「おもいだす」

孫を息子の裕太と妻の江実さんが暮らす家まで送り、早足で家に戻る。

「佐山、佐山、佐山…」と小声で言いながら。

しんとした家の扉を開け、颯爽に押し入れへ向かう。戸を開けると何年分かの溜まった埃が空間を舞う。私は咳き込みながら学生時代のアルバムを取り出す。

小学校、中学校、高校。

表紙は黒ずみ、カビがそこらに生えていた。

(クラス全員の顔と名前が印刷されているページを開き、)指でなぞりながら「佐山」と言う字を探す。中学校のアルバムを何ページか進めていた時、ぴたりと指と目が止まった。

「佐山静恵」

一語ずつゆっくり声に出す。

そして顔写真に目を向ける。はっきりとした顔立ちで髪を肩まで長く伸ばし、胸を張って写っている。

「佐山静恵」

もう一度声に出す。私の記憶の重い扉が開いた気がした。


佐山静恵は中学の頃の同級生だが、一度も同じクラスになったことがなく、たった一回、会話をしたきりだった。


「薫!」

私を呼ぶ声に意識を取り戻す。

「薫!またどっか見てる。考え事?」

と笑いながら友達が話しかけてくる。

「ううん。ちょっと空見てただけ」と軽く返事をする。

本当はあることについて考えていた。

高校3年生になり勉強も難しくなったり、部活の後輩ができたりなどで悩むこともたくさんあるが、私をこのようにさせるものはまた別にあった。


ある日の全校朝会だった。全学年・全クラスが校庭に一列で並び、校長の話を立ちながら聞く。熱心に聞く子、先生にバレないように立ちながら寝る子。いつもと変わらず話は進んでいた。

校長が生徒会役員の話をした時に、事は起こった。

「何か制限はあるのでしょうか」

突然声が響いた。普段起こりえない出来事に周りはざわつく。

声の主は片手をピンとあげ、真っ直ぐに校長の方を見つめていた。

「なぜ、校長先生の話を遮るんだ!」

1人の教師がその生徒を怒鳴りつける。

「この場で仰ってもらえれば、他の立候補したい生徒の疑問が少しでも減ると思ったからです。」

とはっきりと動じない口調で答える。

「舐めたことを。あとでこい、佐山」

顔を真っ赤にした教師は彼女を睨みながら言う。

「はい、私も聞きたいことがあるので」

彼女は先ほどと同じく答えた。

その後、朝会は何事もなく終わったが、全校生徒の中では朝会の話で持ちきりだった。

「ねぇね、朝すごかったよね!」

「あの子どこの組の子だろ」

「あの時の先生の顔面白かったよな」

様々が声が色々なところから聞こえてくる。

私は朝起きたことを頭の中で再生する。

「佐山さん、か」

思わず出てきた声に、焦って口を覆う。

すると今度は心の中で名前が溢れ出す。

(佐山さん、佐山さん、佐山さん…)

朝会での朝の立ち振る舞いは、私に大きな衝撃を与えたのだった。


また考え込んでいる私に、

「薫ってば!」と声が聞こえる。

「薫、朝のこと気になってるんじゃないの?」

友達に不意をつかれ、苦笑する。

「うん、実はそうなの」

私は本音を口に出す。

「あの佐山さんって子?すごかったよね。」

友達は面白いことが起きたという目で私を見る。

「でも、どうしてあんなこと言ったんだろうね。」

「もしかして、本当に立候補するのかな。生徒会」

神妙な顔つきで言う友達の言葉に私はまた考える。

生徒会に立候補する…。男社会に囲まれた中で…。

そうだとしたら、彼女はすごいことを成し遂げようとしているんじゃないのだろうか。彼女に本当のことを聞いてみたい。そう思った。


自教室に向かうため廊下を歩いていると、前の方で先生と佐山さんが向かい合って話していた。私は歩くスピードを落とし、話の内容を聞きくことにした。

「先生、生徒会役員選挙のことなんですけれど」

「何回も言っているけれど、君には無理だよ佐山さん」

先生は半分呆れたように彼女の顔を見る。

「女にはできっこないって言ってるでしょ。男のほうが何倍もできるんだから」

「そうでしょうか。私は、女性も男性と同じくらいできると思っています。」

私はその言葉を聞き、足を止める。今の日本では「男が偉い、女は男を支える」という考えが根強く残っている。その中で佐山さんは闘おうとしている。女性でもできるんだってことを証明しようとしている。私はその姿がとてもかっこ良く感じた。

「いいや、できないね。君が他の男子立候補者を推薦するのなら、私は応援するよ。」

先生は相変わらず自分の意見を曲げない。

「私は、できます。証明して見せます。絶対に。」

佐山さんは芯を持った声で言った。彼女は本当に生徒会に立候補しようとしていたのだった。

「明日生徒会立候補の承諾を求めに校長先生に伺う予定です。」

「お時間ありがとうございました。」

と軽く先生に礼をして歩いて行った。

私は離れてく佐山さんを無意識に追いかけていた。

「待って!佐山さん!」

私の声に佐山さんは振り向く。

「…誰?」

凛とした表情のまま私に問いかける。

「私!3年5組の市川薫です。さっきの話聞いていて、その」

手に力を入れ言葉を伝える。

「かっこよかったです!すごく!」

私の言葉に驚いたのか佐山さんは目を見開く。

「あ、ありがとう…」

といつもとは違いたじたじに言う。

私も違って積極的に。

「実は、聞きたいことが2つあって。」

深呼吸をし、疑問を伝える。

「1つは、どうして生徒会に立候補したのか。もう一つは、どうして朝会の時に発言したのか」

「教えてください!」

と頭を下げる。

「頭下げないで?一応同級生だから」

「私、2組の佐山静恵。同級生からこんなこと言われたの初めてだよ。」

私の言動に笑いながら佐山さんは話す。

「まず1つ目。私は単純に生徒会に入りたいの。生徒会に入ってみんなを引っ張りたい。でもその過程で男尊女卑にぶつかって。だから私は自分の願望を叶えるために努力してる。たたかってる。」

「次に2つ目。実はただみんなに知って欲しかっただけ。私が立候補するっていうこと。」

「“当たり前“に亀裂を入れて、変化を起こしたかった。」

「そして私の目の前に、私に感化されたあなたがいる。私はそれがすごく嬉しいの。」

私に微笑んだその顔はとても輝いて見えた。

私は、彼女に憧れているんだ。惹かれているんだ。

私は、彼女みたいになりたい。友達になりたい。

私は強く強く決心した。


佐山静恵の生徒会立候補は、彼女の気迫に押された校長によって認められた。

結果は惨敗。生徒会役員の席は男子生徒により全て埋まった。

しかし彼女はこのことを機に人気者になった。

以前より近づきずらくなった彼女に、引っ込み思案の私は何も話すことができず、

そのまま高校を卒業した。

さらに、佐山静恵は高校卒業後すぐに遠くの街と引っ越してしまった。

年をとり“当たり前・通常“を望む社会に飲まれていくうちに、私は彼女や彼女への思いを忘れ、本音を隠し、下を向く自分になっていったのだった。

昔のことを思い出した私は、明日佐山静恵に会うことを決めた。

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