第37話
――トントントン――
花梨と佐藤が半裸の暗闇に、乾いたノックの音が響いた。
「誰だ?」
闇の中、声は森村のものだった。
「無視しよう」
花梨は応じた。自分は半裸だ。おまけに佐藤の手が柔らかな肉をまさぐっている。今から身づくろいをしてドアを開けるくらいなら、居留守を使うべきだと思った。
――トントン、……ドンドンドン――
ノックが激しくなっていく。もはやそれはノックと言えないだろう。
「しつこいな……」
森村がふらりと立った。薄闇の中をドアに向かっていく。彼がドアに達した時だった。声がした。
「開けてよ。いるんでしょ!」
「エスパーかよ」
彼は慌てて一歩後退した。
「佐藤一郎、開けなさいよ! 先生、呼ぶわよ」
花梨は自分の名前が出なかったことにホッとした。とはいえ、騒ぎが続けば先生が来るだろう。放置するわけにはいかないと思った。
「一郎、今日は中止。パンツをはいて」
「えー……」
彼は未練がましく花梨の腰に抱き着いて離れなかった。
「美川さんだ。開けるよ」
森村の押し殺した声がした。
「少し待って……」彼に頼み、佐藤に言う。「……早く服を着て」
こんな格好、見られたくない。……花梨は佐藤と離れようともがいた。ところが彼は手に入れた玩具を手放さない子供のように離れようとしない。
「止めて、見られる」
「隠れよう」
「ダメ、ムリ」
彼は花梨を軽く抱きかかえると、ごろりと転がってベッドとベッドの隙間に落ちた。
「痛い」
「ゴメン……」
ルームライトが点くと、必死の形相の彼の顔があった。意外に可愛らしく見える。
――カチ……、ドアのロックが外される。
ドアが開くと、蒼ざめた顔の凛花がいた。
「花梨さんは?」
「さぁー、一郎とどっかに行った」
森村がとぼけた。
花梨は息を殺し、耳を澄ませていた。佐藤の硬くなったものが下腹部にあたっていて気が散る。
「噓、出して」
「噓なんかつかないよ」
「それじゃ、そこのスカートは何? 森村君のもの?」
彼女は床に落ちていたスカートを指した。
「エッ……」
森村ののどがつまる音が、花梨にまで聞こえた。
しまった。……花梨は自分が絶望的な状況にあるのを理解した。
足音がする。目をギューッと強くつむった。そうすれば誰にも見られないとでもいうように……。
「いた……」
凛花の感情のない声が背中に刺さった。
「テヘへ……」もはや笑うしかなかった。
さすがの佐藤も花梨を抱く手を緩めた。
「テヘへじゃないわよ。なに、その格好」
「まいったなぁー、最悪……」
ベッドの間からはいずりだして、落ちているスカートと下着を拾って素早く身に着けた。
「花梨、どうして、そういうことするかなぁー。私、嫌だわ。そういうの」
凛花の視線が佐藤と森村の間を行き来した。
「仕方がなかったのよ」
花梨は一郎に視線を落とした。彼は下半身裸のまま、ベッドとベッドの間で正座していた。
「花梨。早く戻りましょう。先生から電話が入ったら大変よ」
佐藤の手を引いて来た廊下を、今度は凛花に引かれて戻った。やっぱり好奇心にあふれた同級生たちの目が並んでいた。
「早く、シャワーを使って」
部屋に入り、そう指示する凛花の目に光るものがあった。
「凛花さん、泣いてるの?」
「アホ。私の気持ちも考えて。早く、シャワーして」
「大丈夫よ。する前だったもの」
「アカン! あの一郎にベタベタ触られたんやで」
彼女の顔が真っ赤だった。
結局、凛花の関西弁に押されて、バスルームに入った。熱い湯で身体を洗いながら、私の気持ちも考えろと言った凛花の涙の意味を考えた。答えを得ずに、シャワーを終えた。
「花梨、一郎を好きなの?」
濡れた髪をタオルでごしごし拭きながら部屋に戻ると、凛花に訊かれた。関西弁でないのは落ち着いた印だと思う。同時に、花梨と呼び捨てにされたことに気づいた。それは2人の距離が近づいた印なのだと解釈した。
「どうなの?」
凛花が返事を催促した。
彼女は花梨の気持ちを聞いているのではなかった。佐藤と花梨の両方を責めていた。花梨にも、それぐらいのことはわかった。普段なら、好きだと言っただろう。それが佐藤を守ることになるからだ。
だけど凛花には、嘘をついてはいけない気がした。
「好きじゃない。……けど、嫌いでもないなぁ」
「なら、どうしてしたのよ」
「まだしてなかったわよ」
「もうすぐ、するところだったでしょ?」
「だって、可哀そうになっちゃって。……ほら、道端にふわふわもこもこの子犬がいて、それが哀しそうな眼をしてキャンキャン鳴いていたら抱きしめちゃうでしょ?」
「馬鹿ね。子犬と一郎君じゃ、全然違うじゃない。セックスは好きな人とするものよ。妊娠でもしたらどうするの」
売春をしていた凛花にそんなことを言う資格があるのだろうか。……馬鹿と言われるのは慣れているけれど、反発を覚えた。
「花梨は、町田
「えっ。えー、どういうこと?」
「花梨の態度を見ればわかるわよ」
「私、町田君のことが好きなの?」
「エッ、自分で分からないの?」
彼女が目を丸くした。
「うん……」
正直、よく分からない。……町田厚志、東京都世田谷区出身、転校してきたのは1年前の夏。それまで彼が世話をしていた祖父が亡くなったのをきっかけに、適応障害を
「素直に態度にできるところが花梨の良いところなのよ」
褒められた?……少し驚いた。
「でも、町田君とは本音で話したことがないでしょ?……どちらかといえば、よそよそしい」
「……そうなのかなぁ?」
「もっと自分を大切にしなさいよ」
凛花がギューッと抱きしめてくる。その体重を受け止められず、ベッドに転がった。
そういうことか。……彼女の涙の理由にようやくたどりついた。
――ルルルルル――
サイドテーブルの電話が鳴った。
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