第7話 07

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 美味しいカレーを食べて、キャンプファイヤーで踊り、本日最後のイベントである肝試しが始まった。

 肝試しは希望者だけを募って行うのだが、ドッジボール大会で最下位になった二組の我々は驚かせ役、案内役として参加させられている。


 今は体育館に参加者が集められて、引率の教師から余興の怪談話を聞かされている最中だ。


「これは大学の先輩が体験した話なんだけどな。夏休みに地元の友達と心霊スポットに行くことになったらしい」


 体育館の中央に胡座をかいて教師は座り、それを囲うようにして生徒達は沈黙を保ちながら怪談話に耳を貸す。館内に明かりは灯っておらず、一本の蝋燭だけが周囲をぼんやりと照らしていた。


「その心霊スポットは夜になると女の啜り泣く声が聞こえるとか、心霊写真が撮れるとか。とにかくそういった噂が絶えない所だった」


 重厚な語り口と物々しい場の雰囲気が合わさって体育館の中には異質な空気が立ち込めている。

 お決まりの口上もテレビの前だと笑い飛ばせる筈なのに皆一様に固唾を飲んでいた。


「夜を待って、先輩達は車でその場所まで向かったんだが、噂のある民家までの道には草木が生い茂っていて先に進めない。仕方なく道路の脇に車を停めて薮を掻き分けながら林の中を進んでいく」


 この後驚かせ役として森の中に潜まなければならない俺達に直撃している怪談だ。本当に勘弁して欲しい。


「携帯のライトだけを頼りに細い薮道を一列になって民家を探していると、幸いにもそれはすぐに見つかった。廃墟になっている民家は当然人の気配はなく、玄関も壊されていて、家の中には簡単に入ることができたそうだ」


 周囲を見渡すと暗がりの中に雛倉の姿を発見することができた。蝋燭の炎を反射して金色の髪がいつにも増して煌びやかに輝いている。その様子は非常に美しかったが、表情は強張っているように感じた。


「先輩達はカメラを回して、しばらくの間動画を撮ったり、心霊写真を期待して写真を撮ったりしていたんだけど、おかしな事は確認できず、やっぱり、噂は当てにならないなと車に戻ることにしたそうだ」


 静かで抑揚を抑えた語り口はいつ恐怖に見舞われるかの予想ができなくて心臓に悪い。てっきり、民家の中で怪異が起こるのだろうと身構えていたのだが、違ったらしい。


「口々に文句を言いながら来た道と同じ道を引き返す。来た時と同じように狭い道を一列になって、最後尾を先輩が歩く事になったんだけど、何かおかしい」


 まずい。怪異が始まりそうだ。

 今度こそ身構えておかないと。やられる。


「ザッザッザッ。最後尾を歩いているのに自分の背後から足音が聞こえてくる。そんな筈はない。でも、その音は確かに自分の後ろで鳴っていた。あまりの恐怖でパニックになりかけながらも、その先輩は何でもないことを確認したくて足元を振り返った」


 く、くる・・・。


「そこには生気を感じさせない真っ白い足だけがあって、先輩は堪らず前を歩く友達を押し退け、車まで全速力で駆け出した。友達も異変を察知してすぐに車に乗り込み、逃げるようにして心霊スポットを後にしたんだけど、後日、民家の中で撮った写真の中に足のない女性が写っていたそうだ」


 オチを聞き終えて、生徒達にざわざわと喧騒が広がっていく。誰かが短く悲鳴を上げれば、連鎖するように叫声が体育館に反響した。恐怖心を煽るという目的は大成功のようだ。


 興奮冷めやらぬまま体育館を出て、キャンプ場の入り口へと歩いていく。その道中も生徒達の話題は先程の怪談で持ちきりになっていた。


 肝試しの参加者はザッと見渡す限り四十人くらいなので一クラス程度。そこそこの参加率だ。 


 二組の俺を含めた数人はキャンプ場の入り口から更に奥へと進み森の中で待機する。参加者を驚かせるために木陰に隠れていなければならず、頼りになる光源が月明かりしかない状態は何とも心細い。


「さっきの話マジだったんかなー」

「信じるのか? 俺は作り話だと思ったが」

「くろこはそう言うよな。おまえ現実主義だし」

「目で見た物しか信用できない」


 隣にもぶとくろこがいなければ平常心を保てなかったかもしれない。二人に怖がってる素振りは一切なく、気楽な様子で談笑に耽っている。


「ちょいはどう思う?」

「俺もいない派かな。中学の時から写真撮ってきたけど心霊写真は一枚も撮ったことないし」


 幽霊という存在を疑っているのに怖がっているのは矛盾だが、それはそれ。これはこれ。人という生き物は未知の物に恐怖を抱いてしまう生き物なのだ。


「まぁ、そうだよな。俺らもカメラ回しててそういうのが紛れ込んだことないし」

「もし撮れたとしても加工って疑われるのが関の山だろうな」

「ちぇ。面白い絵が撮れたら映像研の知名度も一気に上がるのに」

「上げてどうすんの?」

「部員を増やすきっかけにするのさ」

「・・・まだ諦めてなかったのか」

「当たり前だろ。まだ六月だぞ」

「もう六月だ。流石にもう無理だって」


 入学して二ヶ月以上が経過して、未だにどの部活に入ろうか迷っている生徒なんかいる訳がない。


「その口振り。そっちはもう諦めたのか。はぁ、昔から諦めの速さだけは一丁前だな。ちょいって」


 俺の言い分が気に入らなかったらしいもぶが食ってかかってくる。知った口を利かれると無性に腹立たしくなるので、売り言葉に買い言葉で俺も言い返す。


「おまえは諦め悪い割にはいつも結果がついてきてないけどな」


 中学から知っている間柄だ。相手が何を言われたら嫌がるのかも熟知しているので、的確にもぶの地雷を踏み抜いてやった。

 

「なにおう!? だから、おまえは一生脇役なんだよ!」

「うるせぇ! モブの分際で生意気言ってくんじゃねぇ!」

「・・・争いは同じレベルでしか生まれない」


 くろこだけが一歩引いたところでやれやれと肩を落としていたが、傍観者を気取っている彼も気に入らなくなってきたから俺ともぶは一斉にそちらを向いて全く非のないくろこを一旦糾弾した。


「なんだ? 一人だけ大人振りやがって」

「ぼこぼこにすんぞ」

「何で俺にヘイトが向くんだよ。こっちくんな」


 本気で鬱陶しそうにしているくろこの反応を見て満足した俺ともぶは構えていた矛を仕舞い、顔を見合わせて笑う。元より本気で喧嘩するつもりはない。


 口にした言葉は本心だけど、訂正したり、謝ったりはしない。俺ともぶは性格が正反対なので今みたいに意見が分かれることが偶によくあるのだ。


 長い付き合いで腐れ縁のようになっているから考え方の違いが目について腹が立ったりもするが、それが単純な良し悪しでは語れないことも理解している。

 その落とし所に利用されるのが大抵の場合、くろこなので彼の心底嫌そうな表情も納得である。


 そうしてふざけていると、幾つかの話し声が近づいてきたことに気がついた。木陰に隠れて声が聞こえてきた方向を覗き見すると男女二人ずつのグループがこちらに向かって歩いてきている。

 懐中電灯を持っているようなので、見つからないように即座に身を引っ込めた。


「ちょい。準備はいいか」

「おっけおっけ」


 小声で言葉を交わした後は物音を殺して、彼らが目の前を通り過ぎるのを待つ。地面を蹴る音が目の前を通り過ぎたタイミングで構えていたカメラのシャッターを切り、フラッシュを炊いた。


「うわっ」

「きゃ」


 真後ろから突然光に照らされて彼らは一斉に驚き、これでもかと見開かれた瞳でこちらを振り返る。

 子供騙しに過ぎない仕掛けだったが、状況が状況なだけあってそれなりに驚いてもらえたようだ。

 

「撮影中でーす」

「・・・なんだちょいか。びびらせんなよ」

「すまんすまん」


 軽い調子で謝罪して彼らに先を促す。

 肝試しの経路はU字になっており、順路から外れずに進めば自然とスタート地点のキャンプ場に戻れる仕様になっているので迷う心配はなさそうだ。


 何組かを見送って、男女での参加率が多いことに気がついた。やはり、意中の相手と仲を深めるために吊り橋効果を狙っているのだろう。


 驚いた時に身を寄せ合い、その後、照れ隠しのようにはにかんでいる男女の姿を見ていると、さっさと告白しろと思う反面、雛倉に助言したことは正しかったのだと自信が持てる。彼女はあまり人を頼る事に慣れてなさそうなのでそのギャップを見せるいい機会だ。


 それから更に時間が経過して、ようやく二人の姿が現れた。先導するように前を歩いている王子とその数歩後ろを落ち着かない様子で随行している雛倉。


「あれほど密着して歩けって言ったのに」


 二人の距離感は遠からずも近からずといった感じで何とももどかしい。怖いから手を握って欲しいとか言えばいいのに。彼女はもっと恋愛に対して計算高く挑むべきなのだ。まぁ、照れている姿も可愛いけれど。


 しかし、こうなることは予想できていた。

 そのためのお化け役。そのための俺だ。

 自分からは恥ずかしくてできないと言うのであれば外側からアクションを仕掛けてあげればいい。


 やることは先程までと変わらない。

 木陰に隠れて、カメラを構える。


「なんか雛倉さんの様子おかしくね?」


 小声でもぶがそう声をかけてきた。

 彼の言う通り、雛倉は忙しなく辺りを見渡していて普段の落ち着いた様子とは遠くかけ離れている。


「緊張してんるだけだろ。たぶんそう」


 恐らくその筈だ。俺が発破をかけているからそれを意識して普段通りに振る舞えていないか、俺を探してタイミングを見計ろうとしているのかもしれない。

 角度的に王子の視界にも入ってしまうので、雛倉だけに俺の存在を伝えるというのは不可能だった。


「・・・大丈夫だよな?」


 何だか不安になってきた。いや、仮に怖がっていたとしても好都合。それでこそ吊り橋効果を得られる。

 恐怖心に耐えきれなくて本能的に王子に密着する。

 このシナリオで何ら問題はない。


 一抹の不安を覚えながら、王子が目の前を通り過ぎ、雛倉の横顔が見えたタイミングでカメラのシャッターを切る。


「わっ」


 まず王子の短い驚嘆が聞こえた。

 そこまで驚いた様子がない事に加え、そこはかとなく可愛らしいのが少々腹立たしい。

 次いで、雛倉の反応を確かめようと瞼を開く。


「・・・あれ」

 

 彼女はいなくなっていた。月明かりに照らされた細道に彼女の姿は何処を探しても見つからない。 


 彼女の前を歩いていた筈の王子と目が合う。

 目を見開いたのはきっと同時だっただろう。


「雛倉?」

「寧々?」


 動揺で小さくなった呼び声に返事はない。まるで、神隠しにあったみたいに忽然と姿を消してしまって、状況が理解できず、思考が止まりかけたその時に、


「いやあぁぁぁぁぁぁぁ!?」


 劈くような悲鳴が順路の先に響いた。

 全員の視線が一斉にそちらへ向き、明瞭としない暗闇の中に少女の背中を発見する。


「雛倉! 止まれ!」


 咄嗟に呼び止めるが彼女の耳には届かない。

 半狂乱で疾走し、暗闇の中に消えてしまった。


「王子! 追いかけろ!」

「分かってる!」


 俺が声をかけるよりも先に走り始めている王子。

 彼もまた闇に溶け込み、消えていく。

 

「あれ、大丈夫か?」

「・・・」


 順路さえ間違えなければ十分程度でキャンプ場に戻れるけれど、この小道は直線ではない。道を外れてしまえばそのまま森の深くへと進んで行ってしまう。


 広大な森の中で道に迷えばそれは遭難だ。次第に不安が大きくなって、居ても立っても居られない。


「もぶ。くろこ」

「どうするつもりだ?」

「二人を追いかける。もぶはここで残りの案内。くろこは戻って先生にこのことを伝えてくれ」

「了解」

「状況が分かったら連絡しろ」

「おう」


 三人で目配せし、頷き合う。

 地面を強く蹴って、走り出した。

 何事もないことを確認する。それだけだ。


 スマホのライトを点灯させて、整備が行き届いていない細道を走る。暗がりの中では小道と茂みの境界線が分かり辛くて、一層俺の不安を駆り立てた。


「俺のせいだ。クソッ」


 次のチェックポイントには足の遅い俺でもすぐに辿り着く。そこには状況を把握できていないクラスメイトと神妙な顔付きで口を抑える王子の姿があって、その表情だけで状況は最悪なのだと理解できた。


「王子」

「ちょいか。ここにはきてないみたいだ」


 首を横に振る王子の手には一台のスマホが握られている。豪く可愛らしいデザインのスマホケースだから、王子のものではないだろう。


「それ雛倉のか?」

「ああ。ここにくる前に落ちてた。これで連絡を取る手段は無くなったみたいだね」


 状況は刻々と悪くってなっていく。しかし、平静さを欠いてはいけない。事態が好転するように思考を巡らせるが、推測できることは余りにも少なかった。


「・・・きっと、そのスマホが落ちていた辺りから真っ直ぐに進んだんだ」

「だね。だけど、森の中の方向感覚なんて直ぐに狂う。暗闇なら尚更ね。どう進んだかは僕らには分からない」


 自然が連なるこの森は何処までも深く広がっていて、走れば走る程に奥深くへと進んでしまう。移動すればする程捜索は困難になっていく。


「一度キャンプ場に戻ろう。先生にこのことを伝えなきゃ」

「キャンプ場にはくろこを帰してある。状況は伝わってる筈だ」

「そうか。でも、僕らだっていつまでもここに残る訳にはいかないだろ?」

「探しに行こう」


 俺の提案に王子は渋面を示した。当然だ。現状を鑑みても学生がどうにかできる範疇を超えている。


「僕らまで道に迷うかもしれない」


 勇気と無謀は違う。俺の出鱈目は明らかに後者に類する物だろう。無思慮な行動は避けなければいけない。そう頭では理解していても身体と心は動き出そうとしていた。何も成してこなかった脇役に彼を納得させられるような力はない。


 だけど、俺と。そして王子も。

 彼女を見つけ出すためのヒントを持っている。


「そう遠くまでは行ってないと思う」

「どうしてそんなことが分かるんだ」

「雛倉が言ってたんだ。体力には自信ないって」

「・・・」


 険しい顔を崩さない王子。

 俺の言い分は根拠薄弱な馬鹿馬鹿しいものだっただろう。賭ける価値なんてない。してはいけない。


「その辺でへばって助けを待ってる。大声で呼びかけたら、きっと、見つかる」


 それでも俺の責任は俺の手で拭いたい。


「・・・分かった」


 俺の当て推量に如何程の説得力があったかは分からない。しかし、しばらくの黙考を終えて王子は確かに首を縦に振った。


「少しの間だけこの周辺を捜そう」

「いいのか?」

「僕も寧々を心配する気持ちは同じだ」

「同じ・・・。そうだな」


 頷いて、一度王子がスマホを拾ったという場所に移動する。ライトで周辺を照らしてみても分厚い闇はその全容を明かしてはくれない。


「必ず何かあったら連絡すること。十分経ったらこの場所に戻ってくること。いいね」

「絶対守る」

「行こう」

「おう」


 その合図で足を繰り出す。数歩進めば、その暗闇を身を持って実感した。月明かりは木の枝葉によって遮られ、スマホのライトがなかったらすぐに前後不覚に陥っていたことだろう。


 こんな闇の中では何が起こっても不思議ではないと無自覚に非現実的なことを考え出していて、懐疑的だった怪談話が脳裏を過る。自身の恐怖心を自覚して、それを振り払おうと腹から声を吐き出した。


「ひなくらー!! いたら返事しろー!」


 それが出来る状態にあることを祈りながら。

 

「助けに来たぞ! 大丈夫かー!」


 目的を、願いを叫ぶ。そうすることで自分を見失わないように。冷静でいられなければ彼女を見つけることは叶わない。


 王子の雛倉を呼ぶ声も聞こえていた。今のところ距離はそれ程離れていないようだ。彼の声が聞こえるだけで安心感が増す。一人ではないと感じられる。この声が雛倉にも届けば、暗闇の中にいる怖さを少しは緩和できる筈だ。

 

 懸命に声を出しながら足を進める。しかし、いくら叫んでも雛倉の声は返ってこない。時間の感覚も曖昧になってきて、スマホの画面で時刻を確認すると、もう間もなく十分が経過しようとしていた。


 間も無く、応援が来る頃合いだろう。引き際を弁えなければ俺や王子も遭難しかねない。そう思考してようやく、いつの間にか王子の声が聞こえてこないことに気がついた。


「・・・」


 戻ろう。これ以上は悪戯に危険を引き寄せているだけだ。雛倉は見つけられず、ただ悪戯に王子を危険に晒しただけ。自分の見通しの甘さに嫌気が差した。


 情けなく諦めるのが嫌で、振り返らずにその場で立ち尽くす。


「ーーーッーーーゃーーー」


 すると、草木が擦過して奏でる不気味なざわめきの中に啜り泣く女性の声が混じったような気がした。

 

「雛倉?」


 周囲を照らしても彼女の姿はない。自然の音を聞き間違えたのか、それとも現実から目を背けようとした俺自身が生み出した幻聴か。


「いるのか・・・?」


 判断が付かず、何度も周りを確認するが、彼女の姿は見つからなかった。


「いたら声を聞かせてくれ・・・」

 

 ただの勘違いで終わって欲しくない。最早、縋り付ける可能性はこの声にしか残されていないから。


 呼吸を抑えて、耳を澄ます。


「・・・ッ・・・・・ッ」


 声は確かに聞こえている。

 聴覚を研ぎ澄まし、声が聞こえる方向を見定める。


 目の前に直立している大きな木。

 幹の太さが人の胴を上回る大樹に近づき、茂みを掻き分けて、幹の裏側を覗いたその場所でようやく蹲っている彼女の姿を発見した。


「雛倉・・・?」


 俺の声に返答がなかったのは彼女が両の手のひらで力一杯耳を押さえていたからだったらしく、近づいて名前を呼びかけても俺の声だと認識できていない様子で、小さく身震いし、嫌悪を示している。

 目も堅く閉ざされていて、視界や聴覚から入ってくる恐怖を必死に遮断しようとしていることが痛いくらいに伝わった。


「えっと・・・」


 驚かせないように俺の存在を知らせたいが、それはどうやっても不可能な気がして、無事に見つけることができたのに頭を悩ませてしまう。


「俺の方が見つけることあんだな」

 

 雛倉が聞こえていないことをいいことにそんな独り言を呟いた。勿論、本気で捜していたが今までこんな大事な役回りを任せられたことはない。


 一度深呼吸して、彼女の前に跪く。そっと手を伸ばして、彼女の左手に俺の右手を重ねた。びくっと身体を大きく震わせた彼女が更に小さく縮こまろうとするので、なるべく優しく手のひらを握る。


 確かな体温が触れた場所から伝わって、ゆっくりと瞼を開いた瞳に俺を映す。その瞳は濡れていた。

 

「え・・・」

「もう大丈夫だから」


 状況が理解できていないといった様子で硬直している雛倉。すぐに手は離し、一歩分の距離を取って彼女が落ち着くの待つ。


「・・・探しに来てくれたの?」

「ああ。ここにはいないけど、王子も探してる」

「そうなんだ・・・。ごめんなさい」


 塩らしく頭を下げられて、そんなことはしなくていいと即座に否定した。


「なんで雛倉が謝るんだよ。怖いの苦手だったんだろ?」

「・・・うん」

「俺の方こそ、気付かなくてごめん」


 謝るべきは俺の方だろう。彼女の強張った表情とか落ち着きのない様子を俺は見ていたのだから。

 両膝を地面に付けて、深く謝罪した。


「私が隠したことだから。あんたは謝らないで」


 それでも雛倉は俺の非を認めてくれない。


「思いっきり罵倒してくれてもいいんだぞ?」

「しないわよ。あんたに言わなきゃいけないのはごめんなさいとありがとうだけ」


 そう言って弱々しくはにかむ彼女は暗闇の中でも煌めいて、不意に心を惹かれてしまう。

 とても正面からは受け止められなくて茶化した。


「恐縮です」

「どんな言い回しよ」


 微かに笑みを含んだ彼女の声が耳に届いてくすぐったい。すぐには顔を上げられそうになくて、その姿勢のまま硬直する。


「いつまでそうしてるのよ」

「いつまでにしようかな・・・」

「今すぐ止めなさい」


 確かに俺達は早く戻って無事を知らせなければならない。赤くなった顔は暗がりで誤魔化せるだろうか。

 そう信じて顔を上げようとしたその時、都合良くスマホの着手音が鳴った。


「あ。まっずい」


 前言撤回。

 スマホの画面に表示されているのは王子の連絡先。

 彼と約束した時間はとうに過ぎ去っている。


「な、なに」


 雛倉はまだ恐怖心は抜けきっていないらしく、中々電話に出ようとしない俺を見て怪異的な想像をしたのか怯えた声を出している。そんな彼女を見て名案を思いついた。この電話は雛倉に対応してもらおう。


「大丈夫大丈夫。王子から。雛倉が出な」

「え、ちょっと。いきなり」


 通話ボタンを押して、戸惑う彼女に問答無用でスマホを握らせる。何も怒られたくないという理由だけで押し付けた訳ではない。雛倉も王子もお互いの声が聞きたい筈だ。


「もしもし。浩二?」


 不服そうな雛倉の視線から逃れる為に立ち上がる。

 電話越しの王子の声は俺には聞こえてこない。


「うん。一緒にいる。・・・大丈夫。心配かけてごめんね」


 自分から任せておいてなんだが何となく気まずい。別に聞いていて不味い話をしている事はないのに、この場から立ち去った方がいいような気がしてきた。


「分かった。お願い。・・・ありがとう。代わるね」

「え」

「はい」


 そう言ってスマホを返される。通話はまだ繋がっている状態だ。耳にスマホを当てると俺からは何も言っていないのに、息遣いだけで電話口にいることを察知したのか短い言葉で彼は告げた。


「後でお咎め有り」

「そこをなんとか」

「僕からじゃなくて、先生のね」

「・・・そっかぁー」


 王子はそれだけ告げて通話を切った。彼も中々いい性格をしている。もしかしたら、怒られる前に覚悟を決めておけという彼なりの優しさだったのかもしれない。


「どうしたの?」

 

 浮かない顔に彼女が気づいてしまった。

 正直に話すと彼女に気を遣わせそうなので、適当に誤魔化しておく。


「いや。早く戻ってこいってさ」

「・・・そう」

「立てるか?」

「ううん。立てない」


 その一言に体が硬直した。


「え。どこか怪我したのか?」


 真っ先に思い浮かんだのは怪我の心配だったが、雛倉は違うと否定する。それからやけに堂々とした様子でこう告げた。


「腰が抜けてるの」

「・・・びびらせないでくれ」


 拍子抜けする言葉に緊張で力んだ力が全身から抜けていく。ただ、怪我がないことには一安心だ。


「しゃーないな」


 座ったままの彼女の前にもう一度しゃがみ込む。 

 今度は背中を彼女に向けて。


「ほら、乗りな」

「え。いや」

「置いてくよ?」

「仕方ないわね」


 歩けないのなら背負って帰るしかないのだが、彼女はお気に召さなかったらしい。まぁ、身体を密着させることになるのだから普通は嫌だろう。しかし、四の五の言える状況でもないので意地悪な一言を付け加えるとあっさり承諾してくれた。


 それでも中々乗ってこないので首だけで後ろを向いて催促すると、雛倉はその辺に落ちていた細い木の枝を両手で掴み、折り曲げて千切る様子を見せてくる。


「重いって言ったらあんたをこうするから」

「真っ二つになっちゃうってこと?」

「そうよ」

「こっわ」

「人力でやるから」

「化け物だぁ」

「分かった?」

「早よ乗れ」

「むぅ」


 雛倉が冗談を言うのは珍しい気がする。どうやら照れているようだ。唇を尖らせてぶつくさ文句を言っている。ずっと後ろを向いていることに疲れたので彼女の文句は無視して、前方を向き直ると背中に確かな重みが乗りかかった。


 驚きと同時に柔らかい感触に気付いてしまうが、雛倉に嫌がられたくはないので煩悩は外に追いやって、努めて紳士的に声をかける。


「運ばせて貰いますね。お姫様」

「・・・ちょいの癖に」


 耳元で恨み言を呟かれて苦笑が漏れた。そういう反応をされるとついつい揶揄いたくなってしまう。


「あれ。もう呼ばないって言ってなかったけ?」

「今のはちゃんと蔑称として呼んだから」

「酷い話だよ?」

「あんたが格好つけるからでしょ」

「確かに似合わなかったよな。やばい。急に恥ずかしくなってきた」


 これは定期的に思い出して悶える奴だ。既に後悔の念が凄い。何でこんなこと言っちゃったんだろう。


「早く歩きなさいよ。ばか」

「普通に罵倒までされ始めてる」


 雛倉が肩を叩いて催促してくるので、彼女が落ちないようにきちんと支えて立ち上がる。極力、身体に触れないように気をつけて後ろ手に手を組んだ。


「揺らさないでよね」

「安全に運ぶって。任せな」


 地面の状態はお世辞にも良いとは言えないので、充分に気を付けて歩かなければならない。足がもつれて転んでしまえば雛倉にも怪我をさせてしまう。

 

 両手が塞がっているので雛倉に足元を照らしてもらいながら慎重に歩を進める。歩き出せば彼女は大人しくなり、静かな森の中では沈黙は殊更際立った。


 チラチラ差し込む月明かりと、葉が揺れる音。


 このシチュエーションにいる俺がどうにも不可解で、場違いなことを自覚し始める。静寂な世界では一層重く罪悪感を感じてしまって、口をついて言葉が出てきた。


「ごめんな」

「もういいわよ」

「いや、そうじゃなくて」

「まだ謝ることがあるの?」

「見つけたのが俺で申し訳ないなって。王子だったらこのおんぶも王子がしてくれたのに」

「・・・あんたは私のことなんだと思ってるの。恋愛脳過ぎるでしょ」


 背中越しにため息が聞こえてくる。

 心底、呆れられてしまったようだ。


「汗掻いている」

「えっ・・・。臭い!? マジでごめん!」


 唐突にそんなことを言わられたから瞬間的に血の気が引いて、身体の芯から冷えていく。それほど汗掻きではないのだが、ずっと動き回っていたし、何より雛倉の安否が心配だったという緊張もあって普段よりも発汗していたらしい。

 そんな状態で彼女と密着しているのは非常に気まずくて、羞恥心で頭の中が真っ白になってきた。


「別に気にならないわ。私も汗掻いてるし」

「雛倉はいい匂いしてるから大丈夫」

「下ろして。今すぐに」

「今のってセクハラ?」

「知らないけど。滅茶苦茶気持ち悪かった」

「・・・もう二度と言わないようにしよ」


 褒め方って難しい。しかし、人生の早い段階で知れたのはでかい。この知識が俺の将来を守ってくれる。

 そんな馬鹿みたいなことを考えながら彼女の言葉を待ったが、機嫌を損ねてしまったためか雛倉はそれ以上のことは何も言わなかった。


「雛倉さん?」

「なによ」

「なんかあった?」

「ないわ」

「ならいいかぁ」

「・・・うん」

 

 返事は端的だけど、不思議と空気は暖かくて、彼女の穏やかな息遣いが鮮明に頭の中で響いた。


 林間学校は明日も続く。

 明日こそは彼女に楽しい思い出を。

 俺では叶えられなかった王子との進展を。 


 あの満点の星空に向けて、そう願った。

 



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