第14話 14

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 夏祭りの帰り道。

 寝静まった住宅街には下駄がアスファルトを蹴る硬質な音だけが響いていて、その心地の良い音色に耳を傾けながらゆっくりと歩く。


 伝播する人の熱気も、眩むくらいの電飾もここには存在していないから、肌に纏わりつく生温い夜風もここでは幾分か涼しく感じられる。


「う〜ん」


 ふと、背中側から物憂気な声が聞こえてきて僅かに首を回したら、俺の背中を枕にしていたマナが眠た気に瞳を擦っていた。

 食って、飲んで、騒いだら疲れてしまったらしい。

 祭りからの帰り際俺におんぶを強要して今に至る。


「まだ寝るなよ。帰ってから寝れなくなるぞー」

「はぁい・・・。むにゃ」


 無理そうだ。

 明らかに夢の中で返事をしている。


 これは夜中に目を覚まして眠くなるまで俺が付き合わされるパターン。今日は俺の家に泊める事になっていたけどマナの実家まで送り届けたくなってきた。

 

「ふふ。寝ちゃったの?」


 俺が本気で悩んでいると少し前を歩いていた雛倉が肩越しに振り返って声をかけてきた。クスクスと笑って、マナの寝顔を覗き込もうとしている。


「雛倉もこっちでいいのか?」

「ええ」

「割と近くに住んでたんだな」


 聞けば隣町に家があるのだと言う。

 距離にして丁度一駅分くらいだろうか。

 それだけ近ければ何処かでニアミスしていそうなものだが、学校以外で彼女を見たことはなかった。


「さっきの公園とかよく犬の散歩で通るわよ」

「え。俺もマナとしょっちゅう行ってるのに」


 日常的に利用していているのにこれまで一度も顔を合わせたことがないのは何か見えざる力が働いているとしか考えられない。これが運命力のなさと言うやつか。間が悪いのはどうやら天命みたいだ。


「今後も会うことはなさそうだな・・・」

「大袈裟。時間が噛み合ってなかっただけでしょ。私は夜散歩することが多いけど、あんたはマナちゃんがいるから夜は出歩かないだろうし」

「おぉー。なるほど・・・。あれ? それならやっぱり今後も会わないのでは?」

 

 意識が変わっても行動の仕方は変わらないと思うので、これからも同じ状況が続く気がするのだが、雛倉は俺の指摘を意に介した様子はなく、そんなことよりと話題が他に移ってしまう。

 

「これ。本当に貰っていいの?」

「あぁ。いいよ。マナは一切興味を示さなかったし」


 結局、大声コンテストでは優勝どころか三位入賞も叶わなかった。しかし、叫んだ内容が司会者に偉く気に入られて特別賞なる物を受賞する事ができたのだ。


 目的は高級なお肉だったけど貰えるものは貰っておこうと手を伸ばしたら、渡されたのは腕の中にすっぽり収まるくらいの熊の人形だった。


 つぶらな瞳が特徴的なその人形は非常に凛々しく、抱き心地も申し分なかったが、俺的には傷口に塩を塗り込まれているような気がしてならない。


 多大な精神的ダメージを負ったのに案の定マナはいらないの一言で一蹴。自分の部屋に置く気にもならなかったのでどうしたものかと頭を悩ませていると、目を輝かせた雛倉がいたので譲ることに即決した。


「そう。じゃ、遠慮なく」


 それだけ確認した彼女は人形を抱えて歩いていく。

 浴衣に熊の人形はかなりミスマッチだったけれど、ぎゅっと大事そうに抱きしめている姿には普段の無愛想な彼女からは考えられない程の愛嬌に満ちている。

 背中越しにもご機嫌なのが伝わってくるから、多少恥を掻いてしまったが参加してよかった。


「・・・」

「・・・」


 夏祭りを楽しんで雛倉も疲れたのか帰り道の会話は途切れ途切れといった様子だ。元々、お互いに口数が多い方ではないしこの空気を気不味いとは感じない。


 彼女もきっと同じだ。

 それくらいにはお互いのことを知ったと思う。


「ねぇ」

「うん?」

「あんたに一つ聞きたいことがあるんだけどさ」

「どうしたんだ?」


 雛倉はこちらに振り向かないまま歩き続けていて、その歩調も話し方もいつもと変わらない。だから、他愛もない雑談だろうと推し当てて、身構えもせずに聞き返す。


「あんたってまだ私のこと好きなの?」

「やっぱきもかったよな! ごめん!」

 

 途端に脂汗が噴き出して羞恥心が込み上げてくる。

 今の今まで全く触れられなかったから、今更掘り返されるなんて思いもしていなかった。


 あの時は完全に勢い任せでどれほど痛々しいことをしていたかの自覚はなかったが、時をおいて思い返してみると記憶の中ですら目を合わせられない。


 謝罪と共に平伏するとその勢いに驚いた彼女が何事かと振り返る。幸い表情に怒りの影はなく、俺の奇行に目を細めるくらいで済んでいた。


「キモいなんて言ってないでしょ。ただ、気になっただけ」

「そ、そうだったのか。てっきり、罵られるものだとばかり・・・」

「しないわよ。土下座してないでさっさと立ちなさい。マナちゃんが起きちゃうわ」

 

 何を言われるのかと肝が冷えたが、罵声ではなくて安心した。あと、マナは起こさないと色々まずい。


「で? どうなの?」

「よかったよかった。今日は安心して眠れそうだ」

「・・・」


 額の汗を拭って、砂埃を払い、何食わぬ顔で足を繰り出す。それと同時に正面にいた雛倉が大きく一歩を踏み込んで来た。危うく体がぶつかりそうになって、慌てて上体を反らしたら、その距離までも彼女は強引に詰めてくる。


 誤魔化そうとしても彼女はそれを許してくれない。


「答えは?」

「へ?」

「答え。聞いてない」


 それを確かめて何になるのか。

 恥の上塗りだけは本当に勘弁して欲しい。


「・・・好きじゃなかったらあんなの叫ばないだろ」


 白状した想いに対するコメントはしばらく返ってこなくて、途方もなく長い沈黙の後その表情が崩れた。


「そっか・・・。まだ私のことが好きなんだ」


 街灯に照らされた雛倉は悲しそうで。

 俺にはそれが悲哀に映る。

 どうしてそんな顔をするんだろう。


「時間無駄にしてない?」


 言葉の意味をすぐには理解できなかったけど、彼女の憂うような表情を見て、それが叶わぬ恋への配慮なのだと知る。雛倉は俺を労(いたわ)ってくれているらしい。でも、それは要らない心配だ。

 

「大丈夫。片思いは俺の一番の趣味だからな」


 どれだけ想い続けてもこの時間は報われない。

 雛倉が恋を叶えた時に俺に残る物は何もなくて構わない。だって、誰かに言われて彼女を好きになった訳ではないから。この気持ちの終わりは俺が見つける。


「まぁ、つまり気にしなくていいってこと」

「あんたには自分のしたいことをして欲しい」

「それなら推し事をさせてくれ」

「・・・なに?」

「知らない? アイドルで誰を推すかみたいなの」

「・・・よく分からない」

 

 俺の説明に首を傾げている雛倉。

 彼女はあまりアイドルに興味がないようだ。そういう俺もそれ程詳しい訳ではないが、この気持ちはそういう類の感情に似ているんじゃないかと思う。


「俺は雛倉を応援したいんだ。だから、活動に必要なお金は俺の財布から持ってってくれていいし。通販サイトの欲しい物リストを公開してくれたら全然プレゼントする」

「あんたは絶対にアイドルにハマっちゃ駄目」

 

 兎にも角にも貢がせて欲しいということなのだが、どういう訳か雛倉には難色を示された。人の趣味にケチをつけるなんて彼女らしくもない。


「推し事してぇなぁ」

「何言ってんのか分かんない。怖い」


 暗がりの中で不気味な笑みを浮かべていたら雛倉に怯えられてしまった。本気で怖がっているようなのでふざけるのはここらでやめにしておこう。

 まぁ、口にしたことに嘘は一つもないのだが。


「俺のことはファンとして捉えてくれればいい」

「無理。クビ」

「ファンってクビにできるんだ・・・」


 恐らく俺がファン一号なのに扱いが酷過ぎる。


「雛倉には内緒でファンクラブでも作ろうかな」

「こら。聞こえてるわよ」

「やるかー。ちょちょいと作るかちょいだけに」

「ふふ」

「・・・あ、あれ。笑ってる?」


 まさか笑ってくれるとは思わなかった。

 予想外の反応に困惑していると名乗った覚えのない名前が彼女の口から発せられる。


「八雲でしょ。あんたの名前は」

「え。何で・・・」

「やっぱり、気付いてなかったんだ。普通に司会の人が言ってたわよ」

「なっ!? そ、そうか。あの時・・・。くそう。やられた」

「なんで悔しがるのよ・・・」

「最後まで隠し通すか、なんか重要な局面で知られるかのどっちかがよかったのに」

「ストーリー性考えててむかつくわね」


 何度も追及をかわして、しつこいくらいに勿体ぶっていたのに。こんな呆気なくバラされるなんてあんまりだ。


「いい加減観念しなさい。なんて呼べばいいか分かんなくてこっちは面倒だったんだから」

「雛倉が頑なにちょいって呼ばないのがいけない」

「頑ななのはどっちよ」

「・・・引き分けにしとこうか」

「それもなんだか釈然としないわね」


 変な意地を張って、距離を縮めることを恐れていたのは俺の方だった。あの時はこんな風に並んで歩いているなんて想像もつかなかったな。


「改めまして粟木八雲です。同級生からはちょいって呼ばれてます」

「そう。じゃ、私は八雲って呼ぶわ」

「え。名前呼び?」

「嫌なの?」

「普通に照れる」

「ふふ。なにそれ」


 両親以外から名前で呼ばれることがないので異様に気恥ずかしい。しかも、その相手が雛倉なんて到底耐えられそうにない。名前を呼ばれる度に鼻の下が伸びてしまいそうだ。


「ん? 待てよ。そっちが名前呼びするなら俺もねねちゃんって呼んでいいってことじゃないか?」


 我ながら名案を思いついた。けれど、雛倉は、


「それは・・・」


 たっぷり十秒くらい考えて、悪戯が成功した子供みたいに溌剌と笑った。


「だーめ」

   

 甘い口調と上目遣いを喰らわされ、咄嗟に言葉が出てこない。視界の中も思考の中も彼女一色で染められて呼吸が止まった。


 まだ好きなのかなんて意地悪な質問だ。

 忘れさせてくれないのはずっと君の方なのだから。



 

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