第417話 痛みはありますか?

 石鹸づくりをした翌日、イズミさんと約束していた造船所へ向かう事になった。

 俺やノイフェス達に加えてキャロル様一行の三名とイズミさんが向かう人員だ。


「わあ、海の香りが強くなってきました!」

「そろそろ海も見えてきますよ」

「あそこに見える、青く光っているのがそうでしょうか?」


 立ち並ぶ建物の隙間から覗く大通りの先に、深い青色の海がどこまでも続いくのが見えていた。

 陸地に向かって建物の間を抜ける風に乗って、磯の香りも強まっている。

 そのまま歩き進めると視界を遮る建物が途切れ、遮るものの無い視界の先に、辺り一面見渡す限りの青い海が広がっている。


「わぁ~ッ!!」


 キャロル様は海を見るのが初めてなようで、壮大な景色に胸を打たれ、感嘆符のような言葉しか口にしていない。

 どこまでも続く青い海に目を輝かせ、根が生えたようにその場から動けなくなっていた。

 建物が無くとも港に着けられた船が邪魔だし、入り江状の地形だから視界良好とはいい難いのだが、一緒に生活感の見える風景がキャロル様には気に入ったようだ。


「キャロルはんが動かんくなったから、先行ってるで」


 ここに来た目的は造船所で新造船の契約をする為であって、キャロル様の観光に付き合っている訳じゃないイズミさんは、見慣れた海の事を気にするでもなく先を急ぐ。

 俺との契約は出資とヒノミコ国産の商品との取引の確約であって、船の注文はイズミさんと造船所でやり取りするから俺達の同行は必要ない。

 どうせ注文するのに時間はかかるので、キャロル様が海を見飽きてからでも造船所の見学は間に合うと思う。


「波打つ姿がまるで呼吸でもしているようで、海が生きているように見えますわ」

「でしたら巨大な魔物ですね」

「魔物ですか? そんな恐ろしい物とは思えませんが……」

「時には高波で人を攫い、嵐が起きれば船をも飲み込む。 恵みをもたらしてくれますが、人の力では太刀打ちできないとても恐ろしい存在ですよ、海は」

「そうなのですね、知りませんでしたわ」

「ここは入り江になっているので、波も穏やかに見えるんです」


 何せ沈んだら息が続かないし、自由に移動できるような場所じゃない。

 船が大破するような嵐に襲われたら人間なんてひとたまりも無いし、無事乗り切れたとしても、マストが折れて航行不能になって海を漂う可能性もある。そして食料が尽きて……

 風魔法や水魔法で多少はどうにかできそうな気はするけど、本当に多少であって、広大な海の上での僅かばかりのどうにかでは、あっという間に魔力が尽きて対処不能に至るだろう。

 自然の振るう猛威には、人間の力では抗えない。


「ちょっとした事で命の危機に陥りますから、海は魔物だと分かってくれましたか?」

「良く分かりましたわ、エルさんは博識ですのね」


 海の壮大さに胸を打たれたのもあり、感心しながら俺の説明を素直に受け取るキャロル様。

 そんな話をしていたら、造船所に向かったイズミさんが足取りも軽やかに上機嫌な姿で戻って来た。


「契約済ませてきたで」


 同型艦を発注したからか、打ち合わせもあっという間に終わったそうだ。

 船に設置する魔道具の注文で多少のやり取りがあったらしいが、前回と似たような仕様だから大筋はきまっていた。

 ついでに前回注文した船も今回の滞在期間中に完成の目途が立ち、引き渡しも行われるそうだ。

 船首に赤ワインのボトルを投げつけて、進水式とかやるのかな? 安全を祈願して生贄を捧げる風習だったか?

 生贄の血に見立てて赤ワインを使っているらしいし。


「ほな戻ろか?」

「……ええ」


 朗らかな笑みを浮かべて宿に戻ると提案するイズミさんに対し、海に見惚れている間に造船所を見学する機会を失い、落胆するキャロル様。

 海の見物に時間を使いすぎたのだから仕方ないと、根の生えたキャロル様の手を引き来た道を引き返した。


「そういえば、また解体する魔物があったら任せてくれへん?」

「いいですよ」


 ダンジョンの無いヒノミコ国では魔石の調達は輸入に頼るほかなく、その調達手段として、俺がアイテムボックスに抱え込んでいるウルフ系の魔物の解体をして魔石を買い取っていた。

 今回もそれをやりたいという事で、断る理由もないから素直に応じる。


「みんなを呼んで来るから、エルはんは準備したってや」

「分かりました、街の外に準備しておきますね」


 それを言い残すや否や、俺の返事もそこそこにイズミさんは走り出していた。時間が惜しいのか、せっかちだな。


「エルさん、街の外に出るんですか?」

「ええ、解体する魔物を出して、それを処理する穴を……」


 そういえば破門の腕輪をしているから、土魔法での穴掘りができないんだった?!

 すっかり腕輪の存在を忘れていて、迂闊に魔法を行使してしまうところだった。

 イズミさんのとこの船乗りにも、穴掘りできる人くらい居るだろう。魔法で無くとも人力でも熟せるわけだしね。




 街の外でウルフの死骸を山積みにして待っていると、イズミさんが船乗りを連れて現れる。


「エルはん、おおきに!」


 愛想よく笑顔を振りまき、ウルフの山を確かめるイズミさん。


「きょうは穴掘りしてくれへんの?」


 いつもの死体を処理する大穴が開けられていないことに気付いたイズミさんが、素朴な疑問を投げかける。


「今回は穴もそちらでお願いします」

「世話になってばかりじゃあかんし、うちらで穴は何とかするわ」


 そういってイズミさんは船乗りに指示を出し始めた。

 それを聞いた三人の船乗りが、地面に手を当て死体処理用の穴を作り始め、他の船乗りは解体用のナイフを手にウルフの処理を始めている。

 大勢で始めているから、鉄臭い血の匂いが周囲を覆うように広がり始める。

 いつ見ても慣れない光景だと思い、キャロル様が体調を崩す前にその場を離れる事にした。


「この後はどうなさるのですか?」

「昨日加工した米ぬかが固まっているはずなので、それの成果を確かめませんか?」

「いいですね! 実はずっと気になっていました!」


 気がかりだった物の正体が知れると分かり、パッと花が咲いたように笑みを浮かべるキャロル様。

 早く知りたいと気が急くのか、足取りも軽やかにヒタミ亭に戻る俺達。


 キャロル様を裏庭に待たせ、俺は部屋から米ぬかペーストの入った型を全て運び出す。


「こちらが昨日の米ぬかペーストです、いま型から出しますね」


 型と言っても石鹸用に用意した専用の物でなく、ありあわせの器に注いだから、丸い丘のような形の石鹸が出来上がった。

 米ぬかと重曹だけで作った米ぬか石鹸は、固まらず味噌のような状態になると聞いた事があるのだが、不思議と固形石鹸のようにしっかりと硬く仕上がっていた。

 そして色合いは土気色で見た目はちっとも美しくない。

 重曹は刺激物でもあるから肌に負担が少ない物から試そうと、お掃除粉末の配合が少ない物から手に取ってみる。

 一番配合が低い物は、子供が土遊びで団子を作ったようにボソボソしていて、手に取り力をかけると、すぐに崩れるような状態だった。


「お掃除粉末の少ないヤツは、見るからに失敗作ですね」

「この状態はダメなのですね」


 そもそもすぐ崩れるような物は運搬に耐えられないし、商品に適さないと簡単にわかる。手洗いなどの石鹸としての利用方法を試すまでも無く、ボソボソの物は廃棄が決定した。

 いくつかのしっかりと固まっている米ぬか石鹸をピーラーにかけ、皮を剥くように薄く削り出し一回分の使用量だけ削り取る。


「その薄いのをどうなさるのですか?」

「これは石鹸と言って、手洗いや身体を洗うのに泡立ててから使います」

「なるほど?」


 納得している風にいっても、小首を傾げて不思議そうにしていますよキャロル様っ。その仕草は可愛らしいですけど!


「論より証拠、まずは使ってみましょう」

「そ、そうですわね」


 普段なら湧水ウォーターで水を出すところだが、破門の腕輪を嵌めている状態だから井戸の傍まで行き、俺が手押しポンプを操作してミレーヌが手を洗う係りになった。

 流石に貴族令嬢で人体実験をする訳には行かないからね。


「始めに手を水で湿らせた後、その石鹸を両手で挟み擦り合わせてください」

「かしこまりました」


 手押しポンプのレバーを上下に動かし、井戸から水をくみ上げる。

 ミレーヌが吐き出し口に両手を持って行き、手をこすり合わせながら出てきた水で湿らせている。

 それが終わると、キャロル様が鉋の削りくずのように薄い膜状になった石鹸をミレーヌの手に乗せ、両手で挟んだミレーヌが手を擦り始める。


「なんだかヌルヌルしてきましたッ?!」


 ヌルヌルが広がり始めるとぽつぽつと泡が立ち始めるが、気泡も大きく疎らで泡立ちは悪そうだ。


「それじゃ水を流すから、ヌルヌルが消えるまで洗い流そう」

「かしこまりました」


 手押しポンプを操作し水を流すと、すかさず吐き出し口から零れる井戸水に両手を突っ込み、擦り合わせながら泡を落とし、違和感が無くなったところで、タオルで水気をふき取っていた。


「どうかな?」

「どうなのですかミレーヌ」

「なんだか手がすっきりした気がします」


 泡立ちが悪くとも多少は石鹸の効果は出たようだ。

 仕事中は澄まし顔のミレーヌも、どことなくさっぱりとした心持に見える。

 配合はともかくとして、米ぬか石鹸の第一弾としては成功の兆しが見えたと言える。


 その後はお掃除粉末の配合が低い物から順に試して行き、ミレーヌの前腕の内側に外側にと洗う個所を変えながら、お掃除粉末の配合を上げた物を順に確かめた。


「なんだかピリッとします……」

「すぐに洗い流そう!」


 慌てて手押しポンプを操作し、ミレーヌの石鹸を洗い流した。


「ミレーヌ、大丈夫ですか?」

「先ほど洗い流したところの肌が、少し赤くなっています。 でもいつの間にか、爪の間の黒ずみが消えていますね」

「この配合はダメですね、これ以上の実験は危険です。終わりにしましょう」

「……大丈夫でしょうか?」


 キャロル様が心配そうに尋ね、ミレーヌの肌に視線を向ける。

 ミレーヌは冷静に洗浄効果だけは報告しつつ、赤くなった肌を抑え不安そうに尋ねる。


「痛みはありますか?」

「最初にピリピリと感じましたが、洗い流してからは赤くなっただけですので痛みまでは……」

「明日になっても赤いままだったり痛みがあるなら教えてください。 何とかします!」


 そういってもらえるならと沸き上がる不安を抑え、一先ず納得するミレーヌ。

 キャロル様とミレーヌには俺が光魔法を使えるのは知られているし、痛みが出たり赤いままなら回復魔法を掛けてみよう。

 破門の腕輪の問題があるが、その時はその時だ! 人命には代えられない!(注 命はかかってない)


 肌に優しいといわれる米ぬか石鹸でも、お掃除粉末の配合が高すぎると刺激が強すぎてしまい、皮膚に良くない影響を及ぼす恐れが出て来た。


 その結果、米ぬか一に対して二より配合が低い物は、固まりが悪かったり泡立ちが悪かったりといまいちの出来栄えで、二では洗浄力に疑問が出て、三までいくと刺激が強すぎる。

 最終的な配合は、きめ細かい泡が立つ二対五が最適と判断した。


 前世の知識だと一対二が最適だったが、お掃除粉末の余分な量の中に米ぬかペーストを固める効果がある成分が入っていたのかもしれない。


「この米ぬか石鹸は、すっきりするだけですか?」

「泡の洗浄力で汚れを落とすのは勿論の事、米ぬかの成分が健康を促進したり保湿効果があったりと、本来は肌に優しい石鹸なのです。 乾燥肌の人には最適ですよ」


 米ぬかに含まれるサポニンが泡立ち、お掃除粉末に含まれる重曹が汚れを落とす。さらに米ぬかのビタミン群が肌を健康にし保湿効果をもたらす。刺激が少ないというのが米ぬか石鹸の売りだ。


「わたくしも乾燥しやすいのですが……」

「米ぬか石鹸は全身に使えるので、日常的に使用なさると良いですよ」


 最適な配合の物をキャロル様に渡し、それより一つ上の配合をミレーヌに渡した。


「ありがとうございます、エルさん」

「エル様、ありがとうございます」

「実験に付き合っていただいたお礼ですよ、気になさらないでください」


 そう伝えると、二人は嬉しそうに受け取っていた。

 最適配合より一つ下のはイズミさんに渡せば、鼻が利くイズミさんなら商売につなげるだろう。

 さらに下の配合のやつを数個ルドルツに渡し、地引網漁が休みの時に米ぬか石鹸作りをさせるよう指示し、それの売り上げが見込めればルドルツも事業の撤退を思いとどまるだろう。


 なにせ、地引網は雨天のみならず、風の強い日、波の高い日なんかは休漁するから、暇な時間はたっぷりあるしね。


 ミレーヌの肌の赤みも夕方には消え、痕が残るような肌トラブルに陥る事無く無事に済んだ。

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