第28話

 拝観料を支払って回廊の中に入る。真っ先に目に留まったのは五重塔だった。


「どうや。美しいやろぅ」


 綾小路はまるで自分の持ち物を自慢するように言った。


「奈良や京都には塔が多いけど、法隆寺の塔が一番美しい。芸術的や。興福寺や東寺の塔も立派だが、武士の文化が反映してか、力強く男性的にすぎる」


「いわれてみればそうですね」


 凛花だけが綾小路の感想に共感を示した。他の3人は、そもそも塔の違いがピンときていない。ただ、法隆寺の塔は興福寺のそれより小ぶりで華奢きゃしゃ、繊細な雰囲気を漂わせているということだ。


「あそこの上りむねの先を見てみぃ。はり邪鬼じゃきが支えている」


 綾小路の指す場所を見ると、のきを支える太い梁の下に2頭身の鬼の彫り物があった。


「かわいい」


 花梨はそう思った。


「かわいいのか?」


「うん」


「あんな邪鬼は岩船寺がんせんじの塔にもある。仏を守る四天王が踏みつけて抑え込んでいるのも邪鬼や天邪鬼あまのじゃくだ。……それから一番上の龍の彫り物や。5階の軒を支える飾りの柱が龍になっている。金堂の2階の軒も同じ龍の彫り物の柱で支えられている」


 綾小路に言われて金堂の二階部分を見ると、確かに龍の彫り物が施された柱がある。低い位置にあるから塔の龍より見やすかった。


「本当だ。あれも珍しいの?」


「そやなぁ。オッチャンは他に見たことがない」


 塔に近づくと屋根に隠れて龍は見えなくなった。


 石段を上る。


「見てみぃ。内部が見られる塔は少ないからなぁ」


 扉の格子から中が見える。内部は暗いが、ぼんやりと見えた。複数の像が並んでいる。


「東西南北、それぞれに仏教にとって象徴的な場面が塑像そぞうで表現されている。この東面は文殊菩薩もんじゅぼさつ維摩ゆいまが問答する場面や。維摩は人間だが、文殊菩薩に問答で勝ったのや。すごいだろう?」


 彼は凛花に目を向けた。彼女の顔に感情が揺れているのが、花梨には見えた。


「聖徳太子は維摩経義疏ゆいまきょうぎしょという維摩経の解説書のようなものを書いている。正に維摩に迫る天才や。すごい。すごすぎるなぁ」


 言いながら、綾小路は北面に移動した。


「ここに作られているのは釈迦涅槃像しゃかねはんぞうや。お釈迦様が亡くなった時になげ羅漢らかんの顔がすさまじい。当時の超一流の芸術家が作ったのやろなぁ。オッチャンは、あの顔を見ると胸がゾワゾワして自分も泣きたくなる。中がもっと明るかったらいいのになぁ」


 説明しながら彼自身が感動していた。


 誰のための修学旅行だろう?……花梨は、勝手に盛り上がっている綾小路を見ている方が面白いと思った。


「塔が仏陀の墓ならそれは寺の中心や。日本で最初に建てられた飛鳥寺は塔を中心に三つの金堂がある。若草伽藍では塔を拝むように金堂が立っていた。四天王寺と同じや。ところが法隆寺は、金堂の仏様は塔を見ていない」


「薬師寺の金堂は……」


 花梨は二つの塔を思い出す。


「そや。あそこも塔が真中にないから、金堂の仏様は塔を見ていない」


「奈良時代は、塔が重要ではなくなってきたのですか?」


 凛花が優等生らしい質問をした。


「二つ建てるくらいだから、重要ではあったのだろう。けど、仏塔としての意味合いは薄れてきたのやろな。それでもここは、燃えた若草伽藍の寺を再興しようとしたはずや。それを、全く違った形にしてしまったのは何故か……」


 綾小路が謎めいた話をしながら、生徒たちの顔を見まわした。


「何故ですか?」


 森村が訊いた。


「少しは自分で考えてみぃ」


 彼は口角を上げ、順路に従って大講堂に向かった。




「講堂は僧侶が修行する場所で、寺の中心は塔と本尊のいる金堂や。ここの講堂は、昔は回廊の外側にあったらしい。それが火事の後、リフォームされて今の形になった」


「どうしてですか?」


「またかいな。何故だと思う?」


 建物に入り、声を潜める。


「さぁ?」


 森村が首をひねる。花梨は考えることさえ放棄していた。


「仏教も変わったということかしら?」


 凛花が言った。


「そうかもしれないなぁ。当初は釈迦を拝み、後に仏全般を拝んだ仏教が、経を拝む仏教に変わった。それは、仏陀の意思に近づいたといえるのかもしれない」


「カトリックとプロテスタントみたいなものですね」


「そやなぁ」


 その時、四天王像の足元にのような彫り物を見つけた花梨は「あっ!」と声を上げた。


「これ、邪鬼ですか?」


「そや、恐ろしさは一つもない。完全に観念した顔やな。オッチャンみたいなもんや」


 彼が寂し気な表情を作った。

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