第8話 08

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 林間学校二日目。

 本日も天気に恵まれ、空は雲一つない晴天だ。


 俺は今日も今日とてもぶとくろこを従えて(俺視点)、自然の風景や他生徒の様子を写真に収めながらのんびりと山道を歩いている。


 今日で林間学校は最終日。

 午前中にオリエンテーリングを行えば、その後は昼食を食べて学校へ帰ることになっている。


 オリエンテーリングとは野山の中で地図に表示されたポイントを回り、ゴールまでのタイムを競うスポーツだ。

 各ポイントには必ず通過しなければならないが、その順番や経路は問わず、どのように進んでも構わない。ただ、今回は安全性を考慮して早くゴールするのではなく、指定された時間通りにゴールする必要があるので、ゆったりと散策しながらチェックポイントに向かっていた。


「あぁ、気持ちがリフレッシュされていく」

 

 少し拓けた場所で太陽の光を浴びながら伸びをすると、日々の疲れやストレスが程良い熱に溶かされていくのを感じる。


「やはり、自然は偉大だな。俺みたいなちっぽけな存在にも等しく祝福をもたらし、全てを受け止めてくれる母のような存在だ」


 その尊さを口に出さずにはいられない。自覚のない人間がいたら至近距離まで顔を近づけてその有り難さを説いてやりたいくらいだ。


「なんかヤバそうな奴いるって」

「昨日滅茶苦茶に絞られたらしいからな」

「あぁ。なるほど。それでおかしくなってんのか」


 隣で聞こえてくるもぶとくろこの会話。それを聞いているだけで憂鬱な気持ちになってくる。


 昨夜の一件で俺と王子は生徒指導の教師からしっかり叱られており、消灯時間を過ぎても中々解放されなかった。しでかしたことがことなので文句を言うこともできず、自身を正当化することも叶わない。

 ただ、自分が悪いと分かっていても怒られたら気持ちは沈むし、モヤモヤした感情は蓄積していく。

 そういう精神状態はよろしくないので、大自然に抱き締めてもらって心を癒すしか方法はなかった。


「ここで昼寝でもしようかな」

「そんな時間にあるわけねぇだろ」

  

 傷心の俺に厳しい言葉を投げつけてくるもぶ。

 彼には友達を思い遣る心が欠如しているのかもしれない。嘆かわしい限りだ。


「酷い男だね。もっと俺に優しくした方がいいぞ」

「怒られたぐらいで済んでるんだからよかったじゃん。それに役得だったんだろ?」

「・・・俺が役得だって言ってたら人間終わってる」


 ことの発端が俺なのに鼻の下を伸ばして嬉しげにしていたら自己嫌悪が止まらない。にやけ面をしていたら一発顔面をぶん殴ってしまいそうだ。


「もうフラれてるって言っただろ。そんな未練もりもり、下心ばりばりの男にはならない」


 元々伝えるつもりはなかった気持ちだ。男たるもの去り際は美しくあらねば。しかし、例の如くもぶは俺の考えに共感を示さない。


「一回フラれたくらいで諦めてだっせぇ」

「こいつブン殴ろうかな」


 今日は何をする気もなかったが、俄然、気力が湧いてきた。

 指を鳴らして威嚇すると、もぶも臨戦態勢を取る。


「また始まった」


 くろこがうんざりした表情でため息を吐く。


「どっちも人殴ったことなんかねぇ癖に」

「おまえ言っちゃいけないこと言ったなぁ!」

「おめぇを一番最初にしてやろうか?」

「おまえらのパンチなんて止まって見えそう」


 三人の中で一番屈強な体つきをしているくろこは余裕綽々としている。


「二人がかりなら何とかってところか」

「俺が後ろから羽交い締めにする」

「よし。それでいこう」

「そんだけすぐに協力するなら喧嘩すんな。ほら、早くチェックポイントいくぞ」


 くろこに言われた通り俺達は暴力を振るったことが全くないので様にならない喧嘩はやめにして彼の後ろについていく。


 チェックポイントではそこで待機している教師から開始時に貰ったカードにスタンプを押してもらえる。そのスタンプがゴールした際にチェックポイントをきちんと通過している証明になるのだ。


 これでスタンプは一個目。残り三つのチェックポイントを踏破しなければならない。携帯や腕時計で時間を確認することはルール上禁止されているので、体感の時間感覚ではあるが、一つ目のスタンプまでに要した時間は十五分くらいだろうか。


 このペースだと早くにゴールしてしまう。やはり、もっとゆるりと散策するべきなのだ。 

 そのことを三人で話し合いながら、次のチェックポイントまでの距離を地図で確認していると、後ろから声をかけられた。


「おはよ。君達はいつも一緒にいるね」


 振り返るとそこにいたのは王子で、その後ろには古谷と神田の姿もある。二人とも去年のクラスメイトだ。

 物腰が柔らかくよくクラスのまとめ役を買っていた古谷とは何度か話したことがあり、軽く頭を下げてくれたのでこちらもお辞儀を返す。

 神田は目も合わせやしない。相変わらず王子のこと以外には興味がなさそうだった。


「おまえらには言われたくないけどな」


 四六時中一緒にいるのは絶対に彼らの方である。


「昨日はよく眠れた?」

「最悪な夢見だった」

「僕もしっかり怒られるのは久しぶりだったなぁ」

「おい。あんまり大きな声で言うなよ」


 慌てて王子の口を止め、彼の後ろを覗き見る。

 雛倉に聞かれてしまったら責任感を感じさせてしまうかもしれない。そう思って彼女を探したが、談笑している王子一行の中にその姿は見当たらない。


「あれ。雛倉は?」


 王子と向き直って彼女の所在を尋ねると、彼は驚いた様子で目を見開いた。


「え? 君は知ってるだろ?」

「なにを」


 彼が不思議がっている理由が分からず首を傾げる。

 彼はほんの一瞬考えるような素振りを見せて、俺の目を見据えて言った。


「寧々は左足首を捻挫しているから、オリエンテーリングには参加してない」


 その言葉に声がつっかえた。理解が追いつかなくて、腑抜けた声が漏れてしまう。


「は?」

「今は合宿所で休んでる筈だよ」

「・・・昨日、あの子はそんな事言ってなかったぞ」


 雛倉が言ったのは腰が抜けたから歩けないと、ただそれだけ。俺はそれを間に受け、キャンプ場の入り口まで彼女を運んだけれど、すぐに呼び出しを喰らったので、その後の様子は見ていない。

 あの時には既に彼女は怪我をしていのか。


「・・・」


 きっと俺に罪の意識を抱かせないために本当のことは言わなかったのだ。


「寧々はああ見えて優しいからね」

「・・・知ってる」

「でも、安心して。様子を見に行った時は元気そうにしてたから。ちょいは寧々の気持ちを汲んで聞かなかったことにしてくれ」


 王子は試すような視線で俺を眇めて、仲間の元に帰っていく。そんな捨て台詞を吐いていくなら最初から伝えないで欲しかった。

 気分が晴れず、胸焼けしたような不快感が残る。


「どうすんだ」

「どうすんだって、どうすんだよ?」


 もぶの曖昧な質問の意図が分からず、質問をそのまま返すとため息を吐かれてうざったい。


「俺は謝るなら早い方がいいと思うけど。おまえは?」


 そんなことは考えるまでもないことだ。

 このままでいい訳がない。聞かなかったふりはできそうにないから。ケジメをつけに行こう。


「早い方がいいに決まってる」

「珍しく意見が合ったな」


 足先を目的地に向けて歩き出す。


「先生にはいい感じに言っといてくれ。俺が怒られないやつで頼む」

「・・・昨日のが相当効いてるな」

「適当に言っとくから気を付けろよ」


 二人の言葉を背中で聞いて、それから一気に加速する。

 足が遅いから全速力で走っても大した速度にはならないけど、一分一秒でも早く雛倉に会いに行くために駆け出した。


 斜面を駆け下り、小川を跨ぐ。すれ違う同級生に奇異の目で見られながらその脇を通り過ぎていき、野山を駆け降りると公道に出た。

 いつもより近くに感じる太陽の光に晒されて体が熱い。横風に体勢を崩しかけても足は前へ、前へと進み続ける。

 下り坂になっているだだっ広い道路の真ん中を突っ切って、加速した勢いはもう誰にも止められない。

 

 一息大きく吸い込んで、らしくないなと笑った。




 合宿所の施設に戻ってから雛倉に割り当てられた部屋の場所が分からないという事に気が付いた。

 走り疲れて荒くなった呼吸を整えながら片っ端から扉をノックしていくが何の反応も返ってこない。傍から見れば完全に不審者のそれだった。スタッフの人に見つかったらどうやって弁解しようか本気で悩む。


 結局、ほとんどの扉をノックしてから怪我をして休んでいるとはいっても部屋の中に一人で放置されていることはないだろうと考えが至る。恐らく養護教諭に監督されている筈なので、階段を降りて談話室に向かう。軽くノックしてから扉を開くと若い女性の教師がこちらを振り返った。


「失礼します」

「あら。どうしたの?」


 軽く会釈して、周囲を見渡す。

 談話室の内装はその名の通り歓談を楽しむための簡素な作りになっていて、円卓が四つとその四方に椅子が置かれているだけだ。しかし、その何れにも雛倉は座っていなかった。


「あの。雛倉ってこっちきてないですか?」

「雛倉さん? 彼女ならさっきその辺見てくるって出て行っちゃったわよ」

「え。足怪我してるって聞いたんですけど」

「ええ。だからここにいるように言ったんだけど。まぁ、暇だったんでしょうね」


 のほほんと言って退ける保険医に戦慄しながら、雛倉の安否に不安を抱く。早く彼女を見つけ出した方がいいかもしれない。


「それで? 君はどうしたの?」

「いえ、お気になさらず。それでは戻ります」

「あ、ちょっと」


 引き止められそうになったのでゴキブリ並の素早さで撤退。担任に連絡されたらまた怒られちゃうかも。とそんな悲痛を憂いながら合宿所の外へと出て周囲を探すと、今度こそ雛倉を見つけられた。


 彼女は庭園にある池の前のベンチに腰掛けて、退屈そうに錦鯉を眺めている。


「あ、ばれた」


 俺に気付いて雛倉の最初の一言がそれだった。

 ベンチの上には松葉杖が置かれていて、左足首には厳重に包帯が巻かれている。俺の視線に気付いてベンチの下へ隠そうとするけど、意味はないと気付いたのか元の位置に戻していた。


「ばれたじゃないって・・・。隠さずに言ってくれたらよかったのに」


 咄嗟に出る彼女の気遣いに心が痛む。

 彼女に歩み寄っていく足が重い。


「言ったらあんたが気にするじゃない」

「気にさせてくれ。俺のせいなんだから」


 ベンチの傍に立つと彼女が松葉杖を退けて場所を空けてくれたが、なんとなく座るのは気が引けた。


「あんたのせいじゃないって昨日言ったでしょ。同じ話は自慢話だけにしなさい」

「自慢話は何回もしていいってこと? 良い女過ぎんだろ・・・」

「良い女って言うの止めて。なんか嫌」

「ごめんなさい・・・」


 がさつな発言だったと反省し、直立に姿勢を正す。


「魅力的な女性だなって言いたくて」


 丁寧に言い直すと松葉杖の先端が鼻先を掠めた。


「ひぇ」

「うるさいー」


 照れ隠しの代償に危うく鼻が一つなくなるところだった。もう一歩分彼女から距離を取ると隣のスペースをポンポン叩かれる。


「いつまでそうしてるつもり? 私が立たせてるみたいだから早く座りなさい」

「はい・・・。度々すいません・・・」


 ベンチに腰を下ろして、池の中に視線を落とす。

 本題とは違うことで何度も謝罪しているが肝心のことは謝れていない。しかし、それをしようとすれば烈火の如く怒られるのは火を見るよりも明らかだ。


「謝るために走ってきたんだけどな・・・」

「行事放ったらかしにしてまで来ることないのに」

「一人でいると思ってたから寂しいかなって」

「・・・別に。寂しくなんかなかったけどね」

「ほんと?」

「・・・暇だっただけだしっ」

「そっかそっか。それじゃ二人で何かする?」


 それがせめてもの償いになるなら。

 俺の言葉に雛倉は幾つかの逡巡を見せて、


「・・・あんたが私の我儘に付き合ってくれるなら。海が見たい」


 素朴な願いを口にした。

 彼女の瞳には憧憬が宿っていたから、俺の力を賭して叶えてあげたい。


「見に行こうか。今から」

「どうやって?」


 その質問に思わずほくそ笑んでしまう。

 勘違いかもしれないが、期待されているような気がして恭しく頭を下げ、胸に手を当てる。


「ちょいタクシーは今日も運行中です」

「サービスが悪かったら怒るから」


 いつだって俺への圧を忘れない雛倉の圧に感服し、思わず小さく吹き出したら、彼女も柔らかく笑った。


 


 海を見るためにハイキングコースを登ることにした俺達。


 先程、雛倉に対して大見得切ったはいいが、ハイキングコースを彼女を背負いながら歩くのは危険だし、無謀なので早々に諦める。林間学園のスタッフに相談すれば快く登山用の車椅子を貸し出してもらうことができたから彼女をそれに乗っけて、いざ出発。


「おんぶは?」

「ちょっと無理だったね」

「ふーん」


 何処となく語気が冷ややかな気がしたが、後ろからでは表情が確認できない。まぁ、俺の勘違いだろう。


 ハイキングコースの傾斜はなだらかで整備もされているから車椅子でも安定して進むことができていた。

 山頂まではどうやっても時間が足りないが、それなりの高さまでは辿り着くことができそうだ。


「涼しくて、快適だなぁ」

「風が気持ちいい」


 自然の中をゆったりとしたペースで歩いていく。

 時間はそれほどないけれど、だからと言って急ぐのは勿体無い。この時間にも幸福は満ちている。


 空気は美味しく、木の葉が擦過する音も心地よい。小鳥がさえずり、トンボが目の前を飛んでいく。その行き先には綺麗な花が咲いていた。


「なんて花?」

「分からん」

「ふふ。私も」

「へへへ」

「なに?」

「楽しいなって」

「・・・うん」


 甘い香りに誘われて、枝葉のトンネルを抜けた先。

 拓けたその場所に一面の空と広大な海が広がった。


「わぁ・・・」


 ウッドフェンスの際まで車椅子を運び、彼女の瞳に念願の海を映す。


「広い」

「うん」

「青い」

「う、うん?」

「大っきいプールみたい」

「語彙力どっかいっちゃった?」


 あまりに広大な景色に圧倒されて小学生みたいな感想しか出てこなくなっている。車椅子を止めて、彼女の顔を覗くと目が爛々と輝いていた。


「初めて見た」

「次は泳ぎに行くといいかもね。もう少しで海開きもするだろうし」

「私泳げないんだけど」

「それでも楽しいよ。雛倉の大好きな仲間と行けば」

「・・・そうね。そうかも」


 浮き輪をつけても怖くて、手を引いてもらったりしながら泳いで、疲れたら砂浜でお城を作る。

 そこに俺はいないけど、それでいい。だから、せめてこの一瞬だけはこの手の中に。


「記念に写真撮ってもいい?」

「え」

「嫌だったら我慢する。でも、折角の記念だから撮らせて欲しいな」

「・・・一枚だけでいいなら」

「よっしゃ。ありがとう」

「別に。お礼なんていらないけど」


 恥ずかしそうにぷいと顔を背けた横顔がほんのり赤く色付いて愛らしい。欲を言えばその表情も撮らせて欲しかったけれど、それは許されないだろうから肉眼に焼き付けいたら上目遣いの彼女と目が合った。


「私の方こそあんたのおかげで退屈じゃない、大切な思い出ができたから。だから、ありがとう」

「うん・・・。俺も。たぶん、一生忘れない」


 これから先彼女と違う人生を歩んでも、この景色が薄れることはないと思う。


「それじゃ撮るよ。はい。可愛い顔して」

「ど、どんな顔よそれ」

「あ。元から可愛いから大丈夫だ」

「ほんとにうるさい!」


 俺の戯言を聞いて車椅子を壊すんじゃないかという勢いでガタゴト暴れだす雛倉。借り物だからと嗜めて、彼女のパンチが飛んでくる前にカメラを構える。


「はい。チーズ」

「あっ」


 緊張で強張った表情。仄かに色付いた桃色の頬。

 咄嗟に口元で合わせられた両の手のひら。

 通りすがりの風に靡くブロンドの髪。


 何処までも広がる青と澄み切った空気をファインダーに切り取って、この掛け替えのない瞬間を一枚のフィルムに焼き付けた。




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