1-6
大和は立ち上がった。
「ああ。そのまま座っていて構わないよ。ここにカメラはないからリラックスして」
大和は立ったままお辞儀をした。男性は四十代半ばだろうか。
「私は澤部と申します。ここに初めてやってきた人の、監督係兼、職業セラピストです」
「よろしくお願いします」
「座って。その帽子もとっていい」
素直に言われたとおりにする。
「疲れなかったかい。ちょっとこちらもバタバタしていてね」
澤部は正面に座る。大和は黙っていた。どこまでがテストでどこまでが世間話かわからなくなっていたからだ。
「かなりの寝不足のようだね。大丈夫かい」
「はい。あの、この帽子は……」
「それで脳波と大体の脳の構造を調べていたんだ。本格的なテストだよ。君がなにに向いていて、なにに向かないのか。どんな嗜好があるのか。適性を測るのに必要なことだ。別室にモニターがあって、数名の医師が立ち会い、調べていた。やや空想好きのようだね」
「そんなことまでわかるのですか」
桃源郷を思い描いていたせいだろう。しかしそれは、大和にとっては誰からも触れられたくない聖域だった。
「大まかにね。脳は測れても、心理までは測れない」
大まかに。きっと嘘だ。個人が誰にも言えない秘密を脳から探ることのできる技術が、この国には既にあるということだ。
「そんなに緊張しないで。水でも飲んで」
澤部は笑顔で言った。大和は肩の力を抜き、なんとか自然体でいられるように心がける。
「それで、向いている会社はどんなところが……」
「そこなんだけどねえ」
言って、鞄からなにかを取り出す。
「まずこれをやってみて。思いつくまま答えて。心理テスト」
用紙とペンを渡される。あてはまる項目にチェックをしていく。
内容は、気分はよいか、花を綺麗に思うか等、比較的簡単なものが三十項目。十五分程度で終わった。
澤部は用紙を見て、眉根を寄せた。
「花を綺麗に思わない?」
「どこにも咲いていないので」
「花屋にあるでしょう」
「花屋は買わないと立ち止まれない雰囲気なので」
「なにを美しいと感じる」
「空と海は美しいと思います」
唸り声が聞こえた。
「空想好きなら感性豊かだと思ったけど違うのかな」
「……それは正直、わかりません」
澤部は姿勢を伸ばす。
「とても言いづらいんだが、この心理テストと君の脳の構造を調べ、あらゆる企業の社風を機械で照合した結果、困ったことに君に向いている会社がないんだ。このままだとブザーがどこへ行っても三回鳴ってしまう」
澤部から笑顔は消えている。
「ひとつもないんですか」
「ひとつもない。残念なことに」
叫びそうになる。どうやって生きていけばいいのだ。
「でも、学生の時はいくつかあったのに」
学生は、大学なら四年、高校生なら三年で、学校側と区役所が結託して適性検査を行う。
「まあ、人って変わるからね」
「民間がだめなら、役所とかは」
「君には民間で働くサラリーマン以外の適性がないよ。でもどこの会社の社風も肌に合わない……残された道はなんだろう」
「……独立は」
「独立しようにも、資金がないだろう。人を使う能力も君にはさほど培われない。ああ、これも測定の結果だ」
「では、海外で頑張れと」
こうしたことを三度繰り返す前に海外へ行く運命なのだろうか。今、英語圏で日本からの移住が増えているらしく、批判がものすごい。もちろん、その中には自ら進んで海外移住を望んだ人も含まれている。それでも行けと言われるのなら、頑張れるかなと思った。もしかしたら適合できる場所が見つかるかもしれない。
澤部はこめかみを中指で押さえる。
「ああ。本当に厄介だ。実は機械が一度エラーを出した。だから一時間で終わるところを二時間かかってしまった。君はなにかとんでもないものを秘めている。爆弾を抱えているような。そんな人間を海外には行かせられないという話になってね。ここで更生するか、隔離するか……あるいはフィクションでも作ってみるかい。作詞作曲、小説、漫画、脚本……当たればそれなりに生きられる。まあ三カ月で結果を出さなければならないけれどね。売れなければここへ戻ってくることもあり得る」
心が抉られる。国から烙印を押された。海外にすらいけないのだ。ただの海外旅行であれば問題はないのだろうけれど、居住権を得て住むことはできない。
普通に生まれて普通に暮らしてきたのに。これからも、普通に暮らしたいだけなのに。
「俺、音楽のセンスなんてないです。海外の小説はたまに読みますが、小説家ってこの国は十人に満たないですよね。漫画家はもっと少ないはずだ」
「そうだね。この国は海外に比べてフィクションの類がものすごく少ない。娯楽もね。それでも話や曲を作って生きている作家は、いるにはいる」
どうすればいいのだろう。一体誰が社風というものを作ったのか。
社風とはその企業の社長の方針と、そこに集まった人たちによって自然にできていったものだろう。しかし、既に確立している中に入って馴染むか馴染まないかシステムに即決められてしまうのは、なんだか悔しい思いがする。
「更生というのは、どういうことをするのですか」
「いくつかの会社に適合できるように、プランを進めていく。本当は、最初の三ヵ月くらいは、どの職業のどの組織も、新人を大目に見てシステムを弱くしているんだ。大かたの人間はすぐには馴染めるはずがない。それでも三か月も経てば、だんだんその会社の色に染められていく。しかし君は、どうやらそれが不得手のようだ。だから、脳の構造も、君の心理も徹底的に変える」
「そんな、洗脳みたいなこと……今とは別人になるのですか」
「そう。ある意味で洗脳なんだ。君は心理面で変化を望んでいない。しかし洗脳しなければ、別人にならなければこの国では生きていけない」
「別人になって、それでもブザーが鳴ったら」
「また別の会社へ馴染むよう変化させるのさ。そこで駄目なら……また考えるしかないね」
変化は望んでいる。しかしそれは本当の幸せを掴むための変化だ。
大和にとっての本当の幸せとはなにか。
定職について安心しながら毎日を楽しく笑い暮らすことだ。
「では隔離というのは」
「そのままさ。隔離して、ここで一生生きる」
「…………」
「まあ基本、国の保護とある程度の自由は保障される。外出もできるし家族にだって会えるさ。まあ、隔離している間にも、時代や環境や本人の心理……様々な理由で変化はあるだろうから、ここから出られる可能性もあるけどね」
「隔離されている人なんているんですか」
「何人かいる。増えすぎるのもこちらとしては困るけれど」
喉が渇いていたので、水を飲み干す。
「さて、どうする」
一応、意思は聞いてもらえるらしい。しかし二択だ。
更生か、隔離か。隔離なんて言ったら親が悲しむだろう。そういうレッテルも世間から貼られる。寿命があと五十年くらいあると考えてみると、気が遠くなる。
かといってプログラムで脳と心理を改造されるのも、あまり気持ちの良い話ではない。
「少し、考えさせてもらえませんか。考える時間が必要です」
澤部は納得したのか笑った。
「すぐに決めろとは私も言えない。他に道があると思うなら、それを探してみるのもいい。ライン作業を明日からやってもらおうと思ったけれど、明日一杯まではなにもしなくていい。じっくり考えて結論を聞かせてよ。今日明日、ここの見学でもしていて。君はあう社風がないだけで、向いている職業はいくつかあるんだ。ちなみにラインはこなせるだろうけど、あまり向かないよ。腕輪、これに変えて」
澤部は言って、鞄から腕輪を取り出した。
「これは」
腕輪の色が白っぽい。そういえば、腕輪の種類は会社によって違うと聞いたことがある。
「君がはめていたのは単純作業用の腕輪。その腕輪には、適性判断のセンサーはついていない。つまりお客様用の腕輪ってわけさ。健康状態のみ測れる」
覇気のない返事をして、大和は腕輪を変える。
「それでね、部屋は何森から三○四号室と言われていると思うけど、特別室に行ってもらえるかな。ここの棟の最上階。食堂も使っていいからね。あ、携帯は専用のを貸すから」
「特別室?」
カードキーと携帯を受け取り、訊ねた。
「三○四号室は単純作業用の部屋だ。場違いってことになって、腕輪もエラーを出してしまう。だから特別室へ。普通の部屋だよ。防犯カメラはついているけどね」
頷く。澤部は話をまとめ、じゃあ今日はゆっくりしてくれ、と言って去っていった。
大和は立ち上がり、すぐにその部屋へ向かった。緊張感から解放されたのと、これからのことを考えたいのと、昨晩眠れなかった倦怠感から少し休みたいという思いでいっぱいになっていた。
エレベーターで七階まで上がり、鍵を使って「特別室」と書かれた部屋へ入る。
まるで安いホテルの一室のようだ。十畳ほどで、簡素なシングルのベッドが二台、置いてある。特別室、というくらいだから、客人が二人で来ることもあるのだろう。
入口には小さな冷蔵庫つき。冷蔵庫の中にはなにも入っていないので、多分なにか買ってきて入れてもいいのだ。
布団やシーツは引き戸の中にある。
大和はベッドマットの上に寝転がり、溜息をついた。
ここへ来る前、気分が変わるかもしれないと一瞬でも思ったのが馬鹿みたいだ。こんなどうしようもない人間もいる。更生しか道がない。更生、なんていわれてしまうと犯罪者のようだ。この国はなんでもヘマをすると、犯罪者のように扱われる。
俺はどうなってしまうのだろう――。
空には、雲がゆっくりと流れていた。
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