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 その言葉と同時にエレベーターが小さく揺れた。静かに開いたドアの先に自販機が見える。

「続きは部屋でしようか」

 こくりと頷く。杏さんを先に降ろしエレベーターホールへ足を踏み入れた。壁一列に並ぶ色とりどりの自販機。気になるけれど今は触らないでおこう。

 すぐの突き当りを左に曲がり、ドアの枚数を数えて七枚目。目当ての『507』というプレートはすぐに目に付いた。杏さんがカードセンサーにカードキーをかざすと、一秒と待たずに鍵は開いた。

「お邪魔しまーす」

 杏さんが早速中へ。入り口から見えたカーテンとテレビの置かれた机、それから死角からはみ出したベッド。中の設備や浴室をじっくり見ておきたいけれど、一直線に奥へ進んだ杏さんが振り返ってこちらを見た。

「それで、仲直りってどういうこと?」

 窓際のベッド脇、腰かけもせず腕を組んで仁王立ち。荷物も適当に放ったままで、まずは私の話が先らしい。

 もう逃げられない。自ら口を開いたのだから、自分でどうにかしないと。見た目も雰囲気もかなり恐ろしいけれど、私を信じてくれた杏さんなら、きっと。

「海水浴場で杏さんを怒らせたので、仲直りしたいんです」

 空っぽに近いリュックが妙に重い。今にも押し潰されてしまいそう。

「仲直り、か」

 組んでいた腕をほどき、あごに手をやった杏さん。ほんの少しだけ威圧感が消えた。

「だからずっと落ち込んでたんだ。私、怒ってないよ?」

 きょとんとした顔もなんだか怖い。恐る恐る、爆弾に触れるかのように疑問を口にした。

「そう、なんですか?」

「あんなのただの言い合いだもの。軽くお互いの意見がぶつかっただけ。それで終わりだと思ってたけれど、違うの?」

 そもそもけんかじゃなかった。杏さんの言動の意味が分かり、胸につかえていたものがすとんと落ちる。こうも簡単に解決するのか。もっと早く口にしていればよかった。

「ごめんね、強く言い過ぎちゃったかな」

「いえ、そんな。勘違いした私が悪いんです」

「年下に強く当たった私が悪いの」

「私です」

「あんちゃんってば、そういうところ頑固だよね。それじゃあお互いさまってことで。それでいい?」

 空想の世界でしか聞かない折衷案に、首を大きく縦に振る。よかった。旅の初日から険悪にならなくて。

「仲直りも済んだし、荷ほどきしようか。あんちゃんはどっちのベッドがいい?」

 ようやくベッドに腰かけた杏さん。こちらに選ばせているようで、窓際がいいとしっかり態度に現れている。よかった、子どもっぽい杏さんが帰ってきた。

「私は壁側でいいですよ」

 自分の陣地を主張するよう、ベッドに腰を下ろした。

「いいの? ほんとに?」

「それじゃあ窓際で」

「それはちょっとね」

 ニヤニヤしながら首を振られてしまった。

「どっちなんですか、もう」

「ごめんごめん。さっさと荷解きもやっちゃおうか」

 杏さんがキャリーケースに手を伸ばした。

「あんちゃんさ、クローゼットの中からバゲッジラック取ってきてもらってもいい?」

「ばげ? えっと、何ですか?」

 聞き返すとなぜか杏さんの笑顔が返ってきた。

「今のちょっとかわいい。ね、もう一回」

「ばげ。ばげばげ」

 自分で口にしたのに、恥ずかしくて口元が緩んでしまう。

「なんかそういうマスコットみたい。入り口横のクローゼットに入っているはずだから、ちょっと見てみて」

 背負っていたリュックをベッドに下ろし、部屋の入口へ。杏さんしか目に入っていなかったせいか、クローゼットの存在に少し驚いてしまった。

 クローゼットを開けて覗き込む。上からハンガー、消臭スプレー、靴べら、それから折り畳まれた椅子らしきもの。多分、これかな。パイプ椅子のように折り畳まれたそれを手に取った。

「ばげってこれですか?」

「それそれ。荷物を床に置かないための台ね。覚えていて損はないよ。ああいや、もうすぐ死んじゃうのか」

 悲しい正論が真っすぐ飛んできた。とりあえず苦笑いを浮かべた。

「荷解き終わったらご飯行こうね」

 杏さんがバゲッジラックに荷物を乗せ、中身を整理し始めた。私も取りかかろうとリュックを開く。けれども中身は遺書とロープと財布、それから買ったばかりの着替えだけ。他にすることもないし、テレビでも眺めていよう。

 今日の分の着替えだけ枕元に置き、リュックを足元に戻す。せっせと荷物を取り出す杏さんの背後を通ろうとし、ふとキャリーケースの中身に目がいった。

 化粧ポーチに充電器、それから着替えだけでケースの半分も埋まっていない。これならハンドバッグに入れた貴重品もキャリーケースに入れればいいのに。それだけならただの驚きで終わったものの、きれいに畳まれた着替えについ目がいってしまった。

「あ」

「うん?」

 振り返った杏さんと目が合った。

「あの、着替えは?」

「ブラウスが三枚、下着が二日分ずつだけど。おかしい?」

「おかしいというか、ブラウスだけですか?」

「それ以外に必要ないもの。私、ファッションとか興味ないから」

「ええっ」

 あまりに意外過ぎて、ついすっとんきょうな声が漏れた。

「ちょっと。今の声、どうやって出したの?」

 口を手で覆い、肩を震わせる杏さん。よくもまあ私なんかで笑えるものだ。

「いや、その、杏さんは毎日違うものを着るんだと思ってて」

「えー、面倒くさい。ブラウスとデニム着て、ヘアゴムで髪を結えばそれでいいよ」

「それはそうですけども」

 シンプルな恰好はそういうことだったんだ。もしかして私が服を買った時のあの反応は、ただ興味がなかっただけ? 落胆してベッドに倒れ込みそうになってしまった。

 それとジーパンではなくてデニム。そう呼ぶ方がおしゃれな気がするから覚えておこう。

「着たいものを着る。それでいいんだって」

 少しだけ頬を膨らませる杏さん。少し前なら胸のざわめきを覚えていたけれど、今となってはおかしさしだけ。これはただの言い合い。こういうやり取りを経て親密になっていくのだろう。

 杏さんとはどこまで仲良くなれるだろうか。死ぬまでに親友と呼べるような仲になれるといいな。それがどういう仲なのかは、よく知らないけれど。

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