第423話 実験くらいはしたのだろう?

 ベッテンドルフ伯爵家嫡男メルヒオルside



 庭師が丹精を込めて刈り込んだ庭木の通路は、美しいシンメトリーを作り出し、散歩するだけで花や緑を十分堪能できるよう、複雑な順路を織りなしている。

 その一角のガゼボで私が主催するお茶会を開いている。


 噂にも上らなかった婚約者らしき冒険者を、腕試しと称して遠くへ追いやったのちの出来事である。


 目の前に座るウエルネイス伯爵家のキャロル嬢は、応接室で事前に飲ませた薬が効いて来たのか、瞼が下がり上半身がゆらゆらと振り子のように揺れ始めた。

 やがて瞼が下がると一気に体の力が抜け、椅子の背もたれにその身を預けて、力なく首は傾き両手はだらりと垂れ下がる。


「良いタイミングで薬が効いたようだな。 婚約者という予想外の存在がいたが、低ランク冒険者だ。 あれが護衛というなら、こちらの護衛が二人掛かりで当たれば勝てるし、最悪、倒せなくとも時間稼ぎくらいは十分できるだろう」

「メルヒオル坊ちゃま、あとは手筈通りに?」

「うむ、部屋に運べ」


 普段より人員を多く配置していたのは、この時の為だ。

 口の堅い人材が限られており、集めた人員の中には位の高い使用人の下男までをも動員している。

 まあ、位の低い使用人では口の堅さに不安が残るし、他家から奉公に寄越された使用人はこのような策には使えない。

 ベッテンドルフ伯爵家の後ろ暗い行いを知られる訳には行かず、限られた人材の中で実行する外なかった。


 訪れた者に一服盛るなど噂話ですら広がればベッテンドルフ伯爵家の評価は下がる。酒が飲める成人年齢であれば酔わせて事に及べたが、未成年に対し無理に酒を薦めるのも憚られ、行動に移せない。


 学院では真面目な生徒だったキャロル嬢が裏では……、と噂を広めたとしても、それを信じるのは情報収集を怠った貴族家の内で数割程度だろう。日頃の行いに対して信憑性が乏しすぎる。

 それならば、一夜を共にしたロマンスの方が噂として流しやすい。

 色事は男女問わず興味を引く話題だから拡散するのも早く、あちこちで耳にする話題は情報源も霞やすい。


 父上の手によって、いずれ王都で私とキャロル嬢が恋仲であるような噂が広まるだろう。

 嘘の中にも一夜を共にした事実を混ぜた噂は、現実味を帯びる事だろう。

 そして噂だけで終わらないよう、学院の二学期が始まる前には婚約まで漕ぎ付けたい。


 今後の展開を思案している間に、気が付いたら屋敷の階段を四階まで登り切り、私室の扉が眼前に差しかかる。


「このままメルヒオル様のお部屋まで運び込みますか?」


 使用人とはいえ、ベッテンドルフ伯爵家の私室に入るには許可が必要であり、キャロルを抱えたまま入室するのを躊躇っていた。


「ここまで来れば作戦は成功したも同然だろう。急がずとも良いから丁寧に運び、ベッドに寝かせてくれ」

「畏まりました」


 意識の無い女性を抱え直し、護衛や下男などが数人がかりで、そっとベッドへと運び込んだ。

 薬で眠らされているキャロルは、多少の衝撃では起きるそぶりも見せず、呼吸に支障をきたさないよう仰向けに寝かされている。


 逃走防止に両手を頭の上で縛り、両足も足首の辺りで同様に縛り付けていた。更に結んだロープをベッドの脚に繋ぎ、対角線に寝そべり身じろぎすら困難な状態にした。


「ウエルネイス伯爵家令嬢の拘束が終わりました」

「ご苦労。 あとは私だけでも危険は無い。 下がって良いぞ」


 ベッドに横たわる姿を見ながら、今回の作戦に参加した使用人達を部屋から追い出す。


「それでは失礼いたします」

「ああ、少し待て」

「……はっ!」

「この事はくれぐれも口外せぬように」

「……理解しております」


 念のため口を滑らせぬよう、鋭い視線を送りつつ釘を刺すメルヒオル。

 貴族家当主嫡男に睨まれるも、口の堅い使用人達は跖狗吠尭と従い頭を下げ退室していく。


「それと、海外の国からの輸入品で、睡眠香とやらがあったよな?」

「メルヒオル坊ちゃま、それは……」


 一人残った執事は内心の動揺を見せず、睡眠香については言い淀む。


「通常の快適な眠りに誘う香と違い、強力過ぎて禁制品となっている物だろう?」

「そうでございます、領地の事を良く学んでおいでですな」

「世辞は良い、我が屋敷にはあるのか?」

「貿易港での密輸が発覚したので、押収した物の一部があります」

「それを使う、効果はどうなのだ?」


 興味深げに睡眠香の効能を確認するメルヒオル。


「香を焚いた部屋に一晩寝かせただけで、三日から一年は寝たきりとなります」

「効果が長すぎる上、ばらつきも酷いな……」


 扱いきれない効果を聞いて、眉を顰めるメルヒオル。


「人によって効果が桁違いになります、ですから禁制品なのです」

「そういう物か……、当家でも実験くらいはしたのだろう?」

「もちろんです。 ですが……、一時間吸わせて一日から一か月といった程度で、狙った効果を出すのは至難の業と言えます」

「では、キャロル嬢の目が覚めたら、一度婚約の意思を確認する。 その上で了承が得られなければ、睡眠香を使うとしよう」


 当主である父上の方針に従っているとはいえ、このような手段を取っていたらウエルネイス伯爵家との関係性は最悪となり、父上が目論む美容魔法使いの紹介など到底あり得ない。

 婚姻で縁を繋ぐのは有意義だが、父上にはその後の関係性も考慮して欲しい。未だに成り上がりの田舎貴族で数年前の爵位である子爵家だとでも思っている節がありそうだ。格下では無く同格の爵位だという事を忘れないで欲しい。

 せめて彼女の自由意思くらいは確認しよう。


 まあ、何日も軟禁する事にはなるがな。


「畏まりました。 飲み物に混ぜた薬の量ですと明日には目覚めるので、ご注意ください。 睡眠香はお部屋にご用意いたします」

「ああ、応接室に待たせている護衛はいくら眠っても構わない。 準備ができ次第、睡眠香を嗅がせておけ」


 長期戦を考慮し侍女と護衛は眠らせ、本来の婚約者は地下牢にでも監禁して、交渉の手札としよう。


「畏まりました」


 そういってお辞儀をした執事が最後に、メルヒオルの私室を出て行った。

 残されたのは、拘束され眠れる美女と化したキャロルとメルヒオルだけだった。


「それにしてもキャロル嬢は安っぽいペンダントを身に付けている。 宝飾品はこれだけのようだし、ウエルネイス伯爵家が用意した宝飾品ではないだろう。 婚約者が送った物か? 低ランク冒険者らしく経済力も乏しいのか」


 キャロルの姿をジッと眺めていたメルヒオルは、胸元に飾られたカメオに気付き、貴族令嬢が身に付けるに相応しくないと感じ、婚約者を蔑むかのように零していた。


「これだけの事をしておいて、父上は子供の悪戯で済ませるおつもりだとは、どこまで他人を軽んじておられるのか……」


 憐憫の情を向けながら、家の方針に嘆息を吐く。



(それにしても婚約者と紹介されたあの仮面の男、どこかで見た覚えがあるのだが、果たしてどこだったか……?)

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