第7話

 ときに、困難は続くものである。

 陽が落ち始め、そろそろ今夜休むための天幕を張ろうとしていた矢先に、それはやってきた。

 メメの表情が急に強張り、戸惑うノアンを強引に駆竜ヤントの背に乗せた。


「行け!」


 メメが駆竜ヤントの腹を叩いたのと、足元が揺らいだのとはほとんど同時だった。

 メメが素早く退しさったところに、大きな顎が突き出てきた。はさみのように長く鋭い顎にはいくつもの棘が生え、捕まればただでは済まない。初撃、空を切った顎は再び獲物を求めて開きメメに襲い掛かる。砂の中から躍り出た体は奇妙に長く、足は一つも無い。


「メメ!」

「構うな! 時間を稼ぐ!」


 それは“虫”と呼ばれる、この砂漠で最も大きく、最も危険な生き物だった。砂に潜り獲物を狩るもの。もうすぐ産卵の季節で、目の前の“虫”がひどく飢えていることにメメは気づいた。本来深追いはしない性質だが、見境のなくなった地中の“虫”は駆竜ヤントにも追いつきかねない。

 ヌイが注意を引くように、鋭く鳴きながら飛び回る。“虫”は目ではなく音で見る。ヌイに惑わされている内にメメが対処できればいい。一撃でも浴びせられれば退くはずだ。

 そう判断して、メメは“虫”の前に飛び込んだ。ナイフが確かに“虫”の腹を裂く。

 しかしその時、地平線に触れた夕陽の光が一瞬メメの視界を奪った。痛みに暴れた“虫”の顎先がメメの核珠チェカかするのを、メメは避けられない。

 赤い石に一筋の傷が入る。


「あ」


 か細い声を残して、メメは倒れてしまった。




 ヌイがけたたましく鳴き、ノアンと駆竜ヤントを呼び戻した。

 “虫”はいくつもの穴を残して地中へ逃げ、辺りは再び静寂を取り戻していた。ノアンはメメを見つけると、駆竜ヤントから飛び降りて駆け寄った。


「メメ、どうしたの、メメ!」


 叫んでも、揺らしても、抱きしめても、メメの瞼は閉じられたままだった。穏やかに眠っているような顔が、ノアンには恐ろしかった。砂漠の気温が落ちるのにつれて、メメの体もどんどん冷えていくように感じた。それをノアンにはどうすることもできない。

 その時、二人の周りの砂が突然に渦を巻いた。

 砂嵐、ではない。舞い上がった砂は見る間に三つの人影になった。砂と同じく、光に白っぽく輝く肌。黄金の瞳。そして額の赤い石。彼らこそ“砂人すなびと”だった。


『哀れな子』

『醜い子』

『愛しい子』


 三人はメメを見下ろし、乾いた囁き声で言った。

 ノアンは驚いて身動きできずにいたが、慌てて一人に縋りつこうとした。が、それを避けるように体の一部が崩れてしまい、ノアンは砂に突っ込むことになった。


『嗚呼、まったく』

『なんて憎らしい』

『なんて美しい』


 六つの目が妬まし気にノアンの青い瞳を見つめていた。ノアンはそれにも構わず、吸い込んだ砂を吐き出すと懇願した。


「お願いです。メメを助けて……!」


 三人の“砂人すなびと”は互いに視線を交わすと、メメの核珠チェカの上に手をかざした。


『自ら“石”をなおすこともできず』

『人になることもできず』

『我らと交わることもできず』

『愚かな子』

『悲しい子』

『愛しい子』


 囁く三人の手からはさらさらと砂がこぼれだし、メメの額に落ちていく。砂が触れる度に、少しずつ、少しずつ、三人に比べれば随分と小さな核珠チェカの傷が消えていった。ぴくりと、メメの瞼が震える。


「……ありがとう!」


 三人の“砂人すなびと”は礼を言うノアンをじっとりと眺めて、声を揃えて『ね』と言ったかと思うと、その姿は消えていた。

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