第414話 ……ぬか床?

 旅は順調すぎるくらいに進み、今日中にボルティヌの街に到着する見込みだ。

 街道を進む最中、何かを感じ取ったキャロル様が口を開いた。


「エルさん、空気が変わった気がしますわ」

「海から来る風に乗って、磯の香りを感じたのでしょう。 海が近い証拠です」


 海水より陸地の方が日光による温度上昇が高く、その温度差で日中は海から陸地に向かって風が吹く。その流れで海の匂いが陸地に届けられる。

 俺がそう答えると、周囲の匂いを感じ取ろうと目を瞑り、辛うじて感じる磯の香りに意識を向けるキャロル様。その際、さり気なく腕を絡めて来た。


 歩きながらだから、転ばないように杖代わりにしただけだよね?!


 流れるように自然に腕を絡ませて来たけど、真偽は定かでは無いが狙ってやっていたら、「キャロル様、恐ろしい子」と口走っていたかもしれない。


「それでは、もうすぐ海が見えるのですわね?」

「そうですね。街の壁も見えてきましたし、匂いも強くなってませんか」

「ずっと同じ匂いを嗅いでいるから分かりませんでしたが、いわれてみればそんな気もしますわ」


 俺の言葉で磯の香りの変化に気付かされ、気分が高揚したキャロル様は嬉しそうに微笑んでいた。感情に釣られて身体の調子も上がり、足取りも軽やかに街道をひたすら歩いている。


 順調に進んだ道のりも終わりを迎え、ボルティヌの街へと辿り着く。


「女神カードを提示してください」

「どうぞ」

「こちらですわ」


 俺は普段通りに女神カードを見せ、いつもは供の者が処理を行うのか、直接検査を受けるのが初めてなのか、キャロル様は好奇心が刺激されたようで、どこか嬉しそうに女神カードを提示していた。

 いつものように貴族側の受け付けで検査を受けると、キャロル様の女神カードを見た警備兵が、慌ただしく動き始めた。


「ウエルネイス伯爵家のご令嬢でしたか、失礼いたしました。おい、伯爵様に先触れを出せ!」

「ははっ!!」


 警備兵の上官らしき人物が、この地を治めるベッテンドルフ伯爵邸へ伝令を走らせるよう指示していた。


「迎えの馬車が来ると思いますので、あちらの建物でお待ちください」

「公務で訪れた訳ではありませんので、出迎えはお断りしますわ。ですが、日を改めて挨拶に伺うとお伝えくださるかしら?」


 そういえばここはベッテンドルフ伯爵領の領都にあたる街だった。

 本拠地ともなれば、訪れた貴族は挨拶しに行かなければならないのだろうか?

 グレムスの護衛をした時も、面倒だからと挨拶を回避したくて街に立ち寄らなかったし、キャロル様も旅支度の乗馬服姿で訪問するのも違うしね。女性には準備する時間も必要だから、この状況なら断るのも当然か。


「承知いたしました。では宿泊先をお教え願えますか?」

「まだこれからですわ」

「そうですか分かりました、案内人をお付け致します」

「十分な護衛も居ます、結構ですわ」


 俺の中では【ヒタミ亭】に泊まるのは決まってるし、道中で【黒鉄の鉄槌】共々宿泊先として教えてある。それを口にしないという事は、知られたくないという事だろう。

 それに、ベッテンドルフ伯爵家関係者に纏わり付かれたく無いのか、きっぱりと断っていた。

 挨拶に行かなくて済むように、滞在期間を最小限にした方が良さそうか?

 いや、知らせが行ってるのに訪問しないのは流石に無理があるか。ここはキャロル様の意向を尊重しよう。


 大通りを進み冒険者ギルドを過ぎてから一つ裏の通りに入る。その先に見える行列ができている食堂が宿泊先の【ヒタミ亭】だ。


「あそこの食堂が【ヒタミ亭】です、繁盛してるようで安心しました」

「人気店のようですわね、いまから食事が楽しみですわ」


 キャロル様は心の底から嬉しそうに微笑んでいた。

 意外とキャロル様も食いしん坊だよね、美味しい物を口にした時の食レポが凄いから、たくさん食べるという意味ではなくグルメといった方が合ってるけど。


「なあ、エル。あの行列に並ぶのか?」

「食堂を利用しに来た訳じゃ無いから、裏口から入らせてもらおう」


 キーロンが列に並ぶのかと思い辟易していたが、別の手段で【ヒタミ亭】に入ると知り安堵していた。

 食堂に並ぶ列を尻目に裏口に回り、厨房を経由して店内へと移動する。


「エルはん、毎度おおきに」

「イズミさん、こんにちは」


 真っ先に挨拶をしたのは、なぜかホウライ商会の商会長イズミさんだった。ヒタミ亭の厨房で何やってるのやら。


「新商品を持って来たで」


 嬉しそうに話すイズミさんは、蓋付きの甕を重そうに両手で持ち上げていた。

 厨房で話すには、こちらの人数が多すぎて場所が悪い。


「ここじゃ邪魔になりますから、上の階に行きましょう」

「せやなっ」


 甕を抱えるイズミさんを先頭に、俺達一行はヒタミ亭の上の階、適当に空いてる部屋で潜り込む事にした。

 全員が部屋に入ると、さっそくイズミさんが口を開いた。


「今回は、ぎょうさん来てはるな」

「俺にも色々とあるんですよ。 取り合えず伯爵家令嬢のキャロル様を紹介します」

「ご紹介に預かりました、ウエルネイス伯爵家令嬢キャロルと申します、エルさんの婚約者ですわ」


 紹介を受けたキャロル様は、さり気なく婚約者と付け加えていた。


「えーっ?! エルはん、婚約者がいてはりますのん?」

「【候補】と付きますけどね」


 驚きを隠せないイズミさんに、婚約者では無いと念のため否定はしておく。


「それで、こっちの大男はガレンテオ。醤油の買い付けに来てます」

「ガレンテオだ、よろしく!」

「ホウライ商会のイズミです」


 商談相手ともなると、丁寧な対応をしているイズミさん。

 先ほど自己紹介ができて無かったのは、婚約者というワードに衝撃を受けたせいか。


「あとは護衛の【黒鉄の鉄槌】と、キャロル様の侍女と護衛だね」

「ほうか、あんじょうよろしゅう。ほんで、そちらの別嬪さんは?」


 護衛達の紹介も終え、本題に入ろうかと思ったら、一人抜けがあったようだ。イズミさんが示した先に居たのはノイフェスだった。

 いつも静かにしてるから、すっかり存在を忘れてたな。スマン。


「こちらはノイフェス、メイド服を着てるけど彼女の趣味で、俺と冒険者パーティーを組んで居る」

「よろしくデス」


 今度こそ紹介を終え、ガレンテオが商談に入ると……


「船の積み荷は、全てエルはんのとこに卸す契約になってるんや、かんにんしたってや」


 醤油の買い付けは受けられないと、イズミさんは回答していた。

 そういえば船の融資でそんな話も出てたな。


「それじゃ、エルと交渉するしかないようだな」


 ガレンテオはこちらの様子を伺い鋭い視線を向ける。

 模擬戦全敗中のガレンテオに凄まれても……子犬が唸る程度にしか思えない。


「そうなりましたか……イズミさん、次回から醤油の輸入量を増やせますか?」

「豆の生産を増やしたから、大丈夫やで。ただ船に乗るかは……」


 積載量の問題か……、それを解決するにはあの方法が早いか。


「この国で醤油の需要が増えてますし、船もう一隻増やしますか?」

「ほんまに?! また出資してくれはるん?」

「構いませんよ、同型艦で良いですか?」

「おおきに! 新しい船乗りを集めて教育しておくわ」


 あっさりと船団を組む事を承諾したイズミさんは、後日、造船所に同行し新たな船を注文する事になった。

 単純に貿易船が二艘になれば商機も倍になるわけで、イズミさんはこれ以上ないくらいにご機嫌な様子を見せている。


「エルは醤油を独占しているのか?」

「独占はしてないよ。この国の料理人は黒い色した調味料には興味ないみたいだしね。それに、他のヒノミコ国の商会もこの港に来る予定だよ」

「まだ来てへんけどな」

「他の商会は当てにならないみたいだけど、ガレンテオはどうする?」

「エルのとこから買うから、【星降る丘亭】の為にも安くしてくれ」


 真剣に頼み込むガレンテオだが、【星降る丘亭】じゃなくてかば焼きの為だろっ。


「ボルティヌの街での経営を任せているルドルツを後で紹介するから、彼と商談は進めて欲しい」

「……分かった」


 紹介はするけど値段交渉までは請け負わないよ。大雑把な部分でしかエル商会に干渉してないから、細かい部分に俺が口を出して混乱させる訳に行かない。商会を運営してる従業員の邪魔をしないためにもね。


 ルドルツを呼び出し、次回以降ヒノミコ国の商品を運ぶ予定の【黒鉄の鉄槌】を紹介し、醤油の注文に来たガレンテオも紹介した。

 価格交渉は二人に任せよう。

 そのままルドルツに連れられて、醤油交渉の為にガレンテオは退室した。


「それで、イズミさん。抱えてた甕はなんだったのですか?」

「ああ、これか? 新商品ってゆうたやん」


 そういってイズミさんは甕の蓋を開け放った。

 途端に雑巾の匂いというか、靴下の匂いというか、そこまで匂いはきつくなく悪臭とは言えないが、不快感のある匂いが漂って来た。

 前世の記憶にある、嗅いだことのある匂いだ。


「……ぬか床?」

「エルはんおみごとやで! ぬか漬けの見本と乾燥した米ぬかを持って来たで」


 周囲を見渡すと、ぬか床の匂いに不快感を示すメンバーが多く、この国では漬物は受け入れがたいかも知れない。

 そうなると、ぬか床以外の活用法を考えねば……


「試食をしてみればええねん」


 考え事をしていると、イズミさんがおもむろにぬか床に手を突っ込み、漬けていた野菜を取り出していた。

 清潔な布で付着したぬかを拭い取り、きゅうりの漬物を一口大に切り分けお皿に盛り付け、みんなの前に配膳した。


「さっそく食べてや」


 どうぞ召し上がれといわんばかりに、掌を上に向けて両手を広げるイズミさん。

 そこには水分が抜けしんなりとしたきゅうりが横たわっていた。

 ぬか床の匂いで警戒してるのか、誰も手を伸ばさないので、俺が一切れ掴み口に運ぶ。


 ━━パリッポリッ


 小気味良い咀嚼音を立てて食べると、長くつけすぎたのか最初に塩が多く振ってあったのか、かなり塩味と酸味が強めの漬物ができていた。

 海上輸送の期間中も、毎日ぬか床を返していたと思うと大変だったろうけど、保存食を意識してるのか塩味が強すぎ、眉を顰めるほどしょっぱ過ぎた。


「こりこりっとした食感は楽しいと思いますが、独特の臭みが鼻に付いてますし、強烈すぎる酸味が美味しさを半減させてますわ。あとしょっぱいですわ」


 俺に続いて口にしたキャロル様も、初めて食べた食材だろうに微妙な表現で敬遠気味だった。

 他の人達も恐る恐る食べているが、眉を顰めたり顔を歪めたりと、言葉にはしないが苦手なのは見て取れた。

 この国の人には匂いからして合わない食品なのかも知れない。


 満を持して用意したイズミさんも、その反応を見て肩を落としていた。

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