第41話

 花梨と凛花が講堂に戻った時、そこに藍森高校の生徒は誰もいなかった。


「花梨、評判がいいのか悪いのか分からないけど。町田にばれてるなんて、何人とやったの?」


「うーん」


 花梨は頭の中で経験した順に名前を呼びながら指を折った。その指先に凛花の目線が注がれている。


「6人……」


「藍森高校男子の1割くらいね。それじゃ、みんながヤリマンだって思っても仕方がないかもね。男なんて、誰と、誰とやったなんて、友達に自慢するような生き物なんだから。噂が広まり出したら、あっという間よ」


「1割かぁ、消費税みたいだね。おかしい」


 胸の中に渦巻くものを、うふふ、と笑って誤魔化す。


「笑い事じゃないわ。結婚できなくなるわよ」


 結婚なんて先のこと。ピンとこない。


「でも……」ママは結婚なんて関係なく立派にやっている。……自信を持って言おうとしたが、凛花の勢いが勝っていた。


「東京や大阪ならともかく、藍森町は小さな町なんだから。でも良かったわ。相手が覚えられる範囲内で」


 彼女がフッと、シニカルな表情をつくった。


「その時は結婚なんてしないで、お母さんの店を継ぐわ」


 結婚は生き方のひとつでしかない。賢い凛花がそれを知らないはずがないのに。……半分やけくそで応じた。


「まぁ、それも悪くはないわね」


「あぁ、ふられたのはショックだなぁ」


 昨日まで、町田を愛しているとさえ思ってもみなかったのに、今はその感情から逃げられない。泣きそうになるのを、必至でこらえた。


 2人が話しながら見学ルートに戻ると境内の出口近くに藍森高校の一団が見えた。


「うわ、ずいぶん離れちゃったね」


「急ごう」


 ほんの少し走ったところで、花梨は足を止めた。藍森高校の一団の少し後ろをついて歩くサングラス姿の若者を見つけたのだ。


「あれ。凛花さんのことを聞き歩いている男じゃない。ここまで尾行してきたんだ」


「やだ……」


 花梨が痛みを感じるほど、手を握る凛花の指に力がこもっていた。


「安心して。名案がある」


 花梨は思いついた作戦を凛花に耳打ちすると、1人でその若者に近づいた。彼は前を行く団体に目をむけていて、花梨に気づいていない。


「あのう……」


 背後から声をかけると、彼は驚いて一歩後退した。


「……私たちの後をつけているようですが、どちら様ですか?」


 男性を見上げる。サングラスで半分隠された顔は、遠目で見るより端正で、知的だった。


 ところが頭に血が上ったのか、彼は開き直った。


「誰でもいい。ほっとけ」


 その声には記憶があった。だけど、どこかで聞いたのか、誰の声なのか、思い出せない。とはいえ、それに悪い印象はなかった。


「うちの美川さんのことを聞いて回っているじゃないですか! あなたの名前も教えてください」


「他人が口を出すな」


「お兄さんは、他人じゃないのですか?」


 チッ……彼が舌を鳴らした。


 そうして花梨が男性の気を引いている隙に、凛花は彼の後ろを大きく迂回して藍森高校の集団の中に紛れ込んだ。


 凛花の安全を確保した今、花梨は彼に用はなかった。が、つい訊いた。


「私、どこかであなたと会ったことがあると思うんですけど?」


「田舎の高校生に知り合いはない」


 花梨をうとましそうにし、犬を追い払うように手を振った。


「カリーン!」


 声はモエのものだった。仲間と一緒に手を振っている。それを潮に、花梨は友だちのいる場所へ走った。


 藍森高校の集団に飛び込むと、友人たちの視線が集まる。


「大丈夫?」


 モエが訊いた。


「あぁー、ドキドキした。でも大丈夫よ」


 ニッと笑ってみせる。


 花梨は集団の中ほどにいて息を殺していた。


「ありがとう。迷惑かけたわね」


「あれが研修医? どこかで聞いた声のような気がするけど……」


「花梨が知るはずないわ。私が刺した人だもの。何年も前から大阪にいたのよ」


「えっ!」


 周囲でいくつかの声が上がった。そしてたくさんの顔が不安と恐怖と好奇から凛花を見つめた。


「そういうことです。皆さん、迷惑をかけてすみません」


 凛花が深々と頭を下げると半分の顔は笑った。半分は恐れて距離を広げた。


「何故、どうして?」


 笑った顔は詰め寄ったが、凛花は感情のない仮面のような顏を作り、それ以上話さなかった。


 バスに乗り込むときに花梨は振り返って捜したが、あの男性の姿はなかった。席についてからも大概の同級生は窓の外に彼を捜した。


「いないなぁ」


 あちらこちらで同じ言葉が飛び交った。


「何かあったの?」


 静佳が聞いて来るので、花梨は凛花が刺した相手が付きまとっていると教えた。


「えっ!」


 静佳は驚いたがあわててはいない。それで花梨は、教師たちは凛花が転校してきた理由を知っているのだと思った。当然といえば当然のことだった。


「その人に、何かされたの?」


 静佳が凛花に顔を寄せた。


「いえ、私は会っていませんから。花梨さんが話してくれたのです」


「そう、……花梨さんは大丈夫?」


「怖かったけど、大丈夫です」


 花梨が経過を話すと、静佳は最前列に座っている教頭のもとに向かった。

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