4-7

運よく、当たることはなかった。


長い廊下を走る。右手に窓が見える。空は赤く、遠くにいくつかの滑走路が見えた。滑走路の先に、丸く巨大な黒い機械が見える。


飛行機、というか爆撃機のようなものが一機、吸い込まれるようにその中へと入っていき、消えていった。


あれだ、と思った。あれがテレポート装置だ。あの先に飛び込むことができたら……。


出口はどこだ。施設は迷路のように複雑な仕組みになっている。海斗は焦った。何森はあえてこの場所に閉じ込めたのだ。


前からやってくる人々を、勢いで体をひねってなんとかかわし、背後から追いかけてくる人々は気にせず走る。


階段を見つけ、下る。通路を走り――太ももに衝撃が走った。


海斗は痛みに叫び、前のめりに転んだ。


ナイフが突き刺さっていた。誰かが投げたのだ。


捕まえるために集まってきた大柄な男たちに抑えつけられ、両手を縛られ、逃走はあっけなく終了した。


「やれやれ。救われた命を自ら落とすのか。暴れれば殺すと言っただろう」


何森が呆れたような表情でやって来る。


床に血が滲んでいた。海斗は何森を睨みつける。仮に殺されるのだとしても、ただでは殺されたくない。だが、条件をつけたところで、応じる相手でもないように思える。


何森は笑う。


「まあ、すぐには殺さんよ。おまえも桃の京に住んでいれば、間違いなくUNステーション行きになるタイプの人間だな。あるいは犯罪者専用の施設にぶち込まれるかもしれん」

「そりゃそうだろう……」


空想から生まれた世界なのに、一番空想から遠ざかっているのが桃京だ。


「おまえを人質としてとらえてチェルムに無条件降伏をさせようと考えていたのだが……そいつは大和のほうが適任だったかもしれん。しかし大和を生かすこともしたくない。では、こうしよう。暴れたペナルティだ。君には人間爆弾になってもらう」


一瞬なにを言っているのかわからなかった。


足が痛み、声をあげた。Gパンがざっくりと切れている。


「一体なにをするつもりなんだ」

「言葉どおりさ」


何森は近くの男になにか言った。強制的に立たされ、歩くことになった。背中に銃を突き付けられ、足を引きずりながら薬品臭い場所に放り込まれる。どうやら医務室のようだ。


由美子が駆け付けてきた。見たとたん、生理的な嫌悪が湧く。


「手当をしないと」


淡々と言い、素早くGパンを脱がせる。屈辱だった。


「本当に手当てをするのでしょうね」

「当り前でしょう。一応医師免許は持っているのよ」


仕方なく、言われたとおり、台の上に寝た。止血と消毒をされる。激しい痛みが襲ってきて頭がくらくらした。


「これ、縫わないと駄目ね。言っておくけど治療後の痛み止めの薬なんて、この世界にはないから我慢してね」


言うと、由美子は手早く準備を始めた。


「日本での仕事はいいのか」

「今は、こっちの動きを見ていないと」


言って、先程はごめんなさいね、と呟く。キスの件だろう。


海斗をここへ連れてくる作戦のうちではあったのだろうが、嫌悪しか残っていない。


「人間爆弾になれと言われた。これから、チェルムになにを起こそうとしている」

「…………」

「答えろ」


声を荒らげても、由美子は表情を動かさなかった。目の奥は、海のように暗い色をたたえていた。


「チェルム侵攻、第三計画よ」

「その第三計画というのはなんだ」

「空爆でダメージを受けたところに、トゥアの志願兵一万五千人を自爆させるのよ」


痛みに歯を食いしばりながら、海斗も精神的なダメージを受ける。


「犠牲にするのか。集まった一万五千人を」


「そうよ。ディア共和国から買うには資金が足りないの」


想像するだけで恐ろしかった。これは心理的な作戦でもあるのかもしれないが、やることはもう常軌を逸している。グァルの人々はチェルムどころかトゥアの人々さえ、人間として見ていないではないか。


「どうかしている」


腿に注射針が刺さるのを感じた。麻酔だろう。


「自らの国のため、星の発展のために喜んで志願した人たちよ。トゥアの人たちは移住できると喜んでいるわ。まあ、多くは家族の保障のためではあるのだけれど」


「チェルムだけじゃなく、トゥアの人々も殺している。変だと思わないのか。仮にチェルムの領土や資源を得られたところであなた達の星の人々は、グァルの奴隷になって終わる。約束が守られるとは思えない」


グァルはトゥアを絶対に裏切る。やがてはトゥアの人々から不満が出て、紛争になりかねない。今のチェルムは姿形さえ変わってしまう。


「領土の約束を夢のように信じている人もいれば、薄々気づいている人もいる。でもだからってグァルの人々には逆らえない。殺されるから」


「今は必死かもしれないけど、時代が進めばみんな、愚かさがわかってくるよ」


海斗は真面目に言った。もちろん戦争なんてテレビの中でしか見たことがないけれど、既に巻き込まれているのだ。


「狂気とわかっていながら、そのレールの上を、力の持たない人たちは仕方なく走っていかなければならないの」


落ち着いた口調で言う。この意見にはなんとなく共感ができた。


「あなたはどんな気持ちで大和をふったんだ。大和にはなんのために近づいた」


なにも答えなかった。海斗は続けた。


「星のことを忘れ、普通に医師として大和と二人で生きていけば幸せになれたのでは。日本じゃなくても、どこかの国で生きていけたかもしれないのに」


溜息が聞こえてきた。


「そう考えたこともあった。でもね、そうすればいずれは私も私の星に住む家族もグァルの人々に殺され、大和が巻き込まれる運命になっていたと思う。最初に声をかけたのは、単純に好感を持ってしまったから……UNステーションに来ることになって即振ったのは、決断ができなかったから」

「勝手なものだな」

「そうね。あの時は、大和がこんなことになるなんて思っていなかった。桃京やディア共和国の女性がちょっとだけ、羨ましかったのよ……ずっと年上の、医師の友達もね」

「あんたのことは、桃京にいる同性の友達も知らないのか」

「なにも言っていないわ。言えるわけない。誰も知らない」


瞳が潤んでいた。海斗は由美子の心情を理解した。


別に明確な目的があって大和に近づいたわけではないのだ。国の政治や政策がどのような形であれ、豊かである程度の自由が保障されている国に身を置いていたら、そういう国を羨ましく思うのだろう。


一人の女性として生きてみたいという願望が、多分意識のどこかに芽生えたのだ。「一人の女性としての生き方」の、はっきりとした定義は男である海斗にはよくわからないが、自分で選んだ洋服を買い、化粧をして恋愛をして結婚をして、といういわゆる先進国の女性に許されていることを、純粋に何者からの脅威も圧力もなく楽しみたかったのではないのだろうか。


気持ちが桃京にいる間に揺らいだのだろう。そうして彼女がたまたま好感を持ってしまったのが大和だ。彼はどう生きても同じような運命を辿っていたのかもしれない。


ハサミを切る音が聞こえ、包帯を巻かれる。


「終わり。麻酔が効いているから、今は痛くないはずよ。歩くのが大変だとは思うけれど」


少しだけ見方を変え、お礼を言う。由美子は覇気のない表情で杖を渡した。

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