第36話

 部屋に戻ると、ドアを開ける前から言い争う声がした。内容までは聞き取れないが、激しくやりあっているのに違いなかった。


 急いでノブに手を掛けたが、鍵が中から掛けられていて開かない。


「どうしたの、開けて!」


 ドンドンとドアをたたくと、ほどなくパジャマ姿の凛花がドアを開けた。第一ボタンが取れて、彼女の白い肌があらわになっていた。髪は乱れ、目尻には涙が浮いている。


「佐藤君が出て行かないのよ。あなたに会いに来たと言ったのに……」


 半分泣きながら目を怒らせ、彼女のベッドに座り込んでいる男子を指した。


 佐藤の目が血走っていた。頬には引っかき傷を作っている。その様子は普通ではなかった。


「一郎、まさか……」


 花梨はどかどかと佐藤の前まで歩くと腕を取って引いた。


「凛花に乱暴しようとしたんじゃないでしょうね?」


 尋ねたが、答えは要らなかった。確信していた。彼は凛花にと迫ったに違いない。もしかしたら彼女が売春をしていたと聞いて、、と早合点したのだろう。だってバカだから。


 彼は素直にベッドを下りたが、返事はしなかった。むすっと血の滲んだ頬を膨らませている。


「まったく、バカなんだから!」


 ぷりぷり怒りながら自分より30センチ以上も背が高く、体重は倍もありそうな男子の手を引いた。そうして部屋から連れ出した。


 花梨がドアをたたいて騒いだのを聞いたのだろう。いくつものドアが開け放たれ、好奇心にあふれた顔が並んでいた。


「どうしたの?」「何があった?」「どうしたバカコンビ?」「ホテルで騒ぐなよ」


 様々な反応があった。


「何でもないわよ。みんなこそ、静かにしてね」


 花梨はそう制して進んだ。佐藤は口を利かなかった。


 佐藤の部屋をノックすると森村がドアを開け、頬に血を滲ませた佐藤を見て驚いた。


「どうした? 花梨にやられたのか?」


「止めて、私の方が知りたいわよ」


 花梨は佐藤の手を握ったまま彼の前を通り過ぎ、ベッドに座らせた。その時、彼の瞳は普段のそれに戻っていた。


「凛花さんに何をしようとしたのよ」


 詰問すると彼は開き直った。


「あいつ、チンピラの情婦なんだぜ。売春もしていたらしい」


「バカなの?……」ため息がこぼれた。「……誰がそんなことを?」


「みんな知っているぞ。荒神が話してた。街で凛花がいるだろうってチンピラに声をかけられて、どこにいるか教えろ、って金をつかまされたらしい」


「荒神が金をもらって教えたの?」


「荒神は断ったけど、勝俣かつまたが話したらしい。あいつ気が弱いから」


 花梨が森村に目をやると、彼の話は本当だというようにうなずいた。人を刺したということが広まっていないことにはホッとしたが、付き合っていた相手が現れたということは、おまけにそれがチンピラだというのが、事態が悪い方向に向かっているということだ。


「だからって……、凛花さんにそれを言いに行ったの?」


「違うよ」


 彼は視線を落とした。


「なら、何よ?」


 彼は黙った。


「たぶん、だけど……」


 森村が言った。


「うん?」


「教えてもらおうと思ったんだと思う」


「言うなよ」


 佐藤が唸るように声を投げた。


「何を教えてもらうのよ?」


 凛花には秘密が多い。花梨だって教えてもらいことは山ほどあった。


「決まっているじゃないか……」


 森村が声を落とす。


「セックス?」


「止めろ。言うな!」


 佐藤は力んだが、もはや止まらなかった。


「それしかないだろう」


 そっちかぁ!……想像はしていたが、実際そうだとわかると失望が半端でない。


「脱童貞ってやつだ」


 森村の言葉に佐藤がうなだれた。かと思うと、すぐに頭を上げて森村を睨んだ。


「俊介が言うなよ。花梨とやったんだろう?」


 その声は花梨の胸にずぶりと刺さった。


「だからって、一郎がどうして凛花さんとできると思うのよ!……凛花さん、あんなに嫌がっていたわよ」


「金は払うって言ったよ」


「馬鹿。ばか。バカ!……そう言う問題じゃないわよ」


 花梨はバカというたびに二つ、彼の硬い頭をたたいた。ボコボコと鈍い音がする。


「痛いよ。止めろよ」


 佐藤が泣きそうな声で言った。


 ――ボコボコボコ――


 花梨の拳に痛みが走る。それで我に返り、手を止めた。


「……あ、そう言う問題かも」


「何だよ?」と森山。


「凛花さんは、そういう過去から決別するために藍森高に転校してきたのよ。それを一郎は思い出させたのよ」


「……まだ、忘れちゃいないだろ」


 佐藤が言った。


「バカ!」


 ――ボコボコボコ――


 振出しに戻った。


「もう、たたくなよ」


 佐藤が目を三角にして花梨の手首をつかんだ。彼の力はゴリラ並みだ、と噂されている。


「痛い!」


 花梨は悲鳴を上げた。


「佐藤、やめろよ。花梨もだ」


 森山が2人を引き離した。


 彼の仲裁で、花梨と佐藤は背中を合わせるように、ベッドの端と端に掛けた。


「やっぱり、修学旅行なんか、来なきゃよかった」


 森山がぶつぶつ文句を言った。


「分かったわよ。要は、脱童貞、それでいいのよね。それで一郎は納得できるのよね?」


 花梨が振り返ると佐藤はぷいっと横を向いた。


「私がしてあげる」


「花梨、お前……」


 森山が声を上げた。


「私は、俊介のものじゃないのよ」


 彼は絶句し、佐藤の顔には薄っすら希望が浮いた。


「まったく、単細胞なんだから」


 佐藤のわき腹をつつく。


「やめろよ」


 身体をよじりながら彼は笑った。


「ゴム、持っているんでしょ?」


 訊くと、彼は首を横に振った。


「ゴムなしにやろうとしたの?……信じられないー」


「俊介!」


 彼は森山に手を合わせた。


「どうして僕が……」


 森山は舌を鳴らし、財布を取り出して中の避妊具を取り出した。


「一郎と終わったら、俊介ともするわよ」


 言うと、彼が複雑な表情を作った。


「一郎、脱いで。下だけでいいでしょ。俊介、電気消してくれる」


 花梨は部屋が暗くなるのを待ってスカートと下着を降ろした。


「なんだか、変な格好」


 ふふっと笑いが漏れる。


 非常灯の明かりの中に下半身だけが丸出しの花梨と佐藤がいて、それを隣のベッドで見ている森山がいる。


「見ないでよ」


「みてないよ」


「聞かないでよ」


「聞いてないよ」


「ったく、聞いてるじゃない」


「しょうがないだろう? そんなことより、さっさと終わらせろよ。消灯の電話連絡が来るぞ」


「アッ、そうか……」


 この部屋の2人は電話に出られるけれど、凛花が困るだろう。どうしよう?


 ――トントントン――


 突然、ドアが鳴った。それは悪魔の使者のノックのようだった。

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