第25話 25

25




 学校までの帰り道をゆっくりと歩いていた。

 後ろにいる筈の少女に声をかけようとして、何も浮かばずに口を閉じる。沢山言いたいことがあるのにどれも相応しくないと思えてしまうから、浮かんでは消してを繰り返し、頭の中が空っぽになっていく。


 ありがとうは的外れで。

 ごめんなさいでは足りない。


 騙されていたんだと打ち明けても、彼女との日々を否定した言葉は消えてはくれない。今更になって手のひらを返す行為はあまりに愚かで、傲慢だ。

 そう分かっている筈なのに彼女との関係を取り戻したがる自分がいて、その浅ましさに嫌気が差した。


 自分がずんずんと駄目な人間になっていく。

 いや、俺は昔からこうだった。

 今になってそれが露見し始めただけだ。


 全てを他人に委ねてきて、一人になった時にようやく鎌首もたげた自己意思は存外に利己的だった。

 醜い自己愛の塊。俺もあの人と何も変わらない。

 

 いよいよ話しかけることはしないまま信号待ちに立ち止まる。もう心は騒つかせない。関わらないと決めたのならば平静を保ち、忘れた振りをしていよう。


「ちょっとぶつからないでよ!」


 しかし、運命はいつも儘ならないまま廻るのだ。


「・・・すいません」


 後ろから声がして振り返った。近くにいると思っていた雛倉の姿は傍にはなくて、三十メートル程離れた歩道の隅っこでスーツ姿の女性に叱責されている。


「そんな歩き方してたらね。他の人の迷惑になるの」

「・・・はい」


 雛倉は買物袋の他に腕一杯に潰された段ボールを抱き抱えていた。視界が狭まっていて碌に足元も見えていない様子で、見るからに歩き辛そうだ。


「気をつけます」

「気をつけますってあなたねぇ。この荷物どうするの? どうせこのまま歩いていくつもりなんでしょ」

「それは、えっと、置いてはいけないので・・・」


 顔の半分が見えていなくても彼女が困っているのは一目瞭然だった。どうしたらいいのかは考えるまでもない。ぺらいちの覚悟は破り捨てて駆け出す。


「俺が一緒に持ちますよ。同じ学校なんで」


 女性との間に割って入って、これ以上責められてしまわないように雛倉を背の後ろに隠した。


「え? あぁ、そう・・・。気を付けてよね」

「はい。すいません」


 愛想良く頭を下げて、女性には退散してもらう。

 振り返ると、雛倉は不満そうに視線を逸らした。


「持つよ」


 短く言って段ボールに手を伸ばしたが、後に下がった彼女によって空を切る。何の言葉も生まれない空虚な時間が続いて痛いくらいの耳鳴りを起きた。


 触れられないこの距離はあの日のまま。

 何一つとして変わってはいない。


「・・・話しかけてこないで」

  

 冷水に触れたみたいな冷え冷えとした拒絶だった。

 あの日にあった激情はもう存在しておらず、だからこそ、確固たる型になってしまったんだと痛感する。


「放っておいて」

「ごめん。でも、そのままだと危ないから」

「あんたの力なんて借りたくない」

「学校まで運ぶだけだ。貸し借りなんかじゃない」


 これで何かが変わるなんていうぬるま湯には浸かっていないから、ただの荷物持ちとして利用してくれればよかった。でも、彼女はそんな些細な関わりさえも「嫌だ」と拒み、俺の隣を通り抜けようとする。


「無茶すんなって」


 通り過ぎていく彼女に向かって強引に手を伸ばす。

 それを嫌がった雛倉は腕を振るって、俺を弾く。

 その鈍い衝撃で段ボールは地面へと散乱した。


「優しい振りなんてやめなさいよ」

「そんなんじゃ・・・」

「取り繕った顔も声も。あんたの全部に苛々する」


 間が悪くぽつりぽつりと降り出した雨が段ボールに痕を残し、蝕むように染み込んでいく。


「言ったわよね。あんたの嘘を許さないって」


 こんなに近くにいても伸ばした手は弾かれて、吐き出した言葉は届かない。俺の首を刎ね落とそうとする剥き出しの敵意だけがメラメラと勢いを増していく。


「ごめん。本当にごめん」

「その言葉が本当だって信用できない」


 普段は優しい彼女が怒るとこんなにも怖い。

 それだけ許せない事を俺はしてしまったのだ。


「あの時言ったことに嘘はない。今までもこれからも俺の一番はずっと雛倉のままだ」


 言葉を間違えて、想いを違えた。

 想いを違えたから、この言葉も歪に変わる。


「また都合のいい言葉で私を騙そうとするのね。あんたは詐欺師だわ」


 棘だらけの言葉が突き刺さって、抉れていく。

 この痛みを感じたくなかったから虚飾に浸る。

 自分に嘘を吐き、彼女の心にまで嘘を被せた。


 でも、とうとうその誤魔化しも通用しない。

 だって、こんなにも痛むから。

 見て見ぬ振りは終わりにして、この傷と向き合う。


「俺が雛倉から奪った物を返したい」


 きっと、この傷は俺一人では治せない。

 埋め合わせて、補い合って、それでも元には戻らなくて。時々、ちょっぴり疼いた時に、その時に傍にいてくれるのが彼女だったらきっと乗り越えられる。


「今までのことを全部本当だって証明するから」


 苦しくても、怖くても、諦めない。

 他人任せの生き方は終わりにして、自分の力で生きていく。


「だったら、今すぐあの女を振って。私にだけ好きって言って・・・。ずっと、私のことだけ見ててよ」


 不恰好でも、無相応でも。

 これだけ願ってくれる女の子がいるから。


「うん。分かった」

「・・・え?」

「約束する」

「嘘だ。あんたには、だって・・・」

 

 俺の言葉に雛倉の目が見開かれていく。

 理解できないことを怖れるように首を振って、雨を吸い込んだ濡れ髪が緩慢に揺れた。


「でも・・・。あの時のあんたは・・・」

「うん。でも、告白は嘘だった」

「・・・嘘? なによそれ」

「ミスコンで協力させるための方便だったみたい」

「・・・分かんない。どういうこと?」


 頭の上に一杯のハテナを浮かべている雛倉。

 他人を利用する考えなんて彼女は微塵も持ち合わせてはいないのだろう。それがこんな状況でも嬉しい。


 俺達はたった一つの嘘に随分と振り回された。


「ただの駒にしたかっただけで恋愛感情なんて一ミリもないって。雛倉には聞かせられない悪口も沢山もらったよ」


 情けない話だから、せめて口角だけでも上げようとして失敗する。まだ当分消化できそうにない。


「・・・もっと怒りなさいよ」

「俺にその権利はないかなって」


 俺にも悲しませた人がいるから。

 自分を棚に上げて、悪辣に言うのは違う気がする。


「・・・なんなのよそれ」

「変かな」

「あんたがそんなだと私が止まれなくなるじゃない」

「ん? 雛倉・・・?」


 ただ一人。怒りを示す権利のある彼女はどの時よりも凄みのある声でこう言った。


「潰すわ。あの女。ミスコン。私も出るから」




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