第9話 09

第三章 夏祭り編

09  




「あんたマナちゃんと夏祭りに行ってきな」


 八月のとある日。自室で惰眠を貪っていたら腹部に強烈な衝撃が走り、強制的に意識を覚醒させられた。


「やっくん起きてー」

「マナ・・・。次からはもっと優しく起こしてくれ」


 眠気眼を擦って腹部に感じる重量感を確認するとそこには馬乗りになった幼い少女がおり、目が合えば愛嬌満点の笑顔で笑ってくれる。それは大変可愛らしかったが、俺の腹の上で飛び跳ねるという悪魔の所業を始めたので憎たらしさが上回ってきた。


「はやくっ。はやくっ」

「うぐっ。わかっ、わかったから。起きるから退いてくれ!」


 殺される前に何とか彼女をベッドの横に下ろし、呼吸を整えながら上体を起こす。すると、マナが俺の前に立って両手を広げた状態でくるりと回った。


「どう?」


 マナは可愛らしい浴衣に着替えていて、白とピンクを基調とした花柄の浴衣は子供らしさもあり、明るく華やかだ。普段とは違う服装にはしゃいでいる様子も相まって非常に微笑ましかった。


「可愛いよ」

「やったぁ」

  

 彼女の名前は前本愛美(まえもとまなみ)。

 母方の親戚である伯母さんの一人娘で、俺からすると従妹に当たる。近所に住んでいるためよく遊びに来ることがあり、常から俺が遊び相手をしているのでいつの間にか懐かれていた。


「祭り行くの?」

「やっくんと!」

「俺もかー」

「早く準備してー?」

「はいはい。ちょっと待っててな」


 今年小学一年生になった歳下の女の子に急かされて、取り急ぎ部屋着から外行き用の服に着替える。

 そう言えば母親の姿が見えない。マナを連れて自室から一階に降りていくと居間でサスペンスドラマを観ている姿があった。


「そこにお小遣い置いてあるから」

「お。臨時収入だ」

「まなちゃんに色々買ってあげなさいよ」

「分かってるって」

「たこ焼き! りんご飴! アイスクリーム!」

「はいはい。食べ過ぎたらお腹壊すからな」


 食べ盛りのマナは既に目当ての食べ物があるらしい。欲しがるだけ与えていたらどんどん丸くなってしまうので、俺が制限してあげなければ。


「それじゃ行ってくる」

「マナちゃんと逸れないようにね」


 夏祭りには沢山の人が参加していることだろう。

 その中でマナと逸れて、彼女を迷子にしてしまったら一大事だ。人並みに蹴られて怪我をするかもしれないし、悪い大人に連れて行かれてしまう危険性だってある。そうならないように保護者である俺が充分に気をつけて行動しよう。


「マナ。手繋いで行こうか」

「うん!」


 小さな手を握って、玄関を出る。

 時刻は夕暮れ時で真っ赤な太陽が西の彼方に沈もうとしていた。そのまま太陽に向かってしばらく歩いていくと徐々に人集りが増え始める。


 近所の公園で毎年開催されている夏祭り。今年も屋台が所狭しに並んでいて、広場の方にはイベントステージが設営されていた。


 普段から賑わっている公園だけれど、本日の人の多さは段違いだ。人並みに揉まれるというのはこういう状態のことを言うのだろう。

 がやがやと騒がしい喧騒の中には陽の空気が溢れていて、楽しそうな笑い声があちこちから聞こえてきた。


 俺も子供の頃は親と一緒によく遊びに来ていた。思い出深いのはイベントステージで見たお笑い芸人の漫才だろうか。幼い時に見たものなので内容は忘れてしまったけれどゲラゲラ笑った記憶がある。

 

 夏祭りの最後には花火が打ち上げられるのだが、その花火には好き合い同士で見たら結ばれるというジンクスも存在しているので、浮き足だっている学生達も沢山いるのだろう。そんなことを考えていたらある一行の面々が頭の中に思い浮かんだが、もしかしたら彼らと遭遇することもあるかもしれない。


「やっくん! 行こ!」

「こーら。走るな」


 煌びやかで賑やかな祭りの様子に当てられて走り出そうとするマナの手をしっかりと引いて、ゆっくりと歩かせる。公園の敷地に入ると向かい合わせになった屋台が俺達を出向かえてくれた。


「りんご飴食べたい。やっくん。あっちだよ!」

「分かった分かった。ちゃんと順番守ろうな」

「うん!」


 屋台に並び、林檎飴を一つ購入。


「ほら。落とさないようにな」

「はーい」


 屋台を物色している列から少し外れてマナが食べ終わるのを待っていると、今し方思い浮かべた面々が正面から現れる。

 

「王子一行が現れた」


 噂をすれば何とやらと言うがまだ声にも出していない。あまりにも登場が早過ぎではないか。


「ん? 何か言った?」


 先頭を歩く王子がこちらに近付いてきて手を振りながら声をかけてくる。


「いや、なにも」

「久しぶりだね。ちょいって妹さんいたんだ?」

「妹みたいなもんだけどこの子は親戚。可愛いだろ」


 自信満々にマナを紹介すると王子は柔らかく微笑んで少し屈む。そうしてマナと目線を合わせてから王子は自身の自己紹介をした。


「こんにちは。僕は天津寺浩二って言います。お兄ちゃんの友達なんだ」

「やっくんのお友達? 私はね。愛美って言うの」

「愛美ちゃんか。よろしくね」

「うん!」


 子供相手にも怖がられない雰囲気の柔らかさは流石だ。目線をマナと合わせてくれているのも彼の気遣いだろう。相変わらずデキる男である。


「林檎飴美味しい?」

「美味しいよ! はんぶんこする?」

「ありがとう。でも、愛美ちゃんか全部食べな」

「うーん」


 不満そうな声を上げる愛美の頭を撫でて彼女の優しさを讃える。心優しい自慢の従妹だ。どうかこのまま健やかに育ってほしい。


「ちょいは夏祭り満喫してる?」

「まだ何もしてしてないな。今来たばっかりだし」

「焼きそば美味しかったよ」

「へー。後で食べるわ」


 王子一行は一通り祭りを楽しんだ後のようだ。混雑を避ける為に早めに集まっていたのかもしれない。なるほど。賢い。


「今から花火がよく見えるスポットに行くんだけど、ちょいは知ってる?」

「知らない。知りたくもない」

「そんなに嫌がらなくても」


 花火を見ている時に良い雰囲気になった王子達が視界に入ってきたら確実に気持ちが萎えてしまう。


「うちの子は花より団子だから焼きそば啜りながら適当に見るよ」

「そう? それじゃ、僕らは行くよ。またね」

「ああ。また学校で」


 まだ夏休みは二週間程あるけれど、もう一度彼らに会うことはないだろうからそう言った。軽く手を上げて目の前を通り過ぎていく王子一行を見送る。

 その中に雛倉の姿を探していたら、その最後尾にすっぽり隠れていた彼女の姿が目の前に現れた。


「かっ・・・」


 声をかけるつもりはなかったのに堰き止められなかった言葉が漏れ出す。王子達と同様に彼女も見送ろうとしていたのだが、そのあまりの破壊力に口が勝手に開いてしまった。


「あんたも来てたのね」


 淡い青色の布地に桜の花があしらわれた浴衣を淑やかに着こなして、学校では見られないハーフアップにされた髪型が彼女の大人っぽさを際立たせている。

 一枚の絵みたいな完璧さに圧倒されて一言目以降の言葉が出でこない。俺の知っている言葉ではその美しさを表現することはできそうになかった。

 

「なんか言いなさいよ」

「・・・」

「え。生きてる?」


 頭の中が錯乱して呆けている俺の前で手を振る彼女。それを何往復か目で追って、ようやく返事を返せた。


「辛うじて生きてる」

「死にかけてたってこと?」

「かなり危なかった」

「一体何が起こったのよ」

「雛倉が尊過ぎてな。所謂尊死って奴だ」

「聞いたことない言葉なんだけど? 所謂の意味って知ってる?」


 雛倉は若干時勢に疎いところがあるので馴染みのない言葉だったようだ。意味が伝わらないと唯のイタイ奴になってしまうので何とも言えない悲しさがある。


「やっくん。このお姉さんだれ? 怖い人?」

「えっ。こ、怖がられた・・・?」


 マナに怖い人と言われた雛倉は目に見えてたじろいでいた。どうやら子供に慣れていない様子だ。彼女は怖い人ではないので助け舟を出してあげよう。


「怖くないよ。ちょっとだけ目が怖いけど優しい子だから。安心しな」

「一言余計よ・・・」

「マナもお友達になれる?」

「あぁ。なれるよ」

「か、可愛い・・・」


 マナの純朴な姿に心打たれている雛倉の手がマナに伸びていき、触れる直前で我に返って下げられていく。頭を撫でてみたかったのだろうが、遠慮が勝ったらしい。


「どうしたの?」

「う、ううん。なんでもない。えっと・・・」


 子供の対応にしどろもどろな彼女についつい笑ってしまう。彼女の人に対する苦手意識は小学生の女の子にまで及ぶらしい。


「マナ。お姉ちゃんに自己紹介しよっか」

「前本愛美です!」

「雛倉寧々、です」

「ねねちゃんって呼んでもいい?」

「う、うん。私もマナちゃんって呼ぶね」

「やったー。お友達増えた!」

「うぅ。可愛い・・・」


 マナのにこにこな笑顔がクリティカルヒットしたようで雛倉の表情筋が溶けている。その光景は大変微笑ましかったが、王子達の背中は既に見えなくなっていた。早く追いかけなくていいのだろうか。


「ねねちゃん。王子達行っちゃったけど大丈夫?」

「なんであんたがねねちゃんって呼ぶのよ」

「え。マナはいいのに俺は駄目なのか」

「・・・・・・・・・・・・だめ」

「じっくり考えての駄目が出たな。こりゃ駄目だ」


 初対面のマナがよくて俺が許されないのはなんだか納得いかないが、しっかり数秒考えていたので俺には足りない物があるようだ。


「まぁ、呼び方は置いといて。早く追いかけな。逸れたら合流するの大変だぞ」

「大丈夫よ。何処に行くかは知ってるから。マナちゃんと仲良くなりたいし後で合流するって連絡しとく」

「え。ほんとかな。道に迷ったりしない?」

「・・・なによ。そんなにどっか行って欲しい訳? なんかむかつく」

「えぇ・・・」


 決してあっちに行けと言っている訳じゃなく、純粋に心配しているだけなのだが、彼女には俺が厄介払いしているように見えたのか憤慨している。

 

 そんなのは当然雛倉の勘違いだ。自分の気持ちを優先するならばいつまでもここにいてくれて構わない。


「雛倉のためを思って言ってるんだよ。こういう時漫画の世界ではな」

「私が大丈夫って言ってるのに続けること? 私が何も考えてないとでも思ってる?」

「・・・ひぇっ」


 かつてない怒りを発露している雛倉の圧倒的な圧力に尻込みしているとマナが林檎飴を舐めながら俺の前に立ち上がった。


「やっくんをいじめちゃめっ!」

「マナちゃん・・・」

「マナぁ。良い子に育ったなぁ。俺は嬉しいよ」

「えへへ」


 マナの成長に感動して頭をくしゃくしゃに撫で回す。しかし、雛倉はマナに近付いて目の高さを合わせると諭すようにこう言った。


「マナちゃん違うの。今いじめられてたのは私の方なのよ」

「えっ!? そうなの?」

「あれー?」

「こいつが私を仲間外れにしようとしたの」

「やっくんひどい」

「まっずいなぁこれ」


 子供を巧みに手懐けて多対一の構図を作られた。


「私はもっとマナちゃんと仲良くなりたいだけなのに」

「ねねちゃん・・・。一緒にお祭りしよ?」

「うん。ありがとう。マナちゃん」


 しかも、既に幾許かの絆が芽生え始めている。敗戦濃厚の香りを嗅ぎ取ったので、これ以上下手なことを言うのはやめておこう。


「分かった。ねねちゃんが自分で大丈夫って言ってるからな。出過ぎた真似でした。ごめん」

「ねねちゃんって呼ぶなって言ったわよね?」

「サーセンッ」


 それだけはどうしても許されないみたいだ。

 また機を狙って呼んでみよう。


「まぁ、俺には良いことづくめだしな」


 マナ狙いとは言え、雛倉と一緒に夏祭りを回れるのだから文句を言わない方が断然お得だ。花火の時間までに合流させてあげれば問題ないだろう。


 また、ラブコメの定番イベントで出会ってしまった。最早、俺と運命の糸が繋がっていると言っても全然過言です。あまり調子に乗るのはやめておこう。

 



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