「ここの出入りには鍵が必要みたいだな」

 鉄格子には大きな錠がつけられている。そして鉄格子の扉の開閉を行うようの取っ手があり、それを持って内側の方に引っ張って開けることが出来るような構造だ。壁の外からの人の侵入を防ぐためにつけられているようで、壁の外側から錠前の部分に触れようと、格子の隙間から腕を通しても届かないように囲いがあり、壁の内側からしか鍵の開け閉めが出来ないようにされている。

「壁ができて、穴が開けられてからこの鉄格子を取り付けたみたいだな。結構大掛かりな工事でもしたんだろう。周りに土壁もあるし、何か能力も使ったかもしれないな」

「少なくとも一年以上前からありそうね。どっかに鍵とかあるのかな。鍵の大きさ的にも、そんないくつも鍵があるとは思えないから、誰かが持っててもおかしくはないけど……」

「今のところは見つかってないな。一番可能性があるのは、コミュニティのリーダーあたりが持ってそうだけど、”むねすけ”の部屋の中にそんな鍵なかったしな」

「というか、こっから誰かが出てたら、この鉄格子は開いてないとおかしいけどね。外から鍵はかけられないし」

「ああ、それもそうだな。推理小説的になんかトリックを使って外側から鍵をかける手立てがあったとしても、わざわざ鍵を閉める必然性もよく分からないな。……で、ここの鍵は開けとくか?」

 大介はポケットから針金を取り出して里莉にそう聞いた。

「んーと、今はいいかな。開けることは出来ても、鍵を閉め直すことは出来ないでしょ?」

「鍵がないから無理だな」

「誰かがここから入って来ても困るし、とりあえずこのままで」


 鉄格子のはまったトンネルを離れ、里莉たちは再び壁に沿って歩き出す。

 しかし、里莉たちはその後は新たな発見をすることなく、壁の内側を一周してしまった。

「結局出入口は私たちが入ってきた場所と、鉄格子のはまってたトンネルだけだったね」

「そうだな。それでこれからどうする。昨日見ていない場所を見ていくのか?」

「……うん、そうだね。昨日は大学の北側から東側にかけて見ていったから、今日は逆側を見ていきましょう。建物が残っている箇所は昨日の時点でほとんど見終わっているから、すぐに見終わりそうだけど」

 

 里莉たちは大学の敷地の外を順々に見て回る。実際、倒壊してしまった木造アパートや、廃墟と化し、いつ崩れてもおかしくない一軒家がちらほらあるくらいで、残りは荒れ果てた田畑であるため、そんなに時間をかけずに調べていくことがてきる。

 そんな中、大学の敷地から南西の方に行ったところの一画に、人の手が加えられた畑が少し広がっていた。

 元々使用されていた畑を雑草を抜くなどして整備し直し、土を耕して食物を育てていた。

「豆ね。確かに栄養素的には良い食材だわ」

二、三日ほったらかしにされたのか、わずかに出てきた芽は枯れつつある。

「まだ育て始めたばっかりっていうところか。いま耕している土地の広さだったら、十人を養うには足りないな」

「まだこれからじゃないの?使える畑を広げようとしてたとも思うし」

 畑のそばにはトタンの屋根の小さな小屋があり、そこには使用された形跡のあるいくつかの農具が置かれていた。

「そういや"のぶすけ"の靴に付いてた土の事を言ってたけど、ここのみたいだな」

 大介は畑から少量の土を手に取る。

「うん、そうみたい。"のぶすけ"は畑の手入れをする担当だったのね」

「それについてはそうだと思うが、なんでここだったんだろうな。もうちょっと大学から近い場所でも畑はたくさんあるのに」

「畑に使う水の関係でここにしたんじゃない?ほら、あそこの場所、井戸でしょ」

 里莉が指差したのは黒っぽい箱のようなものだった。

「確かにそうだな。……この辺に流れている地下水を引いてるみたいだな」

 黒いコンクリートで囲まれた井戸は、直接中を覗き込むことはできないが、水を汲み上げるためのポンプが付いており、そこから水を出すことができた。

 大介はその井戸水を少し汲み上げ、有害な成分が混じってないか軽く確認する。

「……特にやばそうなのは混ざってないな。まあ、浄水された水道水ではないから、直接飲むのはあまりオススメしないが」

「そっか。コミュニティのメンバーを建物から閉め出した人物はここの井戸には特に手を加えなかったのね」


 畑の周辺を見た里莉たちは、大学から南東の方にある区画を調べていく。

「ここは元々病院だったのかな」

「えーっと、坂田医院って書いてあるな」

 とある建物の前で里莉が足を止める。入り口の所に残ってある看板の文字を大介が読む。建物も残ってはいるが、いつ崩壊するのか分からないくらい、建物にはヒビが入ってたりしている。そのため中に入ることはしない。すると、大介が風に吹かれてやって来た臭いに気づく。

「里莉。この近くに死体がある」

 里莉はそれを聞いて形のいい眉を少し上げ、驚いたような顔をする。

 

 死体があったのは崩れた病院から数分歩いた場所であった。雑草が伸びきった畑のわきの水路に男の死体が横たわっていた。

 水路と言っても水は流れておらず、乾ききった水路の地面の上に肥満体型の男が倒れている。水路の深さは1mもないくらいなため、里莉は自分で死体のそばまで行く。

「どうやらC棟の203室の部屋の持ち主みたいね」

 身長160cmほどの肥満体型のその男は、四十代くらいの中年の男であった。

「さてと……”よしすけ”は五日くらい前に死んでるわね」

 十一人目の死体を里莉は”よしすけ”と名づけた。

「これは怪物にやられてるな。鋭い鎌みたいなのでバッサリか」

 ”よしすけ”の右肩から腹部にかけて、ざっくりと切り裂かれた跡がある。

「そうね。一撃ね。切り口もきれいなものよ。ほとんど即死ね」

 畑を突っ切って怪物から逃げようとしていたのか、雑草をかき分けて進んだような跡も残っている。

「昆虫型の怪物ってとこか」

 大介は過去の経験から怪物のおおよその姿を思い浮かべる。里莉は”よしすけ”のズボンのポケットから二本の鍵を取り出す。

「それで、鍵は持っているわね。予想通り、《C棟》と《C-203室》の鍵」

「このネックレスって……」

 死体の首元には、手のひらサイズの金の十字架のついたネックレスが付けられていた。怪物に殺されたときに斬られることなく残っていた。

 何かに気づいた里莉は、ネックレスを死体から外し、十字架の部分を少しいじる。すると、十時の下半分の部分が剣の鞘のように外れ、中から鋭利な刃が出てきた。

「やっぱり武器みたいなものだったのね」

「ちょっとした護身用のものみたいだな。対人だったら凶器になりうるけど、怪物相手には意味のないものではあるな」

 実際怪物によって殺された”よしすけ”が死ぬ前に抵抗してネックレスに手をつけようとした形跡もなかった。

 しかし、日常的にネックレスをつけていたのか、”よしすけ”の首元にはネックレスで出来た日焼けの跡があり、常に皮膚と接触していたとみられるチェーンの部分は皮脂などのせいで変色していた。

「例のごとく、荷物もろくに持ってない寝間着姿なわけだが……」

「”よしすけ”も閉め出されたんでしょう」

 ”よしすけ”の死体の様子も、”やすすけ”や”みつすけ”らと同じであった。

「どうかしたか?」

 一通り死体を調べ終わった里莉は、急に黙ったまま考えこむ。

「いや、ちょっとね。これまで十一人の死体を見てきたわけだけど、その時系列がどうなってるのか不思議に思ったのよ」

「時系列か。とりあえず一番初めは”ただすけ”だろ」

「うん。壁の外で死んでたし、それは見せしめとか処刑的な意味合いで殺されてたわね。時系列的にも日数が離れているし、そこはとりあえず置いておいていいかな」

「じゃあ次は”むねすけ”か?」

「コミュニティのリーダー格の”むねすけ”と、副リーダー的な存在の”はるすけ”が日付を置かず、近い時に死んでるわね」

「ああ、そうだったな。ところで、”はるすけ”が副リーダーなのは何か理由が?」

「なんとなくそうかな、って。強いて言うなら、D棟に比べたら劣るけど、C棟の中では一番いい部屋で寝泊まりしてたし、あれだけ武器を揃えていたでしょ。中心メンバーじゃなかったら”むねすけ”も武器の所持を認めないんじゃないかしら。だってその武器で裏切るかもしれないんだし」

「まあ、銃を持ってるからって安心はできないもんな」

 C棟で一番いい部屋というのは、一階、二階はまず建物を覆う土壁のせいで窓も開くことが出来ず、日の光が一切入ってこない。三階でもいくつかの窓はあるが、C棟三階で暮らしている人間がいた三部屋については、窓が開かず、昼でも明かりをつけないといけないことは容易に想像がつく。あとは純粋に”はるすけ”の部屋が少し大きかったということがある。同じ教授室ではあるが、”はるすけ”の部屋の元々の主である教授が特別に工事をしたのか、居室が少し広くされていたのだ。

「そして次に順番でいえば、”みつすけ”、”つな子”、”やすすけ”、”ひですけ”、”よしすけ”が同じグループに入ると思う」

「同じグループっていうのは、同じくらいの日に死んだってことだな」

 頷く里莉。

「そして最後のグループが、”つぐ子”、”のぶすけ”、”しげ子”の三人。前のグループの”みつすけ”たちより一日かそれ以上くらいの時間差がありそうなのよね」

「三人とも寝起きの恰好じゃなく、部屋も整頓されていたし、”みつすけ”たちのグループに入らないのは分かるぞ」

「となると、明らかにおかしいと思わない?」

「……最後のグループの三人の内、、ってことだな」

「そう。時系列で言えば、確実に他殺の三人が最後に死んでるのよ。三人の内、二人が残る一人に殺されるのはまだあり得るでしょ。というか実際そうだったかもしれないし。でも、絶対最後に残った人がいるはずなのよ」

「”つぐ子”も”のぶすけ”も”しげ子”も事故とか自殺じゃ考えられないもんな」

「うん。というか、私たちが建物の中を調べた結果、そもそもこの大学内で生活していたのは”ただすけ”を除いて十人だったでしょ」

「そうか。そもそも最後に残った一人を殺す人物の余地もないってか」

「大学の外も昨日と今日で見回ったけど、まだ出てきてない人物が暮らしていた痕跡はなかったでしょ」

「唯一可能性があるとすればネカフェとかコインランドリーのあった場所くらいか」

「それも定期的に人が使用していただけで、暮らしてたって感じじゃなかった」

「まあ、それはそうだな。もしかしたら完璧に自分のいた痕跡を消したのかもしれないぞ」

「何のために?」

 そう聞き返されて大介は少し戸惑う。

「何のためって……」

「コミュニティ内にいるメンバーを皆殺しにしようとした人物Xがいたとして、何のために自分のいた痕跡を消す必要があるのかしら。捕まえる警察もいないのに。Xが注意すべきは同じコミュニティ内のメンバーだから、他のメンバーが生きている間は、証拠を残さないようにする、っていうのは理解できるわ。でも、そもそも全員死んでしまったのに、自分のいた痕跡を消し去る理由が思いつかないわ」

「……まあ、そうだな」

「あと、仮にXがいたとして、どこから壁の外に出たのか、という問題があるわね」

「鉄格子の扉は鍵が掛かったままだから、仮にそこから出た人がいたとしても、中から鍵をかけた人が必要だな」

「うん。もう一つの出入り口は私たちが入って来たあの穴。あそこは一度爆破された後土壁によって塞がれて、もう一度爆破されて今の状態になってるっていうのは分かってる。一回目の爆破がいつか正確なところは分かんないけど、大介だったら分かったりする?」

「あれだけの壁に穴を開けるだけの爆発だし、結構大きな音がしたはずだよな。だけど、一回目の爆発音は俺は聞いてない。これまでに歩いてきた道のりを考えるに、五、六日前に一度目の爆破があったんじゃないかな。それ以降だったら、どっかのタイミングで俺が音を聞いてるだろう」

「怪物に殺された"ひですけ"とか"やすすけ"が五日前くらいに死んでるから、計算的にあってそうね。それで、一昨日の晩に二度目の爆破があって、昨日私たちがあそこから入ってきた。そして、二度目の爆破から私たちが入ってくるまでの間、あそこから出た人はいなかったってことになるわ。いえ、怪物は外に出ていってるわね。でも、あの巨大ナメクジが通った、粘性の液体でぬかるんだ地面の上には何も残っていなかった。もし私たちが来る前に誰か出てたのなら、きっと足跡が残っているはずなのに。つまり、あそこからは出ていないはず」

「……ああ、言いたいことは分かった」

 しばらく無言の時間が続いたが、大介が再び口を開く。

「なあ、昼も過ぎたし、一旦飯でも食わないか」

「それもそうね。戻りましょうか」


 大学の敷地に入ったあたりで急に大介が動きを止める。

「どうかした?」

「誰かが来た」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る