4-9
赤い空がいつの間にか、青い空へと変わっていた。
ほんの一瞬のことで、いつ空間を超えたのかわからなかった。黒い装置の縁が視界に入ったかといえば、入ったような気もしている。しかしそれも定かではない瞬間に、もうチェルムだ。たった二日前にいた場所なのに懐かしさを感じる。空が青いだけで安心感を覚える。
だが、海斗には妙な違和感があった。どこがどうと具体的にわからないが感覚がそう告げる。
しばらくチェルムの空を飛行していた。雲の中から高度が下がる。
山があり、谷があり、川があった。遠くのほうで、青い海を見ることができた。
なぜだろう。こんな状況にもかかわらず、一方で幸せを感じる。チェルムの地形が空から見られるせいだろうか。かつてのイメージに具体的な色がつき、凹凸がついているのだ。それをこの目で確かめることができている。リューズやルルはいないだろうか。そう思って探してみても、高い空から誰が歩いているかなんて区別はつかない。
ところどころ、あからさまに周囲の景色となじまず、黒くなっているところがあった。空爆の後だろう。
周囲にいる人々も、空から見られる景色に驚嘆し、目を輝かせている。誰もが笑顔になっている。それを見て一気に複雑な気持ちになった。これが、この瞬間が、彼らにとっての一番の幸せな時間なのではないのだろうか。
どのくらい経っただろうか。飛行機は着陸態勢に入った。管制塔もなにもない中での着陸だ。そのあとに訪れる惨状を想像し、恐れた。着陸失敗でも、人間爆弾でも。
チェルムの人々は、攻撃態勢で待ち構えているだろう。海斗はチェルムの人々にとって敵側にいる。しかも大勢の中の一人だ。
そんな中を、この足で逃げてルルやリューズのいるところへ帰れるのだろうか。こうなるのならば、昨日の突発的な行動は失敗だったと後悔をした。誰だって知らないところに拉致され閉じ込められていたら、逃げ出したくもなる。だが、逃げだしたことによって、足をやられてしまっている。
ダクに助けられた命を、一瞬の判断の狂いで無駄にしてしまった。
機内がものすごい勢いで揺れ出した。ちょっとまずいな、と思えるくらいだった。しかし周囲のみんなの表情は、硬いが落ち着いている。話声も一切聞こえなくなる。なにがあっても動揺するなと教え込まれているのかもしれない。
「パイロットの腕は確かです。ディア共和国で訓練されています」
鈴田が察したのか、言った。
「パイロットはグァルの人間ですか」
「ええ。そうです」
海斗は黙った。とにかく無事に着くことを祈る。
人間大砲のことを、誰かに伝えられないだろうか。人間が散らばり自爆する。
いくら敵とはいえ、チェルムの人々だって困惑するだろう。
これは心理的な作戦なのかもしれない。
旅客機は再び音をあげ、しばらくののち、静かになった。
到着した先で、グァルの人々が手をあげ誘導していた。旅客機は他に六機ほど止まっている。
鈴田に肩を借り、屈強な男にずっと銃を突き付けられながら、旅客機を降りる。
かなり寒い。予想どおり、北方地帯のどこかだろうと見当はついたが、リューズ達が近くにいる場所でもないと思った。おそらくあの地帯よりももっと北寄りの場所だろう。
「明朝、人々を町や村に配置させます。チェルム人に気づかれないよう、今は徹底的に隠しています。先に着いた人々はもう、移動を始めています。あなたは動けないでしょうから、ここにいてください。時間になれば空に向け合図を打ち、そこから一気に攻め込みます」
「あなた個人はこんなことをしてなにを思うの」
「あなたが気にするようなことではないですよ」
案内された場所に、緑色のテントが貼られ、複数の場所に炎が焚かれていた。
迷彩服を着ている人間がうろうろとしている。
四千五百人ほどの人々が北方地帯に集まっていた。かなりの数だ。皆、寒さに震えている。鈴田はどこかへ行ってしまった。数人ずつで固まって地面に座ることになった。
グァルにいたときは朝だったのに、やはり時差のせいか、もう西側に太陽が沈んでいる。
軽い食事が迷彩服を着た人間から配られた。みんな炎に近づこうと必死になっている。そうして食べるのも必死だった。
偉そうなグァルの部隊の一人が立ち上がりなにか言葉を放った。
どうやら野宿をするらしい。毛布も配られる。しかし、五人につき一枚だ。
テントには、グァルの人間が入ることしか許されないようだった。
これでは凍死する人間が出る。海斗も寒さに震えながら、どうすればこの状況を打開できるかと考えていた。
みな、無駄死にをするのだ。チェルムの敵となる人々であっても、そのような目に遭うのは、許せることではなかった。
みんなはどんな気持ちなのだろうか。毛布で隣り合わせた少年に声をかけてみた。
「イサ?」
なに? と言いたいのだろう。言葉が通じないので、海斗は少年に指を差して、胸に手を当てて首を傾げる。
少年はしばらくなにを問いかけているのかわからないようだった。
君はこれから死ぬことを怖く思っていないのか、この状況をどう思っているのか、と言ってみたのだ。何度も繰り返しているうちに通じたようだ。
二度頷き、にっこりと笑顔になる。そうして胸を張り、どんどんと拳で胸を叩いた。
誇りを持っている。そう言いたいのだろう。少年は更に、ジェスチャーを続けた。
ここで死ぬトゥアの人間の名前は全て歴史に名を刻むことができ、兄弟姉妹の子孫にまで恩恵がいく、といったものだった。
そんなことが納得できるか。絶対に恩恵など受けられるはずがない。少年のジェスチャーを理解した時、海斗はすぐに反発をした。しかし、一個人がある惑星の事情に口を挟んでいいのだろうか。海斗の世界では許されないことだからと、真っ向から間違っていると否定してしまってもいいのだろうか。
しかしやっぱり、許せないものは許せない。
カリンツェの言葉を思い出した。
――たった一人の人間になにができる。
そうだ。なにもできない。けれどもう、死と隣り合わせ。状況を変えなければ。なん
とか一人で、変えなければ。
ここにいる四千五百人を、寝返らせることはできないだろうか。君たちが死ぬ必要などないのだと、話術巧みに誘導できるような方法。
そうすれば反乱が起きて、チェルム侵攻第三計画を狂わせられる。計画が狂えば他の東西、南に別れた人々もすべてとはいかなくても助けられるのではないだろうか。
足の痛みが酷くなっていた。血が再び滲み、Gパンが黒く濡れている。
だが、痛みなんて気にしている場合じゃない。今僕は、この計画を辞めさせたい。死にたくない。それが優先事項だ。
言葉が通じない以上、ここにいる四千五百人を寝返らせるのは無謀に思えた。
彼らはグァルの、あるいはトゥアの上の人々から徹底的に洗脳されているのだ。簡単には解けないだろう。例え言葉が通じても、海斗にはそうすることのできるカリスマ性もないように思える。
とにかく、計画の邪魔さえできればいいのではないのだろうか。そう思った。寝返らせなくても、他に方法がある。なにがある?
寒さと痛みでまとまらない考えを、無理に集中して考える。明日にはチェルムのどこかの土の中に埋もれているかもしれないのだ。全身の骨だって折れているだろう。そうして理沙や家族に再び会うこともままならずに、命が終わる。
あがけ。あがけ。最後の最後まであがくんだ。そう言い聞かせる。
不意に、後ろのほうから声が聞こえた。トゥアの少年がグァルの兵に対し、毛布についてなにかしらの文句を言ったようだ。瞬間、迷彩服を着たグァル人が、文句を言ったトゥア人を、ライフルを逆さにして殴っていた。
みんな振り返ることをやめ、無表情で前を見つめる。暴力は止まない。少年からの悲鳴があがっている。それでも周囲は静まり返っている。
海斗もなにも言えなかった。ここで暴れることはできない。だが、閃いたのだ。ライフルがあるではないか。あれを一丁でも持つことができたら、場をかき乱すことができる。
場をかき乱せ。この場に混乱を招き入れろ。
そうすれば、狂いが生じる。少なくともここの四千五百人を助けられる。
海斗はよし、と拳を握った。同時に尋常でないまでの緊張感も湧いてくる。もしばれたら、ただでは済まない。だが成功すれば、人間の矢を少なくとも北方から降らせることはない。
グァルの人々が持っているライフルの構えや使い方を、薄暗い中目を凝らし、細かく観察することにした。思い出せ。グァルの惑星でライフルを持っていた人々の使い方を。
しばらくして、寝ろ、といった合図が出る。みんなは言われたとおり、一斉に地面に横たわる。寒いには寒いが、人も多くて最初に来たほどの寒さは感じられなかった。
しばらくして、辺りは静かになった。グァルから夜明けとともに来たばかりなのに、眠ってしまった人たちもいるようだ。食事や睡眠が許されるのは、移動する体力が必要だからだろう。ここにいる四千五百人に全員死なれては困るのだ。
海斗は眠らず、三、四時間、じっと周囲の様子に耳を立てていた。グァル人とトゥアの軍人から、準備が完了したらしいことが雰囲気から分かった。
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