1-7
外から物音が聞こえてきて飛び起きると、辺りは暗くなっており窓から月が見えた。
結構な時間、眠ってしまったのだ。内心で慌てた。
考える時間が欲しかったのに、もう夜になってしまっている。
「はいここ。君、この部屋ね」
ドアの向こうから声が聞こえる。澤部の声でも何森の声でもなかった。この部屋にもう一人誰か来るのだろうか。
ピ、という音が聞こえて鍵が開く。
腕に手錠をかけられた男性が一人、警備服を着た人に連れられ入ってくる。服はボロボロ。酷く怯えた顔をしている。年齢はそう変わらないか、やや上のように思えた。
「あの、このかたは」
大和は立ち上がり、訊ねる。
「本田満君だって。まあ、同じ部屋にいる者同士、仲良くしてあげて」
警備員は手錠を外す。
「なんで手錠をかけられていたのですか」
「朝、病院から連絡が入ってね。昨晩、警察が桃京駅周辺をうろうろしていたところを保護して、病院に運ばれたらしいよ。体は健康なようですから預かってやって下さいと言われてね。事情をこの時間までずっと聞いていたんだけど、言うことの半分は意味不明。まぁ、大人しいからいいんだけど不審者だからね」
それで、ここへ来たとき騒がしかったのか。
「この腕輪、つけてね。ね? 分かる」
従業員は念を押すように満に言う。満は言われたとおりにする。
「ご飯持ってきてやるから、今までみたいに大人しくしていてよ。ああ、三浦君もなにも食べていないのじゃないか。君の分も持ってきてやるからできれば話でも聞いてやって」
大和は「はぁ」と頷く。借りた携帯を見ると、時刻は午後六時を過ぎていた。
「……ず」
満がふと、警備員に言った。
なに? と警備員は強い口調で訊ね返す。
「日本地図と世界地図をお願いします……あるなら持ってきてくださいませんか」
「そんなのを見てどうするの」
「場所を確認したいんです」
警備員はわかったよ、と侮蔑の混ざった目で見つめながら、去っていった。
二人になると気まずい空気が流れた。男性は視線を彷徨わせている。
参ったな、と思った。明日までに結論を出さなければならないのに、気が散る。
「ベッドに腰をかけたらいかがですか」
満が部屋の中をうろうろとしていたので言うと、大人しく座った。
しばらくして、先程の警備員がトレイに食事を乗せてやってきた。
「ほら地図。こんな世話まで俺の仕事じゃないんだけどね」
「ありがとうございます」
満は言って、食事には目を向けず地図を広げる。大和もお礼を言った。
「ああ、そうだ三浦君。本田君も聞いたほうがいいかな。ここだけの話なんだが」
「なんでしょうか」
「隔離を選ぶと、時々消えてしまう人がいるらしいよ。気をつけてね」
「…………」
社会の役に立たないとみなされ抹殺でもされるというのだろうか。
「食器は、二階の食堂の返却口に返しておいて。こんなことは今夜だけだからね」
警備員は去っていった。とりあえず、ただ飯にありつけた。税金から支払われていると思うと心苦しいが、感謝をしなければ。
白米に味噌汁、柚しお胡椒で味付けされた豚肉。デザートにはくし切りにされた桃がついている。満はまだ地図を眺めていた。
「とりあえず食べませんか。本田さん」
言うと満は泣きそうな顔で地図からトレイに視線を移し、デザートの桃を見つめた。
「今、何月ですか」
「一月です」
「桃の季節じゃない」
なにを言っているのだろうかと思った。
「一年中食べられますよ」
「……で」
「はい?」
「なんで桃京なんですか。完路ってなんですか」
地図を見つめたまま、震えている。
「なんでって言われても、政府が定めたのでしょう」
満はベッドから離れ蹲り、違う……違う……と繰り返し呟いている。不気味だった。
「あの、なにがあったんですか」
振り返る。目尻に涙をため、大和に日本地図と世界地図を見せて、交互に指差した。
「なんで北海道が海動という呼び名になっているんですか。なんで京都が西国園になっているんですか。なんでアメリカがディア共和国っていう変な名前で、イギリスがステイダムというわけのわからない名前になっているのですか」
大和は言っていることの半分も理解できないし聞き取れなかった。
まずい、この人は大丈夫じゃない人かもしれない。いや、UNステーションへ来てしまっているという点で、俺も十分大丈夫じゃない。
でも、この人はさらにその上をいっている。一体こんな状態で今までどうやって生きてきたというのだろう。突発的な病気かなにかだろうか。
「落ち着いて。食べましょう」
強い口調で言うと、冷静になったのか満は再びベッドに腰をかけ、ご飯を食べ始めた。
帰りたい。帰りたい……。呟いている。今にも叫びだしそうな様子だったので、内心で動揺していた。こんな人と一晩を明かせるだろうか。
不意に、満はズボンのポケットから四角くて平べったい妙な機械を取り出し、指で操作を始めた。
「それは」
「スマホです」
聞いたことも見たこともない。
全然繋がらない、と舌打ちをしている。物珍しかった。どこかで、こうした機械が流行ってるのだろうか。
「本田さんの出身ってどこですか」
「東京です。太田区。そこで生まれてずっと」
訊ねればちゃんと返ってくるから、話は通じるのだ。慌てず話してみよう。
「太田区? 聞いたことがないですが」
「トウキョウは、ヒガシのミヤコと書いて東京です」
「へえ、無知でした。漢字は違うけど同じ地名ってあるものですね。どの辺でしょうか。南のほうですか。それとも北」
「違うんです。違うんですよ!」
白米の一粒が変なところへ入ってしまい咳こんだ。一体なにが違うというのか。
「朝、出勤途中で目の前が真っ暗に。そうして気づいたら東京が桃京と記されている。しかも駅なんてない。バス停みたいなところを駅と呼ぶ。地理がいつもと違う。世界が。世界がまるで違うんです」
「世界が違う?」
満はやっと食事に手をつけ、頷いた。
「俺が住んでいたところと似ているのになにもかもが違うんです。ここは」
「では今までどんなところに――」
言いかけて、スマホという機械のことが妙に気になった。
「それはもしかして、あなたにとっての携帯電話ですか」
「そうですよ。ここの人たちはみんなこんなおもちゃ、って笑います。ネットワークにも接続できるのに。ああ、今はできませんが」
UNステーションで携帯電話とみなされなかったから、取り上げられることもなかったのだろうと考えられた。
「どこで流行っているものです」
「全国的に普及されています」
「全国?」
「だから俺のいた世界の全国で……ああ、もう誰に言っても通じない」
イライラしている様子だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます