「さいかい」 

今日は一人で夫の見舞いに行く。

夫は「お、今日はひとりか」と声を掛ける。

持ってきた着替えと夫の好きな本を近くの机に置き、体調を尋ねる。

いつものように談笑した後私は自分の荷物を手早くまとめる。

今日はもう一つ目的があるからである。佐山静恵に会うことだ。

「じゃあ、また来ますからね」と歩き始める私に

「今日は早いな。やりたいことでもできたか?」と夫は聞く。

見抜かれた私は「ええ」と返事をする。

「そうか、頑張れよ」

夫の暖かい言葉に押され、佐山静江を見かけた場所へと移動した。


病室前の名前を一つ一つ確認するが、それらしい名前は見つからなかった。

私は近くにいた看護師さんに尋ねることに決めた。

「あの、佐山静江さんってどこの病室にいらっしゃいますか?」

少し緊張気味に声を発す。

「お知り合いなんですか?」

と声を低くして看護師さんは答える。

「ええ、高校の同級生で、、、」

私は俯きながら答えた。大丈夫。間違ったことは言ってない。

「そうなんですか…! 佐山さんは502号室にいらっしゃいますよ。」

と私の返答を聞いて安心したのか、明るい声で教えてくれた。

「ありがとうございます」

軽く礼を述べ、502号室へ向かった。


502号室の扉を開け、ゆっくりと中に入る。

夫がいる病室と作りは同じで見慣れているはずなのに、どこか自分を緊張させる。

ベットに取り付けられた名前を一つずつ確認する。

「あった」私は小さく声を漏らす。

『佐山静恵』という名前は3つ目に確認したものに付けられていた。

私は恐る恐るそのベットの主を見る。

その体は、だらんとしていて全く動かず、私が来たことに気づいていないようだった。

その顔は、昔の面影を残さず、横を向き、どこか遠くを見ていた。

昔の「佐山静恵」とは思えないほど変わっていた。

「あ、あの」

か細い声で声をかける。

佐山静恵はゆっくりと顔を向け、とろんとした瞳で私を見つめる。

「…誰」

私は手に力を入れて答える。

「河島薫と言います。昔は市川でした。高校の頃あなたと一度だけお話ししたことがありまして。」

「…知らない」

そういうと彼女はまた横を向いてしまった。

佐山静恵が私のことを覚えていないのは予想ができたが、今の彼女は私が知っている彼女ではなかった。やはり私と同じように社会に飲まれてしまったのだろうか。

私が考え込んでいると、突然

「どちら様ですか」

と言う声が背後から聞こえた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る