第49話
物陰から凛花の面会風景を覗いていた生徒たちが、好奇心に駆られて姿を現した。彼らは全てを見て、全部を聞き取ろうと、花梨と綾小路に近づいた。森村や佐藤、町田、モエもその中にいた。
教頭や友永まで、本来なら生徒を部屋に返さなければならないのに、そんなことを忘れて綾小路の告白に囚われていた。
「オッチャンが、今日が特別の日だと言ったのは、そういうことだったのか」
森村がつぶやくと「何のことだ?」と佐藤が訊いた。
「昨日の食事のときだよ」
「ああ。オッチャンが昼食を奢ってくれたんだ。いろいろと親切だったのは、花梨がいたからか」
「そうだよ。間違いない」
モエの隣に彼女の同じ班の生徒が集まった。
「まさか、花梨がいじめられていたなんてねぇ……」
「鉄棒って……、友達に吊るされたのか?」
「そんなの友達じゃないわよ」
「
「自殺だろう?」
生徒の中にヒソヒソと声が広がった。そんなことに関係なく、綾小路の告白は続いていた。
「……秦野さんの姿を用具室で見つけた時、最初は同級生に殺されたのではないか、と疑った。だけどすぐに、遺書に気付いて私はほっとした。……ほっとしてしまったんです」
綾小路の頭がガツンと床を打った。
「……秦野さんの気持ちを思いやったら、とても目の前にいて良い私ではない」
声が震えていた。水滴が床を濡らした。
「私は教師失格だ。いや、人間としてダメなのです。たった10歳の小学生を守れず、息子にまで罪を犯させた」
当事者たちの苦悩も、修学旅行の高校生には他人事だ。
「自殺って、よっぽどのことだよな」
「それでやらせてくれるのか」
「バカ」
森村の拳が佐藤の腹を打った。
目を赤くした町田が、その場を離れた。
「……昨年末、息子が刺されたと知り、東京から奈良に引っ越してタクシー会社に勤めました。藍森高校の生徒の世話をすると会社で聞いた時、因縁を感じました。秦野さんが藍森町に転校したのは知っていましたから。……東京を離れ、秦野さんとは遠くなったはずなのに、あの子の方から奈良にやってくる。昨日、担当する生徒の名簿に秦野さんの名を見た時には驚きました。いや、そんなものじゃない。心臓が止まるかと……。別の運転手に代わってもらおうとも思った。でもできなかった。神仏に与えられた罰だと思いましたから。それに、……秦野さんが、どんな高校生に育ったのか、とても気になりました。……会いたいと思いました」
そこで綾小路は、ゼエゼエと息を吸った。
「……素直な明るい女の子に育っていて、どれだけ安心させられたか……。その姿を見せるために、神仏は秦野さんを私の担当にしたのだと思い、昨日は心底感謝したものです。それに比べたら……」
綾小路は真っ赤に泣きはらした眼で瀬田を見上げてから、その顔に失望を浮かべて視線を落とした。
「父さん……。僕は、……知らなかった。父さんにそんなことがあったなんて。そんなに苦しんでいたなんて。……間違っていた。自分のことばかり考えて、被害者面していた」
瀬田が父親の前に膝をついた。すると、綾小路が目を怒らせた。
「お前が膝を折るのは、私の前ではないはずだ!」
「ウッ、……そうだ、その通りだ……」
彼は這うようにして、凛花と両親の前に膝をついた。
「申し訳ありません。僕が凛花さんや彩花さん、いえ、美川さん一家にとんでもないことをしてしまいました。刺されるだけの当然なことをしたんです」
ざわざわと生徒たちの声がロビーに広がった。その時には、野次馬のように生徒が増えていた。
「父さんも悪かった。全てを凛花に背負わせてしまった」
美川が震える凛花の肩を抱き寄せた。
凛花は父親の手を払いのけ、花梨のもとに走った。そして抱きしめた。彼女の美しい顔は、感情の歪みが深く刻まれて、その美しさを失っていた。
花梨はあまりにも情報が多すぎて意識を失いそうだった。あの頃の絶望は過ぎ去った記憶でしかなかった。死んでしまいたいと思っていたのは間違いない。しかし、そうしたことはなかった。あの頃は、誰に救われたのか分からなかった。今、綾小路の告白でそれがわかった。オッチャンは命の恩人だ。
土下座する綾小路親子と泣きぬれて抱き合う2人の少女。日本旅館のロビーは異様な空気に包まれていた。やってきた従業員は状況がのみ込めず、ただ茫然と様子を見守るばかり……。
「花梨……」
ようやく凛花が声にすると、蒼白な花梨の瞳が動いた。
隣に友達がいる。小学校のころとは違う……。それは理屈ではなく実感だった。
「うん」
花梨は小さくうなずいた。そして今は、美川夫婦に向いていた綾小路の手に、自分の手を重ねた。
「綾小路先生。……先生の名前を忘れていてすみません」
精一杯の力を振り絞ったが、声はざわつく空気にのまれて消えた。
「いや、……ごめんなぁ……」
彼は再び頭を床にこすりつけた。
花梨は膝立ちになると背筋を伸ばし、手の甲で涙をぬぐった。とてもぬぐい切れない量だ。
目の前にハンカチが差し出される。森村だった。それで涙をぬぐう。
「そんな姿は、オッチャンらしくないです。昨日みたいに笑って、私に色々なことを教えてください」
腹の底に力を入れ、言いながら綾小路の肩を抱き起した。
「綾小路さん、花梨なら大丈夫よ……」凛花が彼の背中に手を添えた。「……花梨は強い女の子だもの。そして、誰より優しい子なのよ」
「そうだなぁ……」涙にぬれた顔を上下させる。「……秦野さんは大人になった。変わらないのは、……私はだめだ」今度は首を左右に振った。
「そんなことないです。私のために、十分苦しんでくれました……」
再び涙がぽろぽろこぼれだした。
「いいや。私の苦悩など、小学5年生の絶望に比べたら、髪の毛1本程度の価値もないんだよ」
「あのう……」その時、話の輪に入って来たのは従業員だった。「……他のお客様のご迷惑になりますので……」
教頭が我に返り、責務に従う。
「面会時間は終わりだ。みんな部屋に戻れ」
拳を振り回して生徒たちを追い払った。
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