15


「そういうあんちゃんだって似たようなものでしょ。ショッピングモールで買ったやつ、もう一度見せてよ。ほら、ベッドに並べてみて」

 両肩をつかまれてくるりと半回転。肩を押される形でリュックの前へ戻ってきた。

 背中に伝わる重いプレッシャー。いちゃもんをつけるように杏さんに食ってかかった手前、私のセンスがダサいなんて許されない。許されない、けれど。

「シャツと下着とルームウェアだけか。ふうん」

 ベッドに広がる私のセンスを前に、杏さんがあごに手をやって唸りだした。

「どう、ですか」

「色合いがおばさんみたい」

 どこからか聞こえた、ガラスが割れるような音。倒れ込むようにベッドに突っ伏した。

「あんちゃん若いんだから、もっと派手なの買えばいいのに。明日、赤とか黒とか買いに行こうか?」

「い、いいです。大丈夫です」

 懸命に出した声はベッドに吸い込まれて消えた。口をシーツにくっ付けているせいで息苦しい。

「あんちゃんってリアクションが大きいから、見ていてほんと楽しい。学校でもそれ、やればいいのに」

 ちくりと、夢の時間を割くように胸に痛みが走る。映画の見過ぎ、リアクション過多、わざとらしい。細部まで思い出せるうんざりとした表情と棘のある言葉。

 直そうと努力しても、染みついたものはそう簡単にはやめられなかった。今思うとこれも原因の一つだったのだろうか。

 シーツに顔を埋めていると、すぐ横に杏さんが座った。目を向けると楽しそうに表情を和らげてこちらを見下ろしている。すごくきれいで、モデル体型で、表情豊か。けれどファッションに興味がなくて、方向音痴で、忘れっぽい。

 何人かは知っている事実が、今は私だけのもの。心をくすぐられたような気がして、つい笑みをこぼした。



 一時間ほどで荷ほどきを済ませ、一階へと降りた。

 相変わらず派手なシャンデリアに目を奪われ、ロビーのど真ん中に置かれた生け花に感嘆のため息が漏れる。緻密な模様の壁を見ていると眉間にしわが寄って、杏さんに笑われてしまった。

 ビジネスホテルをほとんど知らないけれど、ここまで豪華にする必要はあるのだろうか。見ていて嫌な気分にはならないけれど。

 ガラス張りの入り口から差す夕陽を踏みながら、フロントを通り過ぎる。装飾されたガラス戸で仕切られたレストランを前にして、そっと中を覗いた。

 照明を抑えたシックな店内。こげ茶色のテーブルや観葉植物がいい味を出している。ホテルの一角とはいえ、味は保証してくれそうだ。

「メニュー置いてあるよ」

 横にいたはずの杏さんの声が遠い。辺りを見回せば、杏さんが中腰でメニューに目をやりながら手招きしていた。

「おいしそうですか?」

「普通かな」

 テンションと発言が噛み合っていない。あまり期待はせず、譜面台のようなスタンドに置かれたメニューに目をやった。

 どうやらハンバーグを推しているらしく、デミグラスやトマトソース、ホワイトソースにチーズ。さまざまなソースで彩られたハンバーグの写真がずらりと並んでいた。

「ここ、ハンバーグしかないんですかね」

「隅っこにスパゲティとかドリアもあるみたいよ」

 杏さんの指が叩いた部分。たしかに脇役やドリンクがこぢんまりと固まっていた。

「座ってから決めようか」

 杏さんが腰を上げ、ガラス戸を開けて待っている。慌ててレストランへと足を踏み入れた。シックな内観とオルゴールのようなBGMが組み合わさり、まるで高級レストランのよう。またも自分の恰好が気になるも、とりあえず杏さんを追った。

「二人で。禁煙席ってあります?」

「はい。こちらへ」

 ウェイトレスに通され、一番端の窓側へ案内された。店内で目にするのはくたびれたサラリーマンばかり。それに加え窓際なのにブラインドが下がって何も見えない。景色が見えたとしても、何の変哲もない橙色の路地が見えるだけか。

「こちら、メニューです」

 ウェイトレスからお冷とメニューを受け取る。薄い両面印刷のメニューは店先で見たものと全く同じ。となれば注文するものはおのずと決まってしまう。

「どれにしようかなあ。デミグラスもいいけれど、チーズもおいしそう。セットのスープも迷うよね。あんちゃんはどうするの?」

「私はドリアで」

「え、なんで?」

 杏さんがひどく驚いたように目を見開いている。

「ドリアが好きなので」

「ハンバーグより?」

「より、というかハンバーグが食べられないんです」

「もしかしてアレルギー? ごめんね、すぐお店出よう。違う所に行こうか」

 杏さんが腰を浮かせた。まずい、完全に説明不足だ。

「待ってください。あの、ただの好き嫌いです」

「そうなの?」

 腰を浮かせた杏さんが座り直した。

「ほんとにここでいいの?」

「ここで大丈夫です。驚かせてすみませんでした」

 お冷を口に運ぶ杏さんが笑って首を振った。

「いいのいいの。それにしてもハンバーグが苦手って珍しいね。お肉が駄目なの? あれ、ちょっと待って。お昼にとんかつ食べてたよね」

「ひき肉がどうにも駄目でして」

「どうして?」

 杏さんが目を輝かせ、楽しげに頬づえをついた。家族以外に話したことのない私の話。どう話していいのか分からない。伝わらなかったらどうしよう。つまらなかったらどうしよう。

 けれど、一つだけ分かっている。杏さんなら最後まで聞いてくれるだろう。今は何も考えずに口にしてみよう。その後で心地よく傷付けばいい。

「私、映画が好きなんですけど」

「うん。知ってる」

 相槌とくしゃっと潰れた笑顔。それが嬉しくてほんの少しの緊張はすぐに吹き飛んだ。

「小さい頃に見たスプラッタ映画が強烈で、今もハンバーグやひき肉を見ると思い出してしまうんです」

 後半は早口になってしまったけれど、なんとか言い終えた。さて、杏さんはどう評価するだろう。たまに素っ気ない杏さんだから「そっか」と一言で済ませてしまいそう。毒づかれるよりはましなのかな。ちょっぴり寂しいけれど。

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