13
「裏か。いいアイディアだけど駐車場から丸見えだよ」
「それじゃあ海水浴場の端とかどうでしょう。海の家で売っていたビーチパラソルを立てて、その下で掘れば見付かりにくいのでは?」
「端っこねえ」
杏さんがつま先立ちで車の反対側を覗き込んだ。まばらに広がる木々の合間に見える、消波ブロックが積まれた堤防。その横まで砂浜は続いており、遊泳区域にもなっている。あそこなら人も少ないし、監視員の目も届きにくいような気がする。
「水着を着てない二人組が、砂浜で穴を掘ってたら怪しくない? それに監視カメラもあるし」
「えっ」
慌てて車の反対側に回り込む。眼鏡のフレームをつまんで目を凝らせば、柱のてっぺんから目を光らせる監視カメラが見えた。さすがに管理しているだけあって厳重か。素人考え過ぎた。
「もっと考えて来ればよかったね。しょうがないか」
諦めたようにため息をこぼした杏さん。後部座席のドアを開けて荷物を戻すのかと思いきや、なぜか黒い袋だけ取り出して公衆トイレへ歩きだした。
追いたいけれど、鍵のかかっていない車から離れるのは気が引ける。じっと見守っていると、杏さんがトイレ脇のごみ箱を漁り出した。
「うそ」
目を見開くも、目の前の景色は変わらない。何をしているのだろう。呆然とする私をよそに、杏さんはごみを半分ほどかき出し、持っていた黒い袋をごみ箱に入れた。その後で逆再生のようにごみを入れ直して戻ってきた。
「考えるのも面倒だし、捨ててきちゃった」
「いいんですか? 思い出の品なんですよね」
「埋めるのも捨てるのも一緒だよ。ここならどこでもいいし」
「そういう問題なんですか?」
「いいのいいの。あ、手を洗ってなかった」
車に触れようとした杏さんが再びトイレへ。少し前ならおっちょこちょいで片付けた温かい光景も、心に芽生えた疑問のせいか異様に見えてならない。
思い出の品を思い出の場所に置きたい。そう口にした杏さんの表情は、目を閉じればすぐに浮かんでくる。懐かしさと後悔が入り混じったような複雑な表情。だからこそ信じられない。
埋める場所を考える余地はまだあった。ビーチの端から端まで見て回れば、死角になる場所もきっと見付かったはず。
それなのに簡単に思考を放棄した。それがどうにも気になって、ついハンカチで手を拭きながら戻ってきた杏さんに投げかけてしまった。
「あの、本当に捨てちゃっていいんですか」
一歩前に踏み込み、杏さんと目を合わせる。ちゃんと話せば杏さんも考え直して――。
「私が捨てるって決めたからそれでいいの」
まるでビー玉のように輝いていた瞳はひどく淀み、鋭さを帯びている。魅入られたようにただ見つめる。少しずつ呼吸が短く浅くなっていく。
しまった。杏さんの領域に踏み込み過ぎた。そりゃあ今日出会った他人に詮索されたくないか。完全に私の落ち度だ。
「心配してくれてありがとね」
杏さんの手が、日差しで熱くなった頭へ触れた。
「今夜泊まるホテル探そうか」
まるで人が変わったような微笑みに、全身の力が抜けてしまう。思わず倒れそうになり、車へともたれかかった。
「大丈夫? もしかして熱中症?」
「ああ、いえ。躓いちゃって」
「ほんと? つらかったら遠慮せずに教えてね」
心配そうに覗き込むその瞳はいつも通り。まるで先ほどの淀みが幻だったと言わんばかりの輝きに、つい顔をそらしてしまった。
口数が減ったまま、ついにホテルへとたどり着いた。私だけ後悔を引きずり、杏さんは相変わらず楽しげ。その温度差は誰にも伝わらない。ホテルのフロントにもきっと。
「本日より一泊。明日の午前十時までにチェックアウトでよろしいでしょうか」
「はい」
フロントスタッフも杏さんにばかり目をやっている。そりゃあ受付なのだから当然か。横で落ち込む私にも少しは触れてもいいのに。
そんな小さなわがままに頬がむくれてしまう。また後で面白いと言われてしまうのだろうか。気恥ずかしいけれど、それが仲直りのきっかけになったりして。
いや、よく考えれば、これはけんかなのだろうか。私が気にしているだけ? いやでも、確かに杏さんは怒っていた、気がする。
頭の中でぐるぐると相反する結論が回る。思わず目を回してしまいそう。このままふらりと倒れ込めば、杏さんも全てを許してくれるだろうか。
「あんちゃん行くよ」
ぼうっと眺めていたペン立てに背中を向けた。足元に置いていたリュックを背負い、近寄りがたい雰囲気を醸し出す杏さんを追う。
「五階の五〇七号室だって。同じ階に自販機とコインランドリーがあるみたい。便利そうでよかったね」
「そう、ですね」
クラシックなデザインのエレベーター前、杏さんがカードキーを見せてくれた。初めてビジネスホテルに泊まるけれど、想像していたものとは全く違う。
ロビーは派手な装飾で豪華だし、一階にレストランが併設されているのは驚いた。これで部屋もきれいだったら言うことはない。
「ここに泊まるの嫌だった?」
「え?」
こげ茶色のドアから杏さんへ視線をやる。カードキーをハンドバッグに仕舞いつつ、じっとこちらを見ていた。
「落ち込んでいるっていうか、なんだかずっと暗いから。ここに泊まるのが嫌なのかなって」
「いや、そんな。泊まれてよかったです」
「ちっとも嬉しそうに見えないよ?」
けんかして気まずい。直接そう伝えても、そんなこと知らないと足蹴にされそう。
勝手に人の領域に踏み込んで地雷を踏み抜き、一人で落ち込む。なんと面倒くさい女。ああ、またいつもの自分嫌いが始まった。そうやって客観的に見ている自分さえも嫌いになりそう。
「何かあったの?」
杏さんの手が肩に触れた瞬間、ドアが開いた。エレベーター内には誰もいない。とりあえず中に入ってボタン側に立ち、五階を押して閉めた。
「私にも言えない? 死ぬことを知っている、私にも?」
「そういうわけじゃあなくて、その、えっと」
どう伝えればいい。二つの息遣いしか聞こえない中で杏さんは、ただ待っている。それを信じてみてもいいのかもしれない。最初に思い付いた一言をそのまま吐き出した。
「杏さんと、仲直りがしたいんです」
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