第32話
花梨はモエに手を引かれ、再び強い日差しの下に出た。2人は坂の中ほど、凛花に声の届かない場所に移動して足を止めた。
「美川さんね。中学のころは明るくって人懐っこくって、素直ないい子だったらしいのよ。まるで花梨のことを聞いているようだったわ」
「えへっ、……照れるわ」
「えへっ、じゃないわよ。それが、どうしてあんなになったと思う?」
「さあ……?」
――奈良から来ていた女子高校生がヤクザを刺したらしい――
森村の声が脳裏を過った。が、それを口にはしなかった。もし、間違いだったら、大変なことだ。その程度の判断力はあった。
瞳をキラキラさせてモエが言った。
「恋人を刺したらしいのよ」
「え、えぇぇぇー」
人を刺したというのは森村に聞いたのと同じだった。
「恋人を刺したの?」
好きな人を刺すなんてありえない、と思った。
「こら、声が大きい」
モエが花梨の頬をつねった。
「もぉうー。痛いわよ」
「分かってるの? 美川凛花、中学のころは男っ気がなくて、どちらかといえば奥手だったらしいの。そこは花梨と違うけど。……でね。進学したとたんに変わったんだって。とんでもないアバズレよ。恋人を刺した理由がウリらしいから」
「ウリ?」
「売春よ」
「ゲゲッ。凛花さんの恋人、ホストか何かだったの?」
思わず口元を両手で覆った。
「もう、どこまで天然バカなの。美川さんに売春させていたらしいのよ」
「まさか。凛花、そんな子じゃないわよ。真面目だもの。私なんて、説教されたんだから」
「だから彼女、どうして人を殺してはいけないんだなんて、先生たちに質問していたのよ。きっと、自分を正当化したいのね。……花梨、天然だから騙されないでよ。今は真面目な振りをしているけれど、本性は違うのよ。気をつけなさい」
モエは、花梨の両肩をしっかりと握り、母親が子供に説教する時のような強い視線を送っていた。
「う、ウン……。分かった」
「じゃあ、もう行く時刻だから。夜ホテルでね」
モエは陰のない笑顔をつくると手を振って戻っていく。
中学のころは私みたいにいい子だって言ったんでしょ。どっちが本性なのよ?……
モエの背中を見つめながら考えた。
彼女が石室に入るより早く第1班のメンバーが姿を現し、ある者はモエに、ある者は花梨に向かって手を振った。
モエは第1班に溶け込み、「またねー」と手を振った。花梨が手を振り返すと、第1班の全員が手を振り、出口に向かった。
花梨は坂を下り、
ほどなく全員が石室を出てきた。いつの間にか綾小路と凛花の距離は近くなっていて、彼は彼女に肩を並べてニヤニヤしている。凛花が彼に媚びているようには見えないけれど、学校にいるときのようなギスギスした空気の壁も漂わせていなかった。
「どうしたのや。難しい顔をして?」
綾小路が太陽光と日陰の狭間に立っていた花梨に声をかけた。
――売春よ、……モエの声が頭を過る。
凛花、オッチャンのような年寄りともしたのかな?……まじまじと彼の顔を見てしまい、慌てて視線を落とした。
「……どうもしていませんよ」
「それならいいけどなぁ。怨霊に憑りつかれないように、気をつけるんやでぇ」
綾小路が花梨の肩をトンと叩いた。
「いるんですか、怨霊?」
「そりゃ、おるわ。権力者たちは、2千年も前から
言いながら正面の山を指した。
「ひぇー」
花梨は綾小路の背後に隠れた。
「違った、石室の中や」
綾小路が振り返って花梨の肩越しに石室の奥に目をやる。
「ひぇー。やだぁー」
花梨はその場にしゃがみ込んで頭を抱えた。
「なんや。弱虫やなぁ。そうしていると小学生みたいや」
綾小路が目尻を下げた。その顔は笑いながら泣いているようだった。
森村と佐藤が声を上げて笑った。
「脅かして、すまん。さぁ、これから箸墓古墳に行くのや。時間がない。急げ、急げ」
綾小路がその場でバタバタと駆け足をした。
どこかで経験したことがあるような気がする。……花梨は目の前で走る真似をするオッチャンを見上げた。その経験をしたのがいつの事か、思い出せなかった。
「さぁ……」と綾小路が差し出した手を花梨は握った。とても大きな掌だった。
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