1-8

「待って。話を詳しく聞かせて下さい。その、あなたがいた世界のことを」


信じられない気持もあったが、興味も湧いたので、聞けるだけ聞いてみようと思った。


嘘をついているようには感じられない。珍しい機械をたやすく扱っている時点で頭がどうにかなってしまったとも考えにくい。なにより「わけのわからない景色を目にしている」表情に信憑性があった。


もしかしたら、本当に似たような、でもかけ離れている世界があるのではないだろうか。


日本という国が、もしかしたら二つあるのかもしれない。なくてもフィクションを書ける可能性がある。この国の人間は非科学的なものを徹底的に、排他的に扱う。だから、フィクションを忌み嫌うし、小説や漫画も圧倒的に少ない。


遥か昔の時代に書かれたおとぎ話も、現代で習うことがなくなっている。先程澤部の言った「空想的」という表現は、侮蔑的な意味が含まれているのだ。


「聞いて、信じてくれるのですか」

「ええ。少なくとも俺は信じます。食べながら話してくださいませんか」


丁寧に言うと、満はぽつぽつと語り出した。


二十五歳。東の京と書いて東京という大都市に住む、サラリーマンだという。


東京は、地図で見ると桃京に当てはまる。その世界での、日本の有名な花は桃ではなく桜だった。世界地図は違うところもあるが大まかに地形は同じだという。しかし日本の地形はほぼ同じであり、世界も日本も名称が全然違うらしい。


満の住んでいるところの西暦と同じだった。しかし元号は「令和」で、そこまでに至る歴史がまるで異なる。


ざっと歴史を聞いてみると、東江時代が江戸という時代と重なる。だが、「幕府」「明治維新」という単語さえ意味不明だった。


歴史は理解するのにものすごく苦労をした挙句、あまりついていけなかったので、現代の話を訊ねる。「令和」だという今の日本社会は、同じく科学で発展させているらしいが大和のいる日本社会よりも若干自由に思えた。

 

満は桃を口にした瞬間、表情が柔らかいものに変わった。


「桃、美味しいですね」


話すことで、あるいは腹を満たしたことで安心した、というのもあるのかもしれない。


「桃はこの国の代表的な花です。しかしその、異なる日本から来たのに言葉は通じるんですね。文化は全然違うように感じられますが――」


満は二の腕をさすった。見ると鳥肌が立っている。


「言葉が同じなのに、質感が全然違います。外国に来たような、でも外国とも違う。日本なんですよ。周りにいる人間が同じ民族だと感じられるんです。初めて来たときは、一瞬、昭和的な感じもしたんです。でも絶対に昭和じゃない。俺、昭和のことよくわかっていないけど。なんていうのかなぁ――近未来的な社会の中に独特の島国感があるというか。ああ、なにを言っているのかよくわからなくなってきた」

「昭和? 元号ですか」

「ええ。令和の前が平成。それのひとつ前です」


完路の前は定和だったな、と思った。話を聞くのは面白かったが、当の本人は酷く困っているようだ。


スマホを見せてもらうと、写真がいくつか出てきた。家の前で笑っている写真。背景を見る限り、大和にも満のいる場所は桃京とは質が違うように思えた。もう一枚、画面の中から写真が出てくる。広い場所で、満開の夜桜の中を笑っている。大和は声をあげた。


夜桜など初めて見る。地上からライトアップがなされており、幻想的に思える。本当に桜が有名なのだと実感できた。


満の背後には、蓙を敷いて地面に座っている人たちがたくさんいる。こんなことをしていいのだろうか。モラルがないと感じる。そう感じてしまうのは、大和だけではなく、この国のみんなが思うことだろう。そう教え込まれているのだ。だから、これは風習の違いと認識したほうがいい。


「みんなここで、なにをやっているのですか」

「花見ですよ」

「花見?」

「知り合いと集まって花を見ながら飲んだり食べたり。三年くらい感染症が流行って自粛を促され、花見ができませんでしたので、もっと前の写真ですが」


桜の咲く時期は大体三月下旬から四月だという。この日本にも桜はあるが、そこまで有名ではない。


「そんなことしていいのですか。どこでできるのですか、こんなこと」

「桜の咲く季節は大抵どこかの公園でできますよ」

「都市でそんなことができるのですか」


春には当たり前の光景になるらしい。


桃京に、桃はない。花もない。桃京ではせいぜい、アーケードにある照明が代わりになっているくらいだ。


この都市では、花は花屋くらいしか見られないので、花見は遠くの観光地くらいでしかできない。それに蓙を敷いて飲み食いなどしていたらすぐにはしたないと警察が飛んでくる。景観を乱すのは恥だと幼少の頃から教え込まれていた。でも、彼らはそれを破って楽しそうにしている。


一体、東京とはどんなところなのだ。


「これを見せても、みなさんは信じてくれなかったのですか」

「こんなの加工できるでしょう、どこの外国ですかって。俺は一体どうやって帰れば」


感嘆していた。行けるものなら行って、どんなところか確かめてみたい。もし満が帰ることができるのなら、それに便乗できないだろうか。


澤部への答えはもう出た。満の話を聞いた時は小説にしてみようかと考えたが、おそらく無理だ。書けたとしても、この国ではフィクションが栄えないから、よほどのコアなファンがつかない限り食べていくことはできない。


隔離よりは社風の合う職場を見つけ適合できるようになりたいと思う。だが本音、この国で生きるという選択肢を捨ててもいいのだと思っている。この世界での人生を捨ててまで価値のある場所へ辿り着けるのなら、そこへ定住するのも悪くはない。


満はどうやってここへ来たのか。方法が分かれば俺も行けるのではないか。そう考える。


「この世界へ来る直前の様子を聞いてもいいですか。目の前が真っ暗になったと言っていたけれど、具合でも悪くなったとか」


満はスマホをしまい、思い出すように天井を見上げた。


「いえ、朝ちょっと慢性的な疲れで体力が落ちているかなと思ったけど、いたって健康でした。出勤途中で一瞬くらっとしましたが、あれは、自分の体調によるものじゃなかったと思っています。停滞していた空気の中に引きこまれたような」


少し考えてみる。満の前でなら、突拍子のないことを言ってもいいだろう。


「物理学的ななにかが、普段ならあり得ない形で働いたのかもしれません。空気がねじれて妙な現象を引き起こしたとか。同じような現象が起これば……同じように停滞した空気の中にいけば戻れるかも。あくまで仮説でしかないのですが」


「では、帰れる望みはあるのですね。俺、ここにずっといたらどうなってしまうのでしょう。それを思うと不安で不安で。そもそもここはなんなのですか」


大和はこの国のシステムについて説明をしながら、ふと先程の警備員の言葉が思い出した。時々消えてしまう人がいるらしいよ――。


どんな裏があるのか知らないが、満はもともと異質な世界から来た人間だ。この国では到底生きていけないだろう。もしかしたら一生隔離されて、殺されてしまう可能性もあるかもしれない。実際、大和も似たようなものなのだが。


「本田さんはもとの世界に絶対に帰ったほうがいい。その方法ですが……俺にもわからない。ただ、ここにもそうした現象はあるかもしれない」

「ここに?」


大和は食器を持ち、立ち上がった。


「建物の中って、空気の通りがよくないところが必ずどこかにあると思うんですよ。見学は自由と言われています。この部屋にいても時間が過ぎていくだけだ。食器をさげにいき、見学をするふりをして、空気の停滞しているところを探しましょう。でないと本田さんは一生ここから出られなくなるかもしれない。わずかでも希望があるなら、今晩のうちに行動したほうがいい」


大和の深刻な表情に、満は焦ったようだった。


「わかりました。なんとか探してみましょう」


二人で特別室から出ると、階段を使い二階まで行った。


食堂は八時を過ぎても賑やかだ。大かたは従業員で、トランプをしている人たちもいる。ここへやってきたと思える人々は、暗い表情でひっそりと食事をしていた。


食器を返却し、廊下に出る。二階は食堂と従業員の休憩室があるだけだった。三階まで階段で登る。ここへやってきた人々が生活する部屋のドアがずらりと並んでいるだけで、とても静かだ。空気の悪いところもなかった。 


一階へ行き、渡り廊下を使って別棟へ向かった。作業場がある。ガラス越しにベルトコンベアが見られるが、今は止まっていて真っ暗だ。鍵がかかっており、中へは入れない。


二階へ行った。二階も作業場だった。三階。ベルトコンベアはないけれど、やはりなにかの作業場だった。四階も同じ。五階へ行くと、洗濯機が六台並んでいた。


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