第26話

 昼食を終えると、ひと悶着もんちゃくあった。昼食代を綾小路が支払うと言ったからだ。


「困ります。綾小路さんをただ働きさせるわけにはいきませんから」


 森村が班長としての責任感から、自分たちの分は支払うと言ったが、伝票を握った綾小路が譲らなかった。


「今日は、特別な日なのや。だからオッチャンに出させてくれ」


「特別って?」


「それはオッチャンのプライバシーや。とにかく、頼む」


 頭を下げられては森村も引き下がらざるを得なかった。


「急げ、急げ」


 店を出ると5人は法隆寺へ向かう。店から法隆寺までは10分と掛からなかった。

そのわずかな時間で、綾小路は聖徳太子が法隆寺に居を構えた理由を推理した。


「中国や朝鮮からの使者は難波津なにわのつに着く。彼らを最初に出迎えるのが四天王寺や。そこから飛鳥までは三つの道がある。……一つは大和川を船でさかのぼる道や。もう一つは大和川に沿う陸路で龍田道たつたみち。どちらも法隆寺のある斑鳩いかるがを通る。三つ目は日本書紀にも載っていて日本最古の官道と呼ばれる竹内たけうち街道や。仁徳天皇陵のある堺から聖徳太子の御陵がある太子町を通り、橿原かしはら神宮辺りに出る道や。……竹内街道沿いには聖徳太子の異母弟の当麻皇子たいまのみこが開いたとされる当麻寺がある。……当時の寺は塀に囲まれた数少ない建物で、使節を出迎えるのにも都合がよかったし、兵を入れておく軍事拠点としても使われた。織田信長も本能寺に宿泊した。……話がそれたが、聖徳太子は、都と海を繋ぐ街道沿いを押さえるために法隆寺を造って住んだちゅうのが、オッチャンの推理や。もちろん通説にあるように、しゅうとめのように目障りな馬子から離れて政治を取りたかった、というのも理由の一つにはあるだろうなぁ」


「おぉー。流石、厩戸皇子」


 シュミレーションゲームが好きな森村が、厩戸皇子の戦略に感嘆した。


 花梨も、彼を真似て「おぉー。すごい」と綾小路を称賛した。


 凛花はいつものように澄まして景色を見ていた。


「しかし、別の考えもある。馬子が自分の力を強めるために優秀な部下の聖徳太子、あ、厩戸皇子に出先機関を造らせた……」彼がため息をつく。「……オッチャンは、そうは考えたくないが、可能性は小さくないなぁ」


 車は駐車場に入った。松並木を進むと正面に南大門が見える。東大寺の南大門に比べたら小さく質素なものだった。


 綾小路は門に向かわず、土塀伝いに右手の空き地に向かった。


「このあたりが若草伽藍わかくさがらんの跡や。歴史の教科書にも載っているはずや」


 森村と凛花はうなずいたが、凛花と佐藤は首を傾げた。


「厩戸皇子が建てた最初の法隆寺のことだよ。今の建物は再建されたものなんだ」


 森村が説明した。


「最初の伽藍配置は四天王寺と同じやった。門の正面に塔があり、その後ろに金堂がある」


「ふむふむ」


 花梨の相槌は上辺だけだ。昨日立ち寄った四天王寺の伽藍配置など記憶になかった。


「東大寺とか興福寺とか、奈良のお寺はよく燃えるな」


 佐藤が言った。


「そやなぁ。でも、ここは特別なのや」


「どういうこと?」


「燃えた大概の寺は戦のとばっちりを食ったようなものや。が、ここは聖徳太子の息子の一族25人が無理心中をした寺や。燃えたのは数年後のことらしいが、原因が雷なのか放火なのか、それとも呪いなのか……。今も判明していない」


「呪いって。……心中したから?」


「呪いは冗談や。……山背大兄王やましろのおおえのおうは皇太子になる資格があった。真面目で人望も厚かったらしい。蘇我入鹿は自分の意のままになる古人大兄皇子ふるひとのおおえのみこを擁立しようとして巨勢徳多こせのとこたらに山背大兄王を襲撃させた。……山背大兄王の家臣は、東国に逃げて兵を興し、入鹿を討つべきだと進言した。しかし、山背大兄王はそうしなかった。戦いになれば必ず勝つが、戦になれば民衆が傷つき苦しむことになる。それは望まないと言って、法隆寺に入ると女も子供も、一族もろともに首をくくった」


 戦争を避けるために、自ら滅んだということか。そんな政治家がいたら国はどうなるだろう?……花梨は背筋が凍えるように震えるのを感じた。


「……仏教を信じていた山背大兄王は捨身しゃしんを実践したわけや。そうして聖徳太子の子孫は絶えた。……寺が燃えた日は土砂降りで雷も鳴っていたらしい。塔に雷が落ちて火が出る可能性はあるが、それで伽藍全部が燃えるやろか?……大雨だったのや。延焼は最小限に抑えられたと思う。山背大兄王を攻め殺した者たちが、自分の犯した罪を忘れるために火を放ったというのが、オッチャンの推理や」


 彼は参道の松並木に、亡霊を見るような目をむけた。

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