第23話

 オッチャンがハンドルを握るタクシーは平城京に向かっていた。


「オッチャンは、何歳?」


 突然、佐藤が訊いた。


「知りたいんか?」


「だめかい?」


「いや。相手のことに関心を持つのは、喜ばしいことや。関心は愛の入り口やからなぁ」


「お、俺はそんなんじゃないよ」


 佐藤は目を丸くして否定する。後部座席で花梨たちが笑った。


「オッチャンも、そういう趣味はない」


「綾小路さんが言いたいのは、安易に誰かのプライバシーに触れるなということですか?」


 凛花が訊いた。


 さすが優等生だ。難しいことを言うなぁ。……思わず彼女の横顔に目をむけた。

相変わらず凛々しい顔をしていた。自分が男子なら、好きになってしまうだろう。もちろん、性格は別だ。


「ちゃう、ちゃう。……右手に見えるのが再建された朱雀門すざくもんや」


「へぇー……」


 大通りの間近に、朱色と白、緑に塗られた大きな門があった。春日大社の色遣いと同じだ、と花梨は思った。


 生徒たちが門に見とれている間に車は信号を右折する。


「人が誰かに関心を持つことは良いことや。愛は恋人の間だけにあるもんやぁない。親子でも、兄弟でも、友達の間にもあるもんや」


 綾小路が凛花の質問に対して応えた。


「そういうの、面倒くさくないですか?」


「確かに負担になることもあるわなぁ。でもそれは、愛し愛されているということや」


「警察が誰かのことを調べるのも愛しているということですか?」


 凛花が試すような訊き方をした。


「警察が調べるのは仕事や。まぁ、社会の安全を愛しているともいえるけど、そういうのはこじ付けやろなぁ。……誰かのことを知ろうとすると、それが愛に変わる。時には、敵意や憎しみになることもある」


「価値観によって変わるということですね」


 そう言ったのは森村だった。


「賢いな、ぼん。物を相手にしてさえ、知れば知るほど大切に感じるようになるのが普通や。だが稀に、自分には相応ふさわしいもんやないと感じることがある」


「それで捨てる」


 凛花が吐き捨てるように言うので、花梨の胸がキュンと痛んだ。藍森寮の生徒の中には、親に捨てられた者がいる。


「そやな。物には罪がないのになぁ。色分けするのは人間の方や。……で、着いたでぇ」


 5人は平城宮跡の駐車場に立つ。そこは生垣に囲まれていて、平城宮の広さを知ることはできなかった。


「再建されたのは朱雀門と大極殿だいごくでん大極門だいごくもんだけだ。ほかには資料館なんかもある」


 綾小路と4人の生徒は大極殿に向かって歩いた。駐車場を囲む生け垣を出ると草原の向こう、思ったよりも遠くに大極殿が見える。そこまで歩くと平城宮の広さを実感できた。


 見学コースに従って大極殿に入る。遠くに大極門と朱雀門、塀が見える。他にあるのは近鉄電車の線路と緑の草原だった。その向こうにあるのは工場の建物だ。


「大極殿の裏が内裏で、天皇が寝起きしていた場所や。南側は広場で周囲に役所があったらしい。朱雀門が宮の南端になって、そこから先に人々が住む平城京が続いていたのやなぁ。目をつむって想像してみい。当時の街並みが目に浮かぶやろ……」


 彼に言われてそうしたが、花梨には何も想像できなかった。


「無理だぁ」


 佐藤が声をあげた。


「私も」


 花梨が言うと、「馬鹿同士だな」と佐藤が嬉しそうだった。


「そうかぁ、残念やな。……で大通りは、平城京を出てその先、飛鳥の方まで続いている。……天皇は大陸からの使者や軍隊をここで謁見えっけんしたのや。想像してみぃ。ワクワクするやろぅ。……あ、無理やったな」


 彼がカラカラ笑った。花梨は悔しくて、もう一度、想像してみた。しかし、平城宮はイメージを作らない。まして朱雀門の先に続く平城京を思い描くことなどできなかった。


 雲雀ひばりが高く昇り、上空で激しく鳴いた。


 青い空がまぶしい。


「結局、オッチャンは何歳なの?」


 花梨は訊いた。平城京の形より、そっちが気になった。


「オッチャンは綾小路や。遠く古代から続く名家の出や。当年とって1300歳。どうや平城京と同じ歳や」


 綾小路がアハハと笑った。


「真面目に応えてください」


 花梨はぷっとふくれてみせた。


「……そっか。……1960年生まれや。お母さんより、ずっと年上だろう」


 綾小路はふざけた態度を改め、花梨を懐かしいものを見るように言った。


「ハイ。私たちの倍どころか、3倍以上生きているじゃないですかァー」


 花梨は笑った。どうして父親より年上だろうと言わなかったのか、気づくことがない。


 綾小路がホッと小さく肩を落とし、再び賑やかな案内人の顔に戻った。


「それじゃ、資料館で発掘されたものを見よかぁ。当時は日用品だったものが、年月を経たことによってお宝に変わった物や」


「関心のない人には、今でもゴミです」


 凛花が言い放つ。


「美川さん、厳しいなぁー」


 苦笑した綾小路は頭を掻きながら、どんどん足を進めた。花梨たちは彼を囲むようにして歩いた。


 凛花が遅れていた。それに気づいたのは綾小路だった。


「急がんと、時間が無くなるでぇ!」


 呼びかけると無表情の凛花が足を速めた。


 資料館には、奈良時代の平城京の想像図が展示されていた。花梨はその前に立ちどまった。大極殿に座る天皇と広場に並ぶ外国使節と役人たち。その国際色豊かな世界は、山と森だけの田舎で暮らす花梨には思いもよらないものだ。


「これかぁ」


 綾小路の手品の種を見つけたような感動を覚えた。

 

 これを想像しろなんて無茶よ。……抗議しながら綾小路の後を追う。


 数々の木簡が並ぶガラスケースの前に立った時だ。佐藤の腹がグーと鳴った。静かな展示室内で、それを聞き漏らす者はいない。花梨は、ぷっと吹いたが、森村や凛花は笑わなかった。


 綾小路は制服の胸ポケットから計画表を取り出した。


「そういえば、君らの計画表には昼食の時間がないなぁ」


 花梨は綾小路の手元を覗き込んだ。


「あっ、ホントだ」


「なんだ。わざとだと思った」


 凛花が澄まして言うので、森村が顔をしかめた。場所が場所だけに大声を上げることはできない。


「気づいていたら教えてくれよ」


「私は要らないもの。昼食」


「コンビニに行く? おにぎりなら移動しながら食べられるでしょ」


 花梨はいつもの調子で妥協案をだした。名案だと思った。


「それは、綾小路さんに申し訳ないよ」


「俺はしっかり食わないと、持たないぞ。オッチャンもそうだろう?」


 森村と佐藤は花梨の名案に賛同しなかった。


「修学旅行でコンビニ飯というのも記憶に残って悪くはないけど、せっかく奈良にきたのや。案内人としては名物の三輪素麺ぐらいは食べてほしいなぁ」


 綾小路は腕時計に目をやる。


「昼食時を過ぎたら待ち時間も少なくて済む。オッチャンにまかしとき」


 彼は一郎の背中をポンと叩き「ちょっとばかり辛抱してな」と言って木簡のうんちくを語りだした。

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