第23話 23

23




「今のなに?」


 一人になった部室で今し方起きた出来事に悶々と思考を巡らせていると扉の外に雛倉が立っていた。

 静かに佇む彼女の問いかけにドキリとして、思わず背筋を正す。まるで親に隠し事が見つかった時の子供のようだったがやましいことは何もない。


 部室から先輩が出ていく姿を見ただけかもしれないし、曖昧に相槌を打ちながら彼女の反応を確かめる。


「え。あぁ・・・。誰かとすれ違った?」

「うん。誰なの?」

「三年の橘って人」

「知り合い?」

「ミスコンの関係でちょっとな」

「ふーん。ちょっとね」


 含みのある言い方で言葉を溢し、研ぎ澄まされた視線が俺を縫い付ける。本当にそれだけかと訴えられているような気がした。


 この事は彼女に話すべきことなのか。二人に面識はないと思うし、聞かせても困らせるだけだろう。

 それとも彼女への気持ちを卒業するための宣誓として知ってもらうべきなのか。


「今日はどうしたの? また雨宿り?」


 判断は付かないまま重苦しい沈黙が嫌で口を開く。


「・・・」


 しかし、彼女は答えない。


「雛倉?」


 決して敷居を跨ごうとはせず、瞬きを忘れてしまったかのような乾いた眼球が俺から離れない。

 その瞳は微かな熱を帯びていた。


「なんで言わないのよ」


 反して発せられる口調は寒々としていて戸惑う。


「もしかして見てた・・・?」

「見られたくないならちゃんと扉を閉めておくべきだったわね」

「別にそんなんじゃ・・・」

「違うならなんで隠そうとしたのよ」


 突き放すような言葉。引かれた一線。

 言葉を交わしているのに彼女がとても遠くにいるような気がする。立ち上がって近づいても何故かその距離が縮まったようには思えなかった。

 俺がしどろもどろに口を開く度に彼女との境界がはっきりと輪郭を濃くしていく。


「やましい事があった訳じゃない・・・」


 告白されただけ。

 起きた事はそれだけでしかない。


「キスしてた」

「してないしてない! それは本当に誤解だ」

「じゃ、それ以外は?」

「・・・くっ」

「嘘が下手くそね」


 冷笑する雛倉。彼女は一部始終を見ていたらしい。

 それを知って、身体が熱くなっていくのを感じた。


「趣味悪いぞ」

「嘘吐きも同じだと思うけど」

「言わなくていいことを伏せただけだよ」

「はぁ?」

「だって、雛倉に関係ないだろ」

「・・・」

 

 俺の身に起きたことを全て報告しないといけない義務なんてない。俺達は家族でも、夫婦でも、ましてや恋人でもないのだから。


「・・・そう。じゃ、受けるのね。告白」

「・・・」

「あんなあざとい女がいいんだ」

「よく知らないのに悪く言わない方がいい」

「・・・っ。私のこと好きだって言ったのに!」


 彼女の咆哮がその身に突き刺さる。


「全部、全部。嘘だったんだ! 嘘吐き!」

「嘘じゃない。俺は今でも雛倉のことが好きだよ」

「なによそれ・・・」

「でも、叶わないならあってもなくても一緒だろ」


 誰の心にも残ることがないのなら。

 いつか忘れて、消えていく。

 俺だけが大事に持っていて何の意味がある。

 一途なんて聞こえはいいけれど、ただ現実が受け止められていないのと変わらない。

 

「今までのことはどうなるのよ」

「・・・忘れていい」


 バチン、と破裂音が響いた。

 鈍い痛みが左頬に広がっていく。


「あんたにとってその程度のことだったのね」

「俺にも夢見させてくれよ・・・」


 例えば文化祭を一緒に回れたりする相手を求めたっていいじゃないか。こんな機会は生まれてから一度だってなかったんだから。


「雛倉には王子がいるだろ。これからだって何かあれば相談に乗るし、愚痴だって聞くから」

「そんなのいらない。うざい。きもい。むかつく」


 怨嗟の念がぽつりぽつりと積もり、俺達の確執を確かな物に変えていく。止める手段は分からない。

 

 雛倉は俺に自分を卑下するなと言ってくれた。

 ちょいと呼ばずに名前を知ろうとしてくれた。

 自分が主役の人生を歩めると教えてくれた。


 今がそのスタートラインだと思った。

 脇役だった俺の物語がようやく始まったのだと。

 だけど、それは俺の思い違いだったのか。

 

「頼むから。祝福してくれよ」


 でも、なら、どうして俺達は一緒にいたんだろう。

 一緒にテスト勉強をして、放課後に他愛のない話をして、一本の傘で帰ったのはどうしてだったのか。


 目の前で彼女が泣いている理由さえも。

 俺には何も分からない。分かれない。

 だって、それは不相応な思い違いだから。


「こんなに辛いなら。もういい」


 ただ、流れていく涙を見ていた。

 見ていることしかできなかった。


「もう誰かを好きになんてならない」


 そう言って、彼女は俺の前からいなくなった。


 残されたのは選択を間違えた馬鹿が一人。


「痛ぇ・・・」


 打たれた頬を摩りながら崩れるように座り込む。

 けれど、すぐに痛みを堪えて立ち上がった。


「・・・行くか」


 履き違えた想いは取り戻せない。






ーーーーーーー


「はぁ。疲れたぁー」

「おかえり〜。上手くいった? 色仕掛け」

「バッチリでーす」

「相変わらずの悪い女だね。アンタは」

「でもぉ、なんか返事待って欲しいって言われたー」

「えぇー。冴えない男だから一発で骨抜きにできるって言ってなかったけ?」

「そうなんだけどさー。マジでナマイキだって」

「あんたがボロ出したんじゃないの?」

「だいじょーぶ。あんな底辺くらい魅了できなきゃ、ミスコンで優勝なんてできる訳ないもん」

「去年一年に掻っ攫われて怒り狂ってたのが懐かし」

「もう。やめてよその話。とにかく今回は何としても負けられないんだから。ちゃんと準備しなくちゃ」

「その写真部の子がなんかしてくれんの?」

「こういうのは前もって宣伝しておくことが大事なのぉ。それなのに下手くそなのよあいつの撮り方」

「うっわ。ひっどーい」

「もう一回撮り直させて可愛く加工させて、写真部の展示にも私のちょー可愛い写真を並べさせて・・・」

「そんだけさせて文化祭終わった後はどうすんの?」

「へ? そんなのポイよ。当たり前じゃん」

「あんたマジ最悪ー」

「えぇ〜。だって、私彼氏いるよ?」

「あはははは! かわいそー」

「私があんなのに惚れ込む筈ないってー」





















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