第43話

 清水の舞台の上、がけに背を向けた荒神が「俺を撮れよ」と友達に命じてポーズを取る。


「イェイ!」


 グリコの看板のように両手を挙げた。その腕が隣にいた町田の背中に当たった。


 崖の底を見おろしていた町田がバランスを崩す。上半身が手すりの向こう側に傾き、足が床から浮いた。


 落ちる!……蒼ざめたのは荒神にレンズを向けた生徒と町田だけだった。他の誰も、その危機的状況に気づかない。


 町田の身体は完全に地面に平行になり、手摺についた腕だけで身体を支えていた。


 花梨には、彼が吊り輪で演じる体操選手のように見えた。ちなみにその姿勢は〝水平支持〟というC難度の技だ。身体がピンと伸びて、まるでカタパルトから未来に向かって飛び出す間際の飛行機のように見えた。


 美しい! 運動神経の良い彼だからできることだ。……花梨はそう思った。が、崖下をまともに見下ろすことになった町田の顔はひきつっていた。背の低い花梨だから見えたのか、いや、彼との関係を案じていたからそう感じただけなのかもしれない。


 死んじゃう!……花梨の中で凛花の声がする。途端、足が動いた。




 宙に浮き、死に直面した町田の足にぶら下がるおもりがあった。突然、重力の向きが変わり、彼は現世に引き戻された。


「花梨!」


 声を上げたのは荒神だった。


 花梨は町田の足首につかまり空を仰ぐようにしてこけていた。スカートはすっかりまくれ上がり、白い太腿があらわになっていたが、全然気づかない。


「危なかったわ」


 花梨は尻餅をついた状態で町田を見上げていた。勢い余って床にぶつけた尻がジンジン痛んだ。


「何してるんだ? パンツが丸見えだぞ」


 荒神がへらへら笑った。


 カッと頭に血が上った。スカートを直すより早く声を上げた。


「こら、荒神! 周りに気をつけないとダメじゃないの。あんたがぶつかったから、町田君、落ちるところだったのよ」


 自分を見下ろして笑う荒神に嚙みついた。


「そうなのか?」


 荒神が町田に訊いた。


 蒼い顔をした町田が「あ、あぁ」と声を震わせた。


「悪かったな」


「いや。僕も下を覗き込んで、周囲に注意しなかったからいけなかった」


 町田は荒神に遠慮しているようだった。


「いつまで町田の足にしがみついているんだ? コアラの人形かよ」


 荒神の声に周囲で笑いが起きた。皆、他校の生徒だ。蒼かった町田の顔が赤くなった。


「も、もう、……いいじゃない。気持ちいいんだから」


 花梨は慌てて立ち上がった。周囲の笑い声に身が縮む思いだ。そうでなくても背が低いのに……。


「早く本堂に入れ。みんな待っているぞ」


 本堂の庇の下から、何も知らない友永の声が飛んだ。


 花梨は、スカートのほこりを払いながら、逃げるように遠ざかる町田の背中を見ていた。


「花梨、町田は諦めろ」


 荒神が言った。


「どういうこと?」


 彼は、花梨の恋心を知らないはずだった。


「俺の方がいい男だ」


「理由になってない」


「ちょっとばかり頭がいいからって、幸せにしてくれるとは限らないぞ」


「私は、幸せにしてほしいなんて思ってないわよ」


 本堂内に向かうと荒神がついてくる。


「なら、町田を幸せにしようとでもいうのか?」


「それも違うな。私は、私を幸せにするの」


「どうやって?」


 彼は大きな手のひらで花梨の頭をバスケットボールをつかむように握った。


「こうやって幸せがつかめると思うか?」


 彼の笑みが、頭を固定された花梨には見えない。


「ウザイ、そんなことをして女の子が喜ぶと思っているの!」


 抗議すると、彼は力を緩めた。

 

「荒神、秦野。さっさと来ないか!」


 友永の声は苛立っていた。


 花梨は小走りで彼の所に向かった。




 修学旅行の一行は、本堂の後、釈迦堂、阿弥陀堂と廻り、奥の院に出る。


「清水寺らしい景色は、ここから見るのが一番ですよ」


 バスガイドが言うとおり、そこにも舞台があって本堂の美しい檜皮葺ひわだぶきの屋根や京都の街並みを同時に見ることができた。


「こんな所に住めたらいいわね」


 花梨が景色を楽しみながら言うと、「山の上じゃ、買い物が大変よ」とモエが言う。


「藍森町よりマシよ」


 すかさず反論した。


「それもそうか……。花梨、写真、撮るわよ。紙おむつなら?」


「ムゥニー」


 花梨はVサインを作る。


 京都の街並みを背景に、2人は写真を撮りあった。


「行こう」


 花梨はモエに手を取られながら、凛花と町田を目で探していた。

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