第6話 06

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 飯盒炊爨という言葉は普通の生活ではあまり聞き慣れないものだ。言葉だけではさっぱり意味が分からないし、そもそも読めなかったのでスマホで調べてみたら飯盒とは蓋のついた容器。炊爨は米を炊くことの意味だと知ることができた。


 飯盒はかつてキャンプ道具として好まれていたらしいが、レトルト食品やフリーズドライ食品の発展に合わせて使われることが少なくなってきているようだ。

 それでもこういった林間学校では定番行事となっており、協調性を養うために行われている。


 今回は五人一組の班を作り、飯盒を用いてご飯を炊く係。火を起こすための薪割りをする係。カレーを作る係に別れて作業を開始だ。

 俺はカレーを作る係に任命されたので飯盒炊爨場に用意されていた簡易机を使って野菜の皮を剥き始めていた。雛倉の対面で。


「あんたのおかげで仲直りはできたんだけど、それ以上特に変化がないのよね」

「そうかぁ。雛倉も大変なんだなぁ」


 彼女は手慣れた様子で人参を転がしながら、ピーラーで皮を剥いている。喋りながらでも全く危なげがないのは普段から料理をしている証だろう。


 先程、雛倉の話を聞くとは言ったもののあの後すぐにお互い試合に参加しなくてはならなくなり、タイミングを逃してしまった。 

 口先だけになったことを後悔していたら、偶然にもカレー作りの机の振り分けが同じだったのだ。


 因みにドッジボール大会の結果は王子の活躍により一組が優勝。特に優勝賞品等がある訳ではなかったので恙無く閉会したが、彼の活躍に一部の女生徒は黄色い歓声をあげていた。それだけでも充分なご褒美だ。


 そんな王子と雛倉は同じ班にらしいのだが、この場に彼の姿はない。王子どころか他の班員も見当たらなかった。まぁ、それは俺の班も同様なんだけど。


「なんで俺らしかいないんだよ。他の奴らは?」


 飯盒炊爨の目的は先程も述べたように協調性を養うこと。役割分担をして、各自が責任を持って作業をすることが大切なのだ。


 俺の班のもぶとくろこには料理ができないらしいので力仕事である薪割りを任せた。それはいい。


 残り二人の女子の内、一人はカレー作り担当だった筈なのだが、この場に姿はない。開始と同時に俺に任せると言い捨ててもう一人の女子と飯盒炊爨の方にきゃっきゃっ談笑しながら消えていった。

 責任感のせの字もない。


「こっちもいつの間にか奈々恵がいないのよね。まぁ、何処にいるのかは大体予想がつくけど」


 渋い表情を見せる雛倉。その予想は俺にも出来た。

 恐らく王子の所に行っているのだ。

 神田奈々恵かんだななえも雛倉と同じように王子へ好意を抱いている。神田はそれを前面に押し出して積極的にアプローチするタイプなのでこの林間学校でも王子にくっつき虫しているのだろう。


 王子を振り向かせようと熱心に行動するのは美しいことかもしれないが仕事を放り出すのは頂けない。

 パートナーの雛倉に迷惑をかけているだから。


 ただ、彼女達のバチバチした関係に踏み込んでいく勇気はこれっぽっちもないので、神田本人に注意することは自重する。代わりに雛倉を讃えることにした。


「偉いな」

「は? いきなりなによ?」

「雛倉も王子のとこ行きたいのかなって」

「別に・・・。あの子はいつもそうだもの。もう慣れたわ」

 

 達観したような、或いは憧憬を抱くような幾つかの感情が織り混ざった表情で彼女は呟く。そこに俺の立ち入れない二人の関係性が垣間見えた。


 友達で好敵手。


 その複雑な関係を分かり易い一言では言い表せそうにない。


「それにあの子は包丁も持ったことなさそうだもの。私は料理するの嫌いじゃないし」

「手際の良過ぎだもんな。普段から料理してるの?」

「まぁね」

「えらぁい!」


 手を叩いて大袈裟に彼女を称賛すると煩わしそうに目を細めて睨まれる。


「五月蝿いわね・・・。別に大した事じゃないから」

「その奥ゆかしい心持ちもブラボー!」

「ほんとにうざい。大きな声出さないで。周りから変な目で見られるでしょ」

「頑張ってる雛倉をちゃんと褒めてあげたかったんだけど下手くそだったよな。ごめん・・・」

「・・・別に怒ってはないけど」

「おお、それじゃ、俺の気持ちは伝わってたのか」

「だからって真に受けた訳でもないから」

「え。もしかして俺って信用されてない?」


 なんだかんだ相談を聞くのは二回目になるのにまるで信頼が得られていない。俺と彼女の心の距離はまだまだ遠いみたいだ。


「口ばっかり動かしてないで手を動かした方がいいんじゃないの。時間に間に合わなくなるわよ」

「はーい」


 ごもっともな指摘に追及したい気持ちは抑えてカレー作りに専念する。もう少しでもぶ達が薪を持ってくる頃合いだと思うので、それまでに下拵えは終わらせておかなければ俺が怒られてしまう。

 

 皮剥きは終わったから人参とじゃがいもは乱切り、玉葱はくし形切りに切っていく。玉葱を切っていると香味成分に目と鼻が強烈に刺激されて涙が出てくる。


「うぅ・・・」


 強烈な刺激に思わず後退りし、涙を拭って顔を上げたら雛倉に手元を見られていることに気がついた。


「な、なに?」

「あんたって料理できるんだ。ちょっと意外かも」

「一応ね。家の手伝いさせられてるからカレーぐらいなら作れるかな」

「あんたも偉いじゃない」

「俺は親に強制されてやってるだけだからなぁ。カメラとか諸々親任せってのもあって家事の手伝いしてないと取り上げられるんだよ」


 勿論、感謝はしているのだが手放しで俺を遊ばせてくれる程優しい両親ではないのだ。


「なるほどね・・・。バイトとかはしなかったんだ」

「うん。成績が悪くなりそうだからって止められた」


 親からも信用されていなくて泣いた。しかし、バイトが許されていたら間違いなく勉強を疎かにしていたので両親の裁量は正しかったと言える。


「勉強は好きじゃないけど、お陰様でそこそこの成績保ててるから結果的には俺に得の多い条件だったのかもしれないな」 

「大切に思われてるのよ」

「そう、だな。雛倉の家もそう?」

「私の親はちょっと、あれかも」

「え。話なら聞く。本当に」


 濁された言葉によくない心配事が浮かんで噛み付くように身を乗り出したが、それは杞憂だったらしい。


「そ、そうじゃなくて。大事にされ過ぎてる。かも」


 照れ笑いみたくはにかんだ彼女を見て、ほっと胸を撫で下ろす。そんな俺に雛倉は苦笑していた。


「そっか。それならよかった」

「心配しすぎ。ほら、また手が止まってる」

「今のは緊急事態だと思ったから仕方ない」

「はぁ、仕方ないわね。私も手伝ってあげるからさっさと終わらせなさい」


 そう言って隣に並んでくる彼女。

 遅れている俺の作業を手伝ってくれるらしい。


「まじめにやるか」

「最初からそうしなさい」

「ははは。ありがとう」

「気にしなくていいわ」


 何でもなさそうに言って退ける彼女の気遣いに感謝して真面目に作業を進めていく。

 黙々と豚肉を切り分けていたら、雛倉の手が俺の目の前に滑り込んできた。


「ほら。上手いでしょ」

「ん?」


 指先で摘まれているのはハート型に切られた人参。

 型抜きなどは使っていない筈なのに綺麗な丸みがあって可愛らしく仕上がっている。


「それ入れたら俺が勘違いされちゃわない?」

「あっ。確かにね。・・・ふふっ」


 同じ班の女子に俺が好意を抱いていると誤解されかねない。それは非常に遠慮したい話だ。


「ふふっ・・・。ふふっ・・・」


 雛倉はと言うと何がそんなにツボに入ったのか彼女にしては珍しく堪えきれないといった様子で口元を隠してクスクスと笑っている。


「笑いすぎじゃない・・・?」

「ごめんごめん。ほら、私の班のと交換してあげる」

「え。いや、俺が食べるから入れといて。何としてでも俺の器に盛るわ。雛倉のハートは俺が食べる」

「・・・なんだか急に嫌になってきたんだけど。割っておこうかしら」


 はて。何故だろう。

 さっぱり見当もつかない。


「王子の分のハートもちゃんと作った?」

「別に浩二のだけじゃないわ。沢山作ってあるもの」

「恥ずかしがってるなぁ」

「・・・うるさい」

「そんなんじゃあの鈍感王子には伝わらないぞ? 進展ないって言ってるけど、それは雛倉にも原因があるんじゃないか?」

「急に説教してこないでよ・・・」

「ははは。ごめんごめん」

 

 うんざりした様子で顔を背ける雛倉。

 彼女自身にも自覚はあって、俺の小言は耳の痛い話だろう。だけど、責めるつもりなんて毛頭ない。

 二人の距離を確実に近づける妙案を伝えたいだけなのだ。


「雛倉は王子と今日の夜にある肝試しに参加しよう」

「それは嫌」

「え」

 

 自信満々に告げたらやけにはっきりと否定された。

 出鼻を挫かれてしまったけれど距離を縮める事にこれ程適したイベントもないので、雛倉には是非とも参加してもらいたい。しかし、彼女は参加が強制ではないからと渋っている。


 因みに幽霊が怖いのかと質問してみたら「は? 別に? 怖くないけど」と普段の五倍怖い顔で凄まれたのでぷるぷる震えながら謝罪しておいた。

 

 いつもの様子と違ったように感じたが、俺の気のせいだよな?




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