第18話 エルフ
蛇の頭が右へと展開する。様子を窺うようにこちらを睨みつける黒曜蛇。お互いに相手の動きから目を離すことなく、場はしばしの膠着状態になる。
戦場に似合わぬ不気味な静寂、破ったのはやはり黒曜蛇だ。
今度は突進ではなく狙いすました噛み付き、右肩の辺りを襲ってきたがきっちりと躱す。すぐに首を引こうとする黒曜蛇にカウンターの右拳を突き出した。だが、ぬるんと奇妙な動きで躱される。
「なにそれ⁈」
思わず声を上げるが、そんな暇などなかった。黒曜蛇はそのままもう一度噛みついてくる。しかも右拳を突き出したことで躱しにくい右半身を狙ってきた。
「やばっ」
さっきから黒曜蛇の牙から滴る水滴はおそらく毒。毒はまだ耐性を持っていないため食らうわけにはいかない。だがすでに躱せる段階は過ぎている。普通なら。
いけるか?
俺は右腕のギリギリを沿うように噛み付いてくる黒曜蛇の横っ面を掴んだ。そこから体を浮かし捻る。俺の脇腹は黒曜蛇の頭をするりと抜けて、身体はそのまま宙を舞い、勢いのままに地面に降り立った。
「できたッ!」
興奮気味に言葉が出た。しかしそれも仕方がないこと。今の動きはまさに人外であり、普通ならやろうとも思わない動きである。それを致命傷を食らうかもしれないあの場面で成功させたのだ。そりゃあ興奮もするというもの。しかしなにより、ありえない発想についてこれる身体は言葉通り人外だ。
この身体、すげぇ。
体勢を立て直した黒曜蛇も先ほどよりは幾分か悔しそうに見えるのは気のせいだろうか。
でもまだ躱せただけだ。今度はこっちから仕掛けよう。こいつは余裕を与えると自由度の高い攻撃をしてくるから厄介。まずは牽制として魔ほ…………。
「リンネ。今回は魔法もスキルも使うな」
「…………は? あんなわけわからん動きする奴と素手でタイマンはれってか!」
無茶なことを言いやがる。
「そうじゃ。お主の身体なら一撃で死ぬことはない。思い切って踏み込んでみよ」
「マジなやつ……?」
「大マジじゃ。早うその身体に慣れておけ。特にあいつの動きは眼を慣らすのに最適じゃ。眼は大事じゃぞ。よく視れば次の攻撃箇所ぐらい予測できる。まあ魔法なんて打ったところで今の正確さじゃあの蛇には当たらんじゃろ。クック」
腹立つ。一言余計な奴だが、俺もそんな気がするから何も言い返せない。
牽制の効果もツクヨからすれば今はむしろ邪魔だと感じたのだろう。魔法で牽制したことで限定された動きを躱せても、眼のトレーニングにはならない。
「こんにゃろう……。あの蛇ぼこぼこにして度肝抜いてやる」
「おーそのいきじゃーがんばるのじゃー」
「抑揚のかけらもない棒読み!」
そんなやり取りをしている間に黒曜蛇はしびれを切らしたらしい。口を開けて歪な土塊を三つ作った。
「お粗末じゃの。こやつにその程度の魔法が無意味なことぐらい解らぬものかの」
三発の土塊が放たれる。
ツクヨの言う通り威力はない。おそらくこれは次の攻撃への布石。一発目と少しの時間差を設けて、避けた時用に左右にも飛ばした二つの土塊。当たればよし、避けられた場合にはわずかに生じる隙に付け入る。
あるいは殴らせて粉砕した土で目くらましを狙い、蛇特有の熱源レーダーで優位に立つため。魔物にしては賢いのだろう。だが。
俺は一切避けなかった。
土塊が腹にめり込む。ずぷんと、土塊は砂ぼこりを残すこともなく消えていく。〈黒魔引〉製のローブに呑まれたのだ。左右に飛んできた土塊も後方で木に衝突して散った。
「ッ⁈」
「悪いな。その程度の魔法なら俺には通用しない」
ぎょっとする蛇は逆に隙を作ってしまっていることに気づいていないのだろうか。俺はすぐに地を蹴って駆け出す。
黒曜蛇は目のまえで起きたことが理解できず、いきなり向かってきた敵に一瞬迷いを見せた。
遅れる尾の一振り。自慢の尾先についた刃は照準が定まっていない。あまりに拙い攻撃となってしまった。
「さっきのお返しじゃあ!」
叫びながらの鼻に向けて拳を振り抜いた。
「ぎじゃああああああぁぁぁぁ!」
吹っ飛びながら、五月蠅い蛇の悲鳴。
確実に鼻は潰した。でかい図体が打ち上げられた魚のようにばたばたと騒がしい。
尻尾を振り回し周りの木が数本倒れてきているが関係ない。そのまま殴り飛ばした方へ走り、倒れ掛かっている木に折れない程度で蹴りを入れる。それは黒曜蛇に向けて飛び。
「ぎじゃぁッ⁈」
顔面にヒット。顎に当たったため黒曜蛇が上を向く形となる。
後一撃、腹にでも思い切り蹴りを入れてやれば勝てそうだ。そう思いながら追撃を試みるが、黒曜蛇の目がぎろりと下を向く。
激怒の一撃。左から迫る影は先ほどまでよりも数段早い尾先の刃だ。俺は眼だけそちらに向けて。
慣れてきた。
前宙。眼前を刃が通る。
ほとんど死角の位置から放った一撃を理不尽な動きで躱され、黒曜蛇も負けを悟った事だろう。
俺は通り過ぎようとする尻尾をしかと捕まえた。着地が決まって尾の勢いも止まり、握りつぶす勢いの握力で尾を掴む。ミシッと、黒曜蛇の固い鱗が悲鳴を上げた。
「よいしょっ!」
「ぎッ⁈」
俺は黒曜蛇を掴んだままその場で回転し、叫びを置き去りにするほど巨体をぶん回した。
ぐるんぶるんびゅん。吹き荒ぶ風。三周回った頃には周りに木はない。新手の整地だ。
すでに黒曜蛇の意識は離れている。だが確実にとどめを指すべく、遠心力はそのままに両腕を頭の上に持っていく。
「せ~っのッ‼」
掛け声に合わせて一気に下に叩きつけた。もう悲鳴も上がらない黒曜蛇の代わりに地面が鳴く。
ここは森、洞窟と違って地響きと轟音はすぐに抜けていき、残るのは静寂と死体と勝者。
「ふ〜……。どうだツクヨ」
空を見上げながら一息ついて、余計な体力は使うまいといつもより小さく呟く。
「この蛇が想像より脆弱だったのは残念な点じゃが、ようやった方かの。やはりお主は飲み込みが尋常でなく早い」
また小言を挟まれるかと思っただけに、ちょっと嬉しい。
だが飲み込みの早さという面では【適応】が発動しているのが大きすぎるのだろう。
ツクヨ曰く、個体差はあれど進化後は身体能力や五感の精度向上が見られ、そこに自分の認識が追いつくのが困難らしい。
特に初戦は失敗も多々あるそうだ。体の構造が変わって違和感を覚えたり。力の上限が分からず加減を誤ったり。性能についていけずに自身の身体に振り回されたりと。
そう思うと俺の場合に奇妙だったのは、相手のスピードに徐々に慣れていった事だ。これは五感や身体能力も後半につれ精度を上げていったことを示す。
俺の予想では【適応】によって自動で調節してくれたんだと思ってる。吸血鬼という度を超えた性能を誇る身体に、俺が進化直後に振り回されないように。ほんと、何から何まで【適応】さんにはお世話になるよ。
『[黒曜蛇]に適応しました』
魔法やスキルは手に入らないか。黒曜蛇は身体能力や動きの特殊さで勝負するタイプだったからな。仕方ない。むしろこれが普通なんだ。戦闘経験と身体への慣れを得られたと思おう。
この身体の能力の上限はまだまだ分からない。その辺もきっちりと把握していかないとな。
森の中を吹き抜ける風を感じながら、心の内で一人意気込んでいたのだが…………。
「来たな」
ツクヨが一言。俺には理解できず、「なにが?」と聞き返すが応えたのは《魔力感知》だった。
────緊張が走る。
正面から特大の魔力反応。その後ろから数百規模の魔力反応が追随している。集団の進行方向は真っすぐに俺のところ。
もう逃げられない。先ほど黒曜蛇をぶん回して無駄に広い平野となったこの場所ではなおさらだ。相手もこちらを射程圏内と捉えたのか、進行速度を落として走るの止めて歩き出した。
心臓が早鐘を打つ。
おそらく、俺はまた死ぬのだろう。そうなれば今度も無事に復活できるのだろうか。
不安が絶え間なく押し寄せてくる。
すでに死んだ後の事を考えてしまう。それも当然なのだ。勝ち目がないのだ。ヴァンパイア? 黒曜蛇? そんな小物と対峙するのとは比べ物にならない程のプレッシャーがある。特に先頭にいる一際大きな魔力反応。あれはやばい。
森の木々の隙間から、影が見えだした。気付けば俺は後ずさりしている。この世界に来て初めての事だ。
月光に照らされ最初に姿を現したのは特大の魔力反応を示した者だ。杖をついていて俺より少し小柄、衰えているようには見えるが、間違いなく歴戦の戦士。人間に近い肌色とエメラルドグリーンの目と髪色をしていて、顔の均整も取れている。しかし明らかに見慣れぬ部位が一つ。
先の方に向けて尖り、長い耳。エルフだ。
後ろに続いていた者たちも続々と平野に出てくる。その全てがエルフ族であり、大きな違いは白と黒のエルフがいたこと。肌が黒い方はおそらくダークエルフだろう。
全員が平野に出揃った。壮観でさえある。
こんなに大人数で行動しているところに出くわすとは相当運がない。なぜこんなことに、と嘆いたところでもうどうにもならない。無意味と分かっていても、せめて少しの抵抗ぐらい。
構えようとしたその時。
“導かれるように”
先頭に立つ猛者しかり、この場にいるエルフ族の全てが膝まづいて頭を垂れた。そして先頭、おそらくエルフたちの頭が言う。
「真祖の吸血姫たるツクヨ様! 死神様の後継者様! お待ちしておりました‼」
「え…………。ええええええぇぇぇぇぇぇぇ⁈」
「ふむ。苦しゅうない」
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