第16話 16

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 和菓子屋『温明(うんめい)堂』は隣駅の真向かいに店を構えた一戸建ての店舗併用住宅となっていた。

 一階が和菓子屋として使われているので、二、三階部分が生活スペースになっているのだろう。


 お店の前には犬小屋があって、そこでぺたとは一旦お別れだ。頭をごしごし撫でてやると寂しそうに「くぅ〜ん」と唸った。また帰る時に戯れたい。

 

「ただいま」

「こ、こんにちはー」


 雛倉の後ろを追いかけて正面玄関から店内に入ると緊張をより実感した。ドアベルのカランと鳴る音がやけに大きく頭に響いて、全身の筋肉が強張っていくのを感じる。


「おかえりなさい。あら、お客さん?」


 カウンターの奥に座っていた雛倉の母親と思われるその人はとんでもない美人だった。


 雛倉よりも堀の深い顔立ちに美しいブロンドの髪。

 日焼けを知らない乳白色の肌。

 凹凸のはっきりした抜群のプロポーション。


 間違いなく雛倉はこの人の遺伝子を継いでいる。


「ううん。高校の・・・やつ」

「まぁ!? 寧々のお友達!?」

「・・・違う」

「違うの? はっ。つまり恋人ってことね! もうっ。なんでママに何も相談してくれないのよぉ」

「そんな関係じゃないから。ママうるさいっ」


 向かい合って話している姿はまるで姉妹のようだが、会話の主導権はママさんが握っていて、頑固な雛倉が振り回されていた。

 

「ちょっと。あんたからも説明して」

「え? あ、あぁ。なんだっけ?」

「は? 今上の空じゃなかった?」

「はは。まさかまさか」


 同級生のお母様に見惚れてしまったなんてそんな事ある訳ない。


「絶対そうだったし。キモ」

「くっ・・・」


 お怒りの雛倉から猫の手が飛んでくる。肩パンされても痛くはなかったが、キモの一言は結構効いた。

 

「あら〜。仲良しなのね」


 ママさんには会話が聞こえていなくて戯(じゃ)れているように見えたらしい。全然、そんなことはなく侮蔑の色味が凄かった。


「あんたが誤解解きなさいよね」

「はい・・・」


 とりあえず自己紹介をして俺が写真部である事を伝え、和菓子作りの撮影がしたい経緯を説明する。その後で雛倉とはただの同級生である事を伝えたらママさんは露骨に残念がっていて、反応に困ってしまう。

 こっちのパターンで勘違いされるのは初めてだ。


「パパは?」

「今出掛けてるのよ。もう少しで帰って来ると思うから中で待っててくれる?」

「分かった。行くわよ」

「お邪魔します」


 カウンターの奥にある扉を潜ると厨房に続いていたが、今は誰の姿も見えなかったので雛倉の後に続いて二階へ繋がる階段を上っていく。


「あ」

「ん?」


 その上り切った所で雛倉が急に立ち止まり、何か思い出した様子でこちらに振り返る。

 何か伝え忘れた事でもあったのかと首を傾げたら、彼女はおもむろに天井を指差した。


「私の部屋で待ちましょ」

「それは、ダメでしょ。流石に」

「どうして?」

「・・・それは察して欲しいかなって」

「リビングだとお店の会話が聞こえてくるのよ」

「大丈夫。気にしない」

「私が気にするから言ってるの」

「いや、でもさ」

「八雲に決定権なんてないから。ほら、早く行って」


 彼女のプライベートな部分を俺なんかが見ちゃいけないような気がして、ごねてみたのだが彼女は全くと言っていいほど意に介していない。

 そのまま体を強引に押されて階段を上らせられ、三階にあった雛倉の部屋に招かれる。


「適当に座ってくれていいから」

「・・・はい」


 部屋の内装は予想の七倍動物のぬいぐるみが飾られていて、その種類は犬や猫だけでなく、梟やイルカなど様々だ。夏祭りで渡した熊のぬいぐるみもベッドの上の枕の横に大事そうに座らされていた。


「はぁ、散歩疲れた」


 ベッドの上に腰を下ろした雛倉はそのまま仰向けに倒れ込む。その体勢は彼女のスタイルの良さが強調されていて直視するのは憚られた。

 上から見下ろす視点が余計にそれを助長させていているから、急いでもこもこのカーペットに座る。 


 言われた通りにしたのだが、彼女はなにか言いた気に俺を見ていて、じっと視線を逸らさない。無言で見つめられるとドギマギしてしまう。


 彼女に蠱惑的な意図はないのだろうけど、健全な男子には少し刺激が強い。あまりジロジロ見るものではないと分かっているけれど、視線の逃げ場を探して部屋の中をぐるりと見渡した。


 改めて見返してみてもぬいぐるみが多い。

 本棚なんかも漫画や小説ではなくぬいぐるみが飾られているくらいだ。漫画や小説は一冊もないなと思っていたら、本棚の最下段の端っこに漫画本が五冊だけ並べられていた。その背表紙には見覚えがある。


「これ『今夜、星の見える場所で』じゃんか! 今映画化されてる。え。なんで雛倉が待ってるの?」


 著名な雑誌で連載されている少女漫画が置かれていて困惑する。いや、女の子である雛倉がこの本を持っていても何らおかしくはなくて、寧ろ、詳し過ぎる俺の方が世間的には変なのだが、彼女は以前こういったジャンルに興味がないと話していた。


 こてこての恋愛作品である『今夜、星の見える場所で』を雛倉が持っているのはかなり意外である。


「別に。広告で見かけて何となく買ってみただけよ」

「そんな気紛れで全巻買うかな」

「・・・」

「まぁ、いいか。ところで最後まで読んだ?」

「うん」

「マジか! 誰推し?」

「俊太(しゅんた)」

「へぇ! 主人公の翔(かける)じゃないんだ。いや、でも分かるぞ。俊太の一途なところいいよな!」


 俊太は言わば負けヒロインならぬ負け主人公のような役回りが多いキャラクターだが、ヒロインのために一生懸命頑張る姿が献身的でつい応援したくなってしまうのだ。


「声がうるさい・・・」

「いいじゃんか。好きな作品を語れる機会って俺は中々ないからさ。嬉しいんだよ」

「ふーん」


 周りに少女漫画を読む趣味の奴がいないので気持ちの昂ぶりを抑えられない。まだまだ語りたいことは滅茶苦茶あった。


「ねぇ」


 声をかけられて振り返ると彼女は寝転んでいた体勢から上体を起こしていて、ベッドの縁に座っている。

 その状態なら目のやり場に困ることもないので、目を合わせたら、今度は彼女が目を逸らす。何故か分からないが言い難そうで、俯き加減に視線を彷徨わせてはチラチラと俺を窺っている。

 急かさずに待っているとその口が緩慢に動いた。


「あんたはもう映画見たの?」

「見たよ。公開初日に」

「あっそ。じゃ、もういい」


 俺の即答を聞いて彼女は再びベッドに倒れ込み、ゴロンと寝返りを打って背中を向ける。


「ど、どしたの?」

「別に」

「映画面白かったよ?」

「聞いてない」


 返答があまりに素っ気ない。

 明らかに俺が映画を観ていたことが気に入らないといった雰囲気だが、さては彼女も俺と同じ境遇なのではなかろうか。


「さては一緒に観に行く人がいないんだな」

「・・・」

「そっかそっか。まぁ、気持ちは分かるよ。俺はもう慣れたけど寂しいよな。一人で映画観に行くの」

「・・・そんなことないし」

「本当かなぁ」


 存外彼女は寂しがり屋さんであるらしい。

 この部屋にいる沢山のぬいぐるみ達ももしかしたら雛倉の孤独を紛らわせるためにいるのかもしれない。


「雛倉にも映画観てもらいたいけどなー」


 実写版の出来栄えも非常に良かった。

 ストーリーは原作を踏襲しているので漫画を読んでいれば知っている内容にはなるのだが、忠実に原作を再現してくれたことで好きだった名場面をより現実に近い形で見直す事ができる。映画を見た後にまた漫画を読み返したくなるような良い作りになっていた。


「なんなら王子でも誘ってみたら?」

「・・・苛々するわね。あんた」

「え」


 何気なく呟いた一言に、彼女は寝転がったまま首だけを動かして俺を睨む。


「せ、折角の可愛い顔が怖くなってるよ?」

「うるさい。全部あんたが悪いのよ」

「そんな馬鹿な・・・」


 ゆらりと立ち上がって詰め寄ってくる雛倉。

 俺は座った状態でじりじり後退るけど部屋の広さには限界があって、すぐに背中が本棚にくっついて逃げ場を失った。俺を見下ろしている瞳は完全に据わっていて、何某かの闘志に揺らいでいる。


「どうしてくれようかしら」

「ひぃ。命だけはご勘弁を」


 これから何かしらの刑が執行されるというタイミングで運良く部屋の扉が開かれた。


「寧々。パパ帰ってきたわよーって、何してるの?」

「なんでもない」

「ふふ。やっぱり、二人は仲良しなのね」

「違うってば。今から打(ぶ)とうとしてたとこ」

「危ねぇ・・・」

「あら。邪魔しちゃってごめんなさいね」

「え」

「パパはリビングで待ってくれてるから」

「うん」

「あ、あれー・・・?」


 助けてくれると思ったのだが、ママさんはそれだけ言ってさっさと部屋から出て行ってしまう。

 取り残された俺は雛倉の宣言通りに、いや、少し違って額にデコピンを食らわせられた。猫パンチよりかは痛くて、左手でおでこをさする。


「一々浩二と繋げなくていいのよ。私はあんたと話してるんだから」




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