第13話 13

13




 マナは無事に見つかったけれど、その分時間は経過して、花火が打ち上がるまで二十分を切った。

 雛倉を王子の所まで連れて行くのは時間的に厳しくて、その事実を雛倉も悟ったのか神妙な面持ちをしている。


 俺たちは今、イベントステージの観客席に座っていた。最後列の端っこに俺がいて、隣ではマナがアイスに齧り付き、その更に隣に雛倉が座っている。


 何か奇跡的な打開案はないものかと腕組して考えてみたが何も浮かばず、雛倉が顰めっ面を向けてくる。

 随分と彼女を付き合わせてしまった。不満があるのも当然だ。


「なんで、やっくんって呼ばれてるの?」

「え。急にそこ気になり始めた?」


 あまりにも遅すぎやしないだろうか。


「ううん。ずっと考えてた」

「他にもっと大事なことがあっただろ・・・」

「名前に脇役が入ってて、やっくんって呼ばれてる。うーん。ヒントが少ないわね」

「やだ。この子本気で考えちゃってる」

「いい加減教えなさいよ」

「いや、ここまで引っ張っといて普通に教えるのは無理だ。すっごい特殊な名前を期待してるでしょ?」

「してない。さっさと言え」


 そもそも何で俺は未だに本名教えてないんだろう。

 はてと首を捻って、あの日屋上で交わしたやり取りを思い出す。そうか。あの時の俺はあれきりですぐに消えてしまう関係だと思っていたんだ。

 それが気付けば林間学校でも、今日の夏祭りでも関わって、雛倉との思い出が増えていく。


「すごいことだな」


 改めてみても到底信じられなくて、一生分の運気を使っている気がしてならない。


「ちょっと聞いてる? あ、そうだ。マナちゃんに聞けばいいじゃない」


 俺が感慨に浸っている間に雛倉がマナの肩を叩いて正解を聞き出そうとしていた。


「なにー?」

「こいつの本名教えて?」

「やっくん?」

「えっと、あだ名じゃなくて苗字と名前を教えて欲しいんだけど・・・」

「やっくんはやっくんだよ?」


 何の違和感もなさそうな顔で言い切って雛倉を困惑させているマナ。物心ついた時には「やっくん」呼びが定着していたので無理もないのかなぁ?


「この世に俺の本名を知っている人なんていないのかもしれないな」


 ほんの少しだけ悲しくなってきちゃう。


「あんたは泣いていい」


 憐れみの視線を向けられると余計に悲しくなってくる。俺の本名なんてどうでもいい。彼女にはもっと気にしなければいけないことがある筈だ。


「ここにいて大丈夫? もうすぐ花火上がるよ?」

「ここからでも見えるんじゃないの?」

「いやぁ、遠目には見えるとは思うけど・・・」

「じゃ、ここで見たらいいじゃない」


 やはり、雛倉に焦った様子はなく俺が急かしても落ち着いている。単純に花火にさして興味がないだけかもしれないが、この花火には学生の、しかも恋愛真っ最中である若人には特別な意味をもたらすものだ。


 この落ち着きよう。さてはかのジンクスを知らないのではなかろうか。


「もしかして、このお祭りのジンクスご存知ない?」

「なにそれ?」

「意中の相手と二人きりで花火を見ると結ばれるというジンクスがあるんだよ」

「ふん」

「あれ? 今鼻で笑った?」

「胡散臭」


 三文字で切り捨てられてしまった。

 

「少女漫画の見過ぎ。流石に引く」

「そ、それが恋する乙女の反応か! 今の聞いたらすぐにでも王子の所へ駆け出すもんじゃないのかね!」

「うるさい。そんな魔法なんてないんだから。この夏祭りで別れるカップルだって沢山いるでしょ?」

「な、なんてこと言うんだ・・・」


 雛倉があまりにもドライすぎる。俺なんか蚊帳の外にいても盛り上がれるくらいなのに。なんだか少し恥ずかしくなってきた。


 雛倉自身にここを動く意思がないのなら俺が何を言っても仕方ない。会話は途絶えて、見るとはなしにイベントステージに目を向ける。


 舞台上にはスタッフと思わしき男性がスケジュールが押していることを冗談混じりに話しつつ、次の演目の紹介を行なっていた。ただ、観覧客はまばらだ。多くの人達は花火を見るための場所取りをしているのだろう。


 公園の隅々で溢れ返っていた喧騒も落ち着き始めている。終わりに向かう寂寥感が宙を舞っていて、熱を失うような寂しさを感じた。


 しばらくの沈黙。


「そういうのってお守りみたいなもんでしょ」


 破ったのは歌うような声だった。

 彼女の表情は何気なく、昔話を語るみたいに遠い目をしていて何を捉えているかは判断できない。

 認識できたのは透き通った瞳と僅かに上がった口の端。そして、言葉を紡ぐために動いた唇。


「私はもう持ってるから。いらない」

「・・・それってどういう」


 曖昧さで包まれたその中身を知りたくて、僅かに身を乗り出したら、突然響いた咆哮のような金切り声が二人の間を引き裂いた。


「うるさっ」

 

 声の発生場所はイベントステージの舞台の上。スーツ姿の女性が左右の手のひらをメガホンに見立てて何事かを大声で叫んでいる。


「課長のばかやろぉー!!」


 バチバチに仕事の愚痴だった。


「びっくりした・・・」


 雛倉も目をパチクリさせながら人前で大絶叫している女性を見上げている。

 見た目は二十代前半に見えるので働き始めたばかりだろうか。若いのに苦労されているみたいだ。お疲れ様ですと声をかけてあげたい。


「やっくん。あの人怒ってるの?」

「怒ってんじゃないかなぁ」


 相当鬼気迫る様子だった女性は一頻り叫び終えると壇上から去っていく。続いて警備員らしき制服に身を包んだ中年の男性が現れて、ステージの中央で一礼。


「指示ばっかしてないでおまえが仕事しろおおお!」


 やっぱり彼も叫んでいたが、最早驚きよりも自分の将来に対する不安の方が大きくなってきた。


「働きたくないよ・・・」


 社会は想像よりも理不尽や悲嘆で溢れているらしい。あまり目の当たりにしたくない現実だった。


「何やってるのかしら」

「大声コンテストだって」

「大声コンテスト? へー。そんなのあるんだ。愚痴ばっかり叫んでるのはどうして?」

「その方が気持ちが乗るからじゃないかな・・・」


 愚痴や不満は溜め込みやすいからこの場を借りて発散しているのだろう。普段抑圧されている分解放されていく勢いも凄まじい。


 ステージ上には小型の騒音計と測定器が置かれており、男性の声に反応して、声の大きさを表す数値が測定器のモニターに表示されていた。数値は98dB。犬の鳴き声を至近距離で聞いた時くらいの音量だ。そりゃ五月蝿い訳である。


 コンテストというだけあって景品も用意されているらしく、その一覧を見てマナが目を輝かせてしまった。優勝者には何処ぞの良いお肉が送られてくるようだ。


「お肉がある! やっくんお肉だよ!」

「あるなー。あるにはある・・・」

「まずいんじゃない?」


 くださいと言って貰える物ではないのでテンションを上げられても困る。この後にマナが言い出すことは

容易に想像がついて頭を掻いた。


「マナあれ食べたい!」

「うーん。俺も食べたいけどなぁ・・・」

「やっくん。おねがぁい」

「あーあ。頼まれちゃったわね」

「ぐぬぬ。いつの間にそんな可愛いおねだりの仕方を覚えたんだ」

「いいんじゃない。楽しそうだし、とりあえず参加してみたら? ストレス発散にはなりそうよ」


 期待されることに多少息苦しさはあったが、参加して何か減る物もないし、人前に立って注目を集めることが特別苦手な訳でもない。雛倉にも背中を押されてしまったから潔く席を立つ。

 そもそもまだ参加を受け付けているのか謎だったが、係員の女性に参加したい旨を伝えるとあっさり承諾されてしまった。


 一枚の紙切れと鉛筆を渡され簡単なプロフィールを書いて欲しいとお願いされる。ザッと目を通すと氏名や年齢、職業などを記入する欄が用意されていた。

 そう言えば先程の参加者達も司会者から簡単な紹介をされていたような気がする。その方が観客への煽りになるのだろう。

 

 出番まであまり時間がなさそうなので殴り書きで済ませていく。その間もステージには大絶叫が響いており、中々の盛り上がりを見せていた。

 叫ぶ内容は人によって様々だが、やはり愚痴が多い。謂わば悪口を言っているような物だけど、大声で叫んでいる姿がシュールなのもあって観客席からはしばしば笑い声も上がっていた。


 俺は何を叫ぼう。


 普段の生活で大声を出す機会なんて早々ないので、羞恥心を振り切れば中々気持ち良くなれそうである。


 先人達を倣って愚痴を叫ぼうか。しかし、考えてみれば気楽に生きているもんで、大層な不満は持ち合わせていない。強いて言うならお小遣いを増やして欲しいくらいのものだ。


 後はなんだろう。

 まだ手をつけていない夏休みの宿題について嘆こうか。それともフォトコンテストに向けて素敵な題材が見つかるように願おうか。


「準備お願いしまーす」


 内容は決まらないまま若いお兄さんに呼ばれ、壇上に上がる。まっずい。どうしよう。


「続いての参加者は粟木八雲(あわきやくも)さんです。今回の参加者さんの中では最年少にあたる高校二年生の底力見せていただきましょう」

 

 司会者が何か観客席に向けて喋っているが、全く頭に入ってこない。まっさらな状態で舞台に上げられて、頭の中はフル回転中なのだ。

 落ち着かないまま視線が右往左往に彷徨って、観客席に座っている人達の表情がよく見えた。


 大丈夫。緊張で上がってしまった訳ではない。冷静さを取り戻すために見知った顔を探す。

 観客席の最後尾。その端っこにマナと雛倉の姿を発見して、深呼吸を一つ。深く深く息を吐き出す。


 マナは手を振ってくれているのだが、雛倉は無表情に近い顔付きでこちらを見ているだけだ。ほんの少しくらい愛想を見せてくれてもいいのに思っているとマナが何かを雛倉に話している。

 

 彼女は一瞬嫌そうに表情を歪めて、俺を一瞥。

 何かと思って目を合わせていると胸の位置に右の手のひらが現れた。中途半端に広げられたそれは控え目にひらひらと振られる。 


 初めは嫌そうで、徐々に無表情に戻っていく。

 それでも見つめ続けていたら、照れてしまって彼女の方から視線を逸らした。次いで、堪えきれずに小さく笑い、恨めしそうに俺を睨む。


 今、この瞬間に湧き出した感情でいい。

 これ程蓋の出来ない気持ちを俺は他に知らないから。


 たっぷり吐き出した息を今度はその分吸い込んで、


「だいすきだぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」


 叫んだ。どれだけ遠くにいても届くように。


 その瞬間、遥か後方で打ち上がった花火の爆発音が轟いた。ドンッという力強い音が腹の奥底にまで浸透し、身体を揺らす。

 きっと、空には大輪の花が咲いていて、飾り気のなかった空を華やかに色付けているのだろう。


「・・・え?」

 

 俺の告白は見事なタイミングで花火に塗り潰されていて、あまりの間の悪さに思わず苦笑が漏れてしまう。こんなんじゃ面目丸潰れだ。恥ずかし過ぎて羞恥心に耐えられそうにない。穴があったら入りたい。


 おずおずと肩越し振り返った空はやっぱり綺麗で、この光景を好きな人と共有することに意味があったのだと気付かせられる。

  

 彼女の目にはどう映っただろうか。

 

 爆ぜては消えていく儚い灯火を焼き付けながら。

 いつまでも終わって欲しくはないと、そんなことばかり考えていた。




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