第5話 05
第二章 林間学校編
05
六月某日。少しずつ汗ばむ季節になってきたこの時期は蒸された空気に身体がまだ順応できていないため特有の倦怠感があって体が重い。梅雨入りしていることもあって天気の移り変わりも激しく出先で雨に降られることも多い。それで気が滅入ることもあるけれどこの時期を越えれば本格的に夏が始まる。
活力の漲る夏は暑さに参るが、嫌いじゃない。
人も動物も非常に活動的で見ていて力を貰える。
この夏に全てを賭ける学生も沢山いる筈だ。
甲子園や夏の大会。部活に懸命に取り組んでいた上級生にとっては最後の晴れ舞台。
嬉しくて泣き、悔しくて泣く。
みっともないと自分を卑下することもあるかもしれないがそれは大切な宝物になる筈だ。
七月の後半には夏休みが始まる。
仲間を集って海や山、夏祭りに赴いて友情を育んだり、秘めた恋慕を告白したりするのだろう。そのドラマの一幕が垣間見える瞬間が好きだから。
やはり、夏は嫌いじゃない。
まぁ、まだ少し気の早い話だ。
今が辛すぎて先々のことを考えてしまっていた。
現実逃避はよろしくない。
車酔いで気持ち悪くなっているこの現状に向き合い解決策を考えなければ。
「うぅ・・・」
俺は今、学校行事のため観光バスに乗っているのだが三半規管が弱すぎて車酔いを起こしていた。既に三時間以上バスに揺られ相当グロッキーになっている。
酔い止めを忘れてしまったことが運の尽きだった。
「大丈夫か?」
「・・・どうにかな」
隣からもぶの声が聞こえてくるけれど、かれこれ二時間以上彼の顔を見た記憶がない。症状が緩和されることを期待して寝ようとしても、車酔いによる不快感と周囲の喧騒が邪魔をして苦しみからの脱出は叶わなかった。
「死ぬなちょい。もう着いたみたいだから」
「その言葉を待ってたぞ・・・」
待ちに待った瞬間とはこういう時のことを言うのだろう。最後まで戦い抜いた自分を褒めてあげたい。
順番にバスを降りて行き駐車場のアスファルトを何度か踏みしめて浮遊感を取り除く。深呼吸したら新鮮な空気が肺を満たしてくれた。
「空気が美味い」
長い長い移動時間を経て到着したのは山間部に建てられた合宿所。見渡す限り自然に囲まれてたその場所で一泊二日の林間学校を行うことになっている。
林間学校とは野外活動や集団訓練などを通して体力や健康の促進をはかると共にグループ行動における協調性や責任感を磨くための教育行事の一つ。らしい。
今回の林間学校でも飯盒炊飯やオリエンテーリングなどの行事が予定されていて事前に班決めも行われている。俺はもぶくろこと同じ班なので気が楽だ。
駐車場から長い階段を上がり拓けた場所に出ると旅館のような建物が見えてきた。木造造りのレトロな外装は来る者を優しく出迎えてくれていて、じんわりとした暖かさがある。
一先ず入り口の大広間に集められた俺達は合宿所での諸注意や今日の日程について学年主任から話を聞き、一度荷物を各々割り当てられた宿泊室に移動させることになった。次に集合するのは本館から程近い体育館になっているので、制服から体操着に着替えを済ませた後に足を運ぶ。
今回、俺達がお世話になる東雲林間学園は広大な敷地を有しており、二百五十人が寝泊まりできる宿泊施設を中央に配置にし、それを取り囲むようにして体育館、運動場、キャンプ場、飯盒炊爨場等が構えられている。
とにかく見渡す限りの自然に囲まれていて山登りだけでなく、ハイキングやボートといった楽しみ方もできるようだ。特にハイキングコースから見える眺めがとても良いらしいのだが、生憎と今回の行事には組み込まれていなかった。
これから体育館に集まって行われる最初のイベントはクラス対抗のドッジボールだ。高校生にもなってドッジボールかと思われるかもしれないが、俺も全く同じことを思っている。
バスの長距離移動で中弛みしている生徒も多いだろし、軽い運動で目を覚まさせるというのはいい考えなのかもしれない。
ドッジボールの後は飯盒炊爨が待っているので、腹を空かせるにも都合がいい。
体育館に集合して、点呼を取るとすぐに試合が始まった。体育館はバスケットコート二面分の広さがあって片面では一組対二組。もう片面では三組対四組の試合が行われる。
ルールは基本的なドッジボールに則っていて外野の復活はなし、パスはなし。相手の内野を全員外野送りにすれば勝ちとなるが、今回は特別ルールとして王様ルールというものが適用されている。
王様ルールとはチームに一人だけ王様を選出し、内野の数に関係なく王様にボールを当てられたら勝利という一発逆転が可能になっているルールだ。
一クラスの人数は四十人と多いので半分に分けて一チームとし、先に二本先取したクラスの勝利となる。
俺は二組なので北側のコートで一組との試合が始まる訳だが、俺はニチーム目に選ばれているので一試合目には参加しない。その代わりにポケットの中からネームホルダーを取り出して首にかけた。
ネームホルダーと言っても俺の本名が書かれている訳ではなく、書かれているのは撮影中の三文字だ。
デジカメも取り出して、準備は万端。
試合の邪魔にならないように移動しながら、カメラを構えて写真を撮っていく。俺のこの行動に対して教師も生徒も咎めてくることはない。寧ろ、試合中でもピースを向けてきて撮ってくれと言わんばかりだ。
学校行事の際に度々こうして撮影をしているので、彼らもこの光景には慣れているのだろう。勿論、俺が勝手に始めた訳ではなく、過去の写真部から連綿と続いてる伝統だ。写真部が撮影した写真の一部が卒業アルバムに掲載されることになっている。
試合の様子や声援を飛ばす姿にカメラを向けてしばらく撮影していると教師の一人から声をかけられた。
「ちょい君。写真部としてのお仕事だとは分かっているけど程々にね。私も撮影を任されているから。君は行事に専念してくれていいんだよ」
「あ、はい。お気遣いありがとうございます」
俺は学生の一人なので撮影ばかりをさせていられないのだろう。
「もう少し撮ってから、戻ります」
それでも俺は撮影を続ける。決して、運動音痴でドッジボールをするのが嫌だからではない。写真部としての矜持があるからだ。写真部という立場を利己的に利用している訳ではないことをここに明言しておく。
全然後ろめたくないので口笛だって吹ける。そのまま散歩をするみたいな軽快さでその場を離れると、
「あ」
「ん?」
正面から聞き覚えのある声が聞こえてきて、カメラから顔を上げるとベンチでやる気なさそうに座っている金髪の少女と目が合った。
「久しぶり」
「・・・お久しぶりです」
同級生なのでここにいるのは当然なのだが、話しかけられるとは思っていなかったから反応が遅れる。
「なんで敬語なのよ」
「いやいや、どんな風に話してたか忘れちゃってさ」
「普通にため口だったでしょ。それに忘れたって昔の話みたいに」
「確か一年も前の話だったよな」
「馬鹿言わないの。一ヶ月しか経ってないわよ」
「そっすよね・・・」
冗談を真顔の正論で正されてつい謝りそうになってしまった。でも、俺の体感ではそれぐらいの時間が経過しているのだ。一ヶ月前に彼女へ想いを告げて、王子の誕生日プレゼント選びに同伴したあの日から。
その後、一ヶ月以上雛倉と話す機会は訪れず、あれは夢だったのではないかと思い始めていた。
「どうしたの?」
「いや、何でもない。ごめん。邪魔して」
「別にいいわよ。ドッジボールなんかやりたくないもの」
「え。まさか、運動音痴?」
「・・・別に?」
素知らぬ顔でそっぽを向いた雛倉の口が尖る。
その内口笛でも吹きそうな雰囲気だ。
「めっちゃ運動できそうな顔してるのに」
「人を見かけで判断しないの」
「ごめんなさい・・・」
一年の時クラスが同じでも体育の授業は男女別々で行われていた為彼女が運動音痴だとは知らなかった。
完璧な偏見で運動できそうな印象を持っていたので意外だ。しかし、よくよく思い出してみると彼女は体育祭の時に活躍していたような記憶がある。
「体育祭の徒競走で一位取ってなかった?」
「短距離走はね。走るだけだからいいのよ。持久走は体力がないから無理」
「そこは俺と真逆なのか」
俺はどちらかと言うと持久走の方が得意だ。
基本的にスポーツはしないけれど、休日に徒歩や自転車で写真の題材を探して動き回っているので知らない間に体力がついたらしい。
「そこはってことはあんたも同類?」
「特に球技は絶望的なんだよなぁ。写真撮ったりしてるから動体視力は鍛えられてる筈なんだけど」
「そんな効果あるの?」
「人の表情とか一瞬で変わっちゃうから」
「なるほど・・・。あんたって実は凄い奴なのね」
素直に関心されたらどう反応していいのか分からない。俺にとってはただの慣れで自慢できることだとは思わないから余計に気恥ずかしい。
「そのカメラって今撮った写真も見られるの?」
「うん。見られるよ」
「見てもいい?」
「はい。どうぞ」
見られて困る物は入っていないのでカメラを渡す。自由に見てもらってよかったのだが、彼女は表情を顰めて若干不安そうな面持ちで俺の顔を見上げてきた。
「あぁ。機械音痴の雛倉さんだったか」
「今馬鹿にした?」
「まさかまさか」
怒られる前にカメラを回収。背面のボタンを操作して撮影した画像を液晶モニターに表示した。あとはモニター部分を左右にフリックすれば前後の写真に行き来できる。それを彼女の前で実演して見せて再びカメラを手渡すと、今度はきちんと操作して写真を切り替えをしている。
「・・・」
「ちゃんと撮れてる?」
「・・・」
「・・・すぅー」
黙々と見られていると少し気不味かったので横から声をかけたら普通に無視され、更に居た堪れない。
「あの、なんか言って欲しいかなって」
「人の、アップになってる写真が多い」
俺が人知れず傷ついているとようやく雛倉から感想を聞けた。彼女の言う通り、俺は一人に焦点を当てて撮影することが殆どだ。
「そういう撮り方が好きなんだ」
「皆笑顔で楽しそう。自分じゃあんまり撮らないから分からないけど、いい写真だと思う」
「ありがとう。そう言って貰えるのは素直に嬉しい」
「人を撮るのが好きなの?」
「ああ。写真は誰でも主人公にしてくれるからな」
「ふーん。じゃ、あんたは?」
「え?」
「あんたは誰が主人公にしてくれるの?」
「俺は脇役でいいよ。あ・・・」
反射的にそう答えたら雛倉から訝しむような視線を向けられてしまう。彼女はそういう考えが好きではないからちょいとは呼んでくれなくなったのだ。
「へへ」
「へらへらしないの」
「はい・・・」
誤魔化し笑いで切り抜けようとしたら怒られてしまったので、逃げるようにコートの方へと視線を向けたら、そこには『王様』がいた。
天津寺浩二。この場に於ける主人公の彼が一組を勝利に導くために奮闘している。俺の視線に雛倉も気付いて俺達はしばしドッジボールの戦況を追う。
現在、内野の人数は二組が優勢に立っている。天津寺を守る盾役はほとんどおらず、集中して狙われ続ける状況で彼は楽しそうに笑っている。迫りくるボールを受け止めてカウンターで敵を減らしていく。徐々に人数差は縮まって、王子による逆転劇が始まった。
「相変わらずかっこいいな」
嫌味でも僻みでもなくそう思える。
カメラを構えて、ピントを合わせた。
「あんたもあいつのこと好きなの?」
シャッターを切ろうとして、雛倉の口から出た発言に思わず手を止めてしまう。意味深な意味合いとも取れかねない言葉に目を瞬かせた。
「へ? なんで?」
「なんとなく。そんな顔してた」
それは一体どんな表情だったのか。俺は至って普通の嗜好しか持ち合わせてはいないのだが。ただ、人としてという前置きがあるならば頷けないことはない。
「でも、そうかもしれないな。俺は漫画も映画も主人公から好きになるタイプだから」
「それは同じ土俵で語るものなの?」
「俺にとってはね」
リアルでもフィクションでも自分にない物を持っている人に憧れるものだ。
甘いマスクも。優れた身体能力も。
人を魅了する性質も。
それらを全部持っていたら、きっと。
いや、止めよう。
邪念を振り払って王子の活躍を一枚写真に収める。
「最近は王子と喧嘩してない?」
「喧嘩は、してない。たぶん」
「・・・してるなこれ」
「前よりはしてない!」
とんでもなく目が泳いでいたが指摘すると正直な言葉が返ってきた。二人のことは喧嘩ップルだと思っているので喧嘩が少なくなったのは少し残念だが、世間一般的に見れば良いことなのかもしれない。
「上手くやってるんだな」
そう思って声をかけると雛倉は何とも言えない複雑な表情で顔を伏せる。
「・・・」
「あ、あれ?」
「・・・ないの」
「うん?」
「進展ないの。あれから。何も」
「えぇ・・・」
重苦しい声音に何と声をかけたらいいのか分からない。あれからというのは恐らく王子の誕生日付近のことだろう。月日で言えば一ヶ月以上が経過している。
「話聞こうか・・・?」
余計なお節介と分かっていても彼女の困り顔にはめっぽう弱い。必要なければ断ってもらえばいいのだから言うだけ得だ。
「二回目になるじゃない」
「回数制限した覚えはないなぁ」
「・・・そっか」
「そうだ」
俺が力強く頷く。それだけでは申し訳なさそうな表情を消し去ることはできなかったけど、納得させることはできたのか雛倉が口をもごもごと動かせている。
「ありがとう」
「構わん構わん」
「何その喋り方?」
彼女のための行動は惜しまない。
クスリと笑う横顔に俺はまだ見惚れてしまうから。
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