第19話 19
19
「あ。いたいた」
兎饅頭が完成し、撮影も滞りなく終了した俺は雛倉を探して二階のリビングに足を運ぶ。いつの間にやら時刻は夕方で彼女は夕飯の準備に取り掛かっていた。
対面式のキッチンに立って小気味よいリズムで玉葱を微塵切りにしていく姿は十六歳にして板についている。彼女は普段からこうして家の家事を手伝っているのだろう。
それにしても店番をしていた彼女が厨房を通ったことには全く気付かなかった。小恥ずかしい話もしていたので彼女の耳に入っていないといいのだが。
「なによ」
「これを見てくれ」
その裏付けになるかは微妙だが、雛倉はいつにも増して素っ気ない。億劫そうに顔を上げる彼女の目の前に仰々しく完成した兎饅頭を差し出した。
目も耳もある饅頭と目が合った彼女はパチクリと何度か瞬きを繰り返して、フッと力が抜けたように口元を綻ばせる。
「ちょっと不細工ね」
「くっ。やっぱりそうだよなぁ」
完成した兎饅頭は俺が形を整えた物に限って頬の辺りが痩けていて具合が悪そうな見た目をしていた。
徹さん作と並べてみたらその違いがよく分かる。
「でも、可愛いわ」
「可愛いかな?」
俺は見ていて心配になったけど彼女は肯定的だ。
ブサ可愛いというやつだろうか。可愛い物好きの彼女に言われたらなんだかそう見えてこなくもない。
「それに一目であんたが作ったって分かるじゃない。個性がないよりかはあった方がいいと思うけど」
形が歪でもそれが転じて味になる。
この形が世界に一つしかないのなら。
少しは誇らしいことのような気がした。
「なんか自信でてきた」
「ふふっ。和菓子職人にでもなるつもり?」
「目覚めてしまったかもしれん」
次はもっと凝った和菓子も作ってみたい。
そんな風に思えるくらいには楽しい経験になった。
「うちで修行する?」
「弟子入りってこと?」
「丁度跡取りもいないし」
「あ、跡取り・・・?」
急な角度の話題に目が点になる。
兄弟が他にいないのなら跡取りは彼女になるのではないかと思ったが、和菓子作りは肉体労働も多い筈。
非力な彼女では賄えない部分がきっとある。
だから、温明堂には跡取りがいない。
あまりにも突飛な話だけれどその事実は紛うことない真実だ。このまま状況が変わらなければいつかこの店はなくなってしまうのかもしれない。
目を逸らしたくなるような現実に言葉を失う。
そんな俺を見て、彼女は苦笑を浮かべてみせた。
「冗談よ」
「そ、そっか・・・」
雛倉が冗談を言うのは珍しいから間に受けてしまった。彼女は俺を揶揄っただけでそれ以上でも以下でもない。だから、俺はしてやられたと笑えばいいのだろうか。でも、そんな気持ちにはなれなかった。
「八雲は八雲のしたいことをすればいいもの」
寂しそうに笑うから。
すぐにその表情は消えてしまったけれど、それは抑え込んだだけで目には見えない内側に残っている。
「どうするつもりなんだ?」
部外者の自分が興味本位で踏み込んでいい話ではないけれど、このもやを拭って欲しいから答えがあるなら教えて欲しかった。しかし、そんな都合の良い言葉は存在しないらしい。
「さぁ。分かんない」
諦観のような。希望のような。
確定にはしないことで未来に託した想い。
でも、それが報われる保障は何処にもない。
それならばこんなアイデアを聞いてくれ。
「・・・俺は結構暇してる予定だな」
「え?」
「五年後とか十年後の話。大学卒業して。サラリーマンになって。適当に生きてると思うから。だから、俺ならどうにでもなるよ」
その時まだ困っていたら俺を使ってくれたらいい。
俺の想いがどう伝わったか分からないが、何故か雛倉の顔はたちまちにして赤くなっていき、それを隠すように左手で頬に触れている。
上目遣いで窺うように彼女は言う。
「その時に独身だったら結婚しようってこと?」
とんでもない勘違いをされていた。
「ちがちがちがちがちがちがちがちがう!?」
混乱が極まり、足がもつれて転びそうになる。
どうしてそんな解釈になったのか分からないけれど、また振られてしまうのが恐さで頭の中は一杯で咄嗟に出るのは否定の言葉ばかりだった。
「本当に違う! そんな意味合いで言ってない! 俺はお店が続けばいいなと思って、それしか考えてなくて・・・」
「・・・このっ」
その謝罪とも言い訳とも取れない中途半端な言葉の途中で、耳まで真っ赤に染まった雛倉が光の速さで包丁をまな板に叩きつける。
「この男どうしてくれようかしら」
「ひぃ。お、落ち着いて・・・」
「ムカつくムカつくムカつくムカつく」
「取り敢えず包丁だけは置いてくれぇ!」
「跡取りは私の結婚相手になるのが普通よね!?」
「はぁぃ。全く頭にありませんでした・・・」
「ばかやくもぉ」
言われてみれば確かにそうだ。
彼女が跡取りになれなくてもその役目を婚約者に任せることはできるじゃないか。完全に俺の早とちり。先に勘違いしてたのはどうやら俺の方だったらしい。
「ま、まぁまぁ甘い物でも食べて落ち着いて」
せめてもの延命に兎饅頭が乗った平皿を彼女の目の前に差し出す。苛立ちに糖分は寧ろ逆効果かもしれないが、この場に於いては抜群の効果を発揮していた。
「あま」
小豆の甘みが彼女の表情を和らげ、豊かにする。
刺々しさが抜け落ちて、微笑みを湛えている程だ。
「まぁ、今のは忘れてくれ。ちょいとした勘違いだったみたいだ。なんつって。なっはっはっはー」
その隙を逃しまいと渾身のボケを披露したのだが、雛倉はクスリとも笑ってくれない。いつものように呆れた様子で茶化してもくれなくて、ふざけられない空気感が俺の軽薄さを嗜める。
「ねぇ。八雲」
語りかける口調は常よりも優しく、そして重たい。
「もしも本当にやりたいことが見つからなくて。私が助けを求めたら。その時はここで働いてくれる?」
俺には荷が重いと思ったから戯けてみせたのに雛倉はそれを許してはくれなくて、確かな形に模ってこの場に残そうとする。
これは先程の話を続けているのだろうか。
それとも縋るような想いを口にしただけなのか。
言葉は足りなくて、想いは不鮮明で。
だから、俺の答えは意味を持たない。
「・・・さっき言ったことは嘘じゃない。力になれることがあったら呼んでくれ。十年後の未来なんて想像もつかないから何の確約もできないけどさ」
「じゃ、約束しましょ。きっと、近くにいないと忘れちゃうと思うから」
そう言って彼女は左手の小指を俺に突き出す。
ただの口約束。だけど、俺達にとっては初めての未来への誓い。きっと、叶いはしないだろうと思いながら、その華奢な小指にそっと自分の小指を絡ませた。
「だから、これからも私のことを見ていてね」
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